真夏の夜の夢
7月になった。いよいよアブダビも夏本番である。最高気温が40℃台後半に達し、日中外に出ると熱風が襲いかかってくる。まあ俺は外に出ることはあまりなく、事務所の冷え切った部屋で、むしろ肌寒く感じることも多いけどね。
ちなみに6月15日から9月15日までの3ヵ月間、この国の法律で Summer time Mid-Day Breakが施行される。この期間の毎日午後12時30分から3時まで、野外の作業は禁止となる。激しい直射日光のため、生命の危険すらあるからだ。
そんな過酷な夏到来だが、週2回のYas島のサイクリングは頑張って継続している。さすがにこの時期は超ガラガラ。
本日も夜7時半にもかかわらず、気温35℃、湿度64%の熱帯夜のなかで何とか4周走った。2周目あたりから汗が滝のように落ちてくる。
さて、昨晩のサッカーワールドカップの日本・ベルギー戦である。ドバイで仕事と会食があり、マリーナ地区のホテル内のステーキ・レストランで夜9時過ぎまで知人3人とステーキを食べ、ワインを飲んでほろ酔い気分。そのまま、ホテル内のパブに場所を移し、試合開始を待つ。
ホテル内の広い特設テントでは別の試合をやっていたようで、パブの方は我々日本人4人の他は数人の客で、むしろ店員の数が多いくらい。
試合開始とともに、ビールを飲みつつ、気勢を揚げて日本を応援する。後半、日本が華麗なゴールを決めると、店中を走り回り、関係なさげなお客さんも一緒に喜んでくれた。2点目ではもう興奮状態。ガラガラの店内ながらも一体感が醸成されて来ている感じ。
これはもしや勝つのでは、木曜日の夜どこで観ようか、なんて思ったのもつかの間、ベルギーの逆襲が始まり、あれよあれよという間に同点。そして延長と思いきや、ロスタイムに決勝の3点目を入れられて万事休す。はかない真夏の夜の夢はこうして終わりを告げたのであった。まあ楽しい夢だったね。選手の皆さん、ありがとう!
ワンちゃん来たる
この国では犬との交流は難しい。イスラームでは一般的に犬は豚に続く不浄の動物との考えがある。ドバイのハムダン皇太子は、犬やライオンが好きで家で大勢飼っているとの話はあるが、一般的な現地人は犬は飼わないだろう。それでも、欧米人の多く住むフラットなどでは犬の散歩風景を時々見かける。
俺は犬好きである。日本にいるときは、飼っているミニチュア・シュナウザーを毎日散歩に連れていき、とても仲良しだった。この間帰国した時には、俺を忘れてしまったらしく、しばらく遠目で俺のことを見ていて大ショックを受けたが。。
さて、ちょっとした縁から、ドバイ在住の友人から一晩だけ犬を預かることになった。彼は日本で飼っていたコッカースパニエルという7歳のメス犬を、ドバイまで運んで飼っている。その名もレディーという可愛いワンちゃんが、我が家に来て一緒に過ごすということで、ちょっとドキドキワクワクである。
夕方到来したレディーは元気一杯。初めての家を興味深そうに探検する。
その晩は、友人ご夫妻と我が家で食事し、その後お二人は近くのホテルに戻っていった。俺とレディー二人だけである。こちらは少し酔っていたので、早々にレディーと二人でベッドに入った(なんかエロチック!)。が、彼女は酔っ払いのおじさんは嫌いなのか、結局応接間で自分一人で寝たようだ。
翌朝5時半に起き、レディーと散歩に出かける。犬と家の周りを散歩できるなんで、夢のようだ。
途中、砂浜のデッキチェアでひと休み。
早朝にもかかわらず、すでに気温33℃と結構暑いなかを、二人で(一人と一匹で)1時間ほど散歩する。家に帰ってご飯をあげ、二人で遊んでいるうちにすっかり打ち解け、お腹を出して甘えるまでになった。
午前中、迎えに来たご夫妻にレディーを涙ながらに引き渡し、こうして一泊二日の同棲生活は終わった。犬はいいなあー。二人(一人と一匹)はいいなー。
ワールドカップ観戦中
海外にいると、ワールドカップ的な母国愛をくすぐるイベントに一層惹かれることになる。日本のH組予選3試合を、ずっと生放送で観れていて応援してきた。
初戦のコロンビア戦。ヤス島のベルギーカフェで同僚4人と応援、これしかないパターンで日本が勝利して狂喜乱舞。地元紙でも Historic Victory と持ち上げてもらった。
2戦目、テヘランからの帰りの機内で、エミレーツ航空が日本対セネガルを生放送。途中電波が遮られる場面もあったが、日本のゴールをすべて観れてご満悦。先行されてもしっかりと追いつく粘り越しにこれまでにない強みを感じた。
そして何と言っても予選突破のためにCrucialな本日のポーランド戦。再び会社同僚3人と、ヤス島のベルギーカフェに集結して応援する。日本戦と同時刻のコロンビア対セネガル戦は冷房の効いたパブ屋内のテレビ、日本の試合は熱帯の屋外のテレビであった。。まあ贅沢は言いまい。
結局日本はポーランドに0対1で負けたが、コロンビアが1対0でセネガルに勝ったため、予選リーグ突破が決まった。パブ屋内に大勢結集していたコロンビア関係者の喜んだことと言ったら。そこに我々も入っていって感謝感謝。
ハナモクの夜、会社の仲間と一緒に熱狂と興奮の中で楽しんだことであった。ということで、来週も引き続き楽しめそうだ。頑張れ、日本!
海上自衛隊の艦上レセプション
イラン情勢が風雲急を告げてきた。一昨日のテヘランのグランドバザールでのデモが、当地地元紙の Gulf News の一面に出ていた。通貨リアルの急落で輸入材の高騰に怒った商店主のデモだ。俺はこの商店主の1人からその前日、絨毯を買ったばかりだ。温厚な顔が目に浮かぶ。
また、その記事によると、1,339品目の輸入禁止措置も政府から公表されたという。イラン国内で製造されている物品の輸入を禁止するもので、外貨流出を防ぐ自衛策とのこと。テヘラン訪問時に、地元のモールで制裁解除後に豊富になってきた輸入品を見たが、これらの日用品も対象になっているようで、再び Resistance Economy(抵抗経済、まるで日本戦時中の欲しがりません、勝つまでは的なニュアンスでちょっと悲しい)を強いられる状況だ。
さらに本日の日経朝刊一面トップに、アメリカが日本に対してイランからの原油輸入の禁止を求めている記事が掲載されている。テヘランでの見聞きしてきた話も踏まえると、アメリカめ、どこまでイランをいじめたら気がすむのかと言いたいところだ。
本日は重めの会議があり、その資料準備、対応、フォローでぐったりした1日であった。それでも夜、あるイベントがあって参加してきた。日本の海上自衛隊練習艦「かしま」がアブダビのザイード港に寄港していて、その艦上レセプションに招待されたのだ。中東情勢が緊迫してきたこの時期、自衛隊のイベントに参加できるのも何かの縁だね。
19時前に同僚二人と港に着く。受付手続きを済ませ、いよいよ堂々たる「かしま」(基準排水量4,050トン)に乗船する。
在UAE日本大使、かしま艦長等の要人の歓迎を受け、テントで覆われた甲板のレセプション会場に入る。中には大勢の人と美味しそうな日本食。
寿司や焼き鳥などの日本食に舌鼓を打ちつつ、練習艦に乗って訓練中の何人かの若手海上自衛官の方と会話をする。今どきは防衛大学校以外の普通の大学から海上自衛隊に幹部候補生として入る人が半分以上いて、女性も1割前後いるとのこと。今回の遠洋練習航海は、5月に日本を出て半年かけて世界一周するそうだ。日本を守る若き自衛官の皆さんのハキハキとした姿が清々しい。
後半にはビール、日本酒も出てきて、屋外の暑さで汗をかきながらも食事と会話を2時間ほど楽しんで、練習艦をあとにした。
まだ時間が早かったので、前から行ってみたいと思っていた Year of Zayed を記念して今年2月に開設された Founder's Memorial に寄ってみた。Sheikh Zayed の顔を模した星のオブジェが夜空に映えてなかなか。
そのあと、週末のイベント用に大量の日本食材をスーパーで仕入れて帰途についた。疲労感あるも充実した1日であった。
イラン・イスラーム共和国旅行記
2度目の海外(UAE国外)旅行で、イランの首都テヘランに行ってきた。イランは生まれて初めて行く国だ。それもあって(前回のアルメニアと違って)今回はテヘラン駐在中の商社マンに全面的に頼ることになった。2泊3日の行程、宿泊先など、すべてこの親交10数年になる同世代の友人にお願いした。イランでは確かにひとり旅は難しく、その商社さんの現地スタッフ含む皆さんに大変お世話になった。そのおかげで現地駐在の日本人の声、テヘランっ子の目線、そしてツーリスティックなテヘランとディープなテヘランの両方を体感できた、大変有意義な旅行となった。
そもそも行く前のイランの印象は以下であった。
- 人口8千万人の中東随一の大国。紀元前後のアケメネス朝、ササン朝などの大版図を持ったペルシャ帝国の歴史が脈々と続いており、国民もペルシャ民族であることに誇りを持っていてプライドが高い。
- 世界で唯一のイスラームに基づく宗教国家であり、イスラーム全世界ではマイナー(約1割)なシーア派の一大拠点。人々のイスラーム意識は高い。
- イスラーム革命(1979年)以降は、イラクとの戦争(1980-1988年)、米国主導の西側からの経済制裁、サウジやイスラエルとの冷戦、IS台頭、シリア内戦への支援参画、経済制裁解除と思いきやトランプ政権による制裁再開強化など、苦難続きである。それでもこの中東大国は、ある種の独裁制の下、頑強に抵抗して頑張っていくのだろう。
- 日本との近年の良好な関係の嚆矢は、出光石油の日章丸事件。俺も「海賊とよばれた男」を読んで感動したクチで、日本人に対するリスペクトあり。
上記はややステレオタイプであるが概ね一般的な日本人が持つ印象であろう。まずは行ってみて驚いたこと。
- 携帯電話が通話もメールもネットも外に出るとまったく繋がらない。ホテルにはWiFiあるが弱くてすぐに切れる。
- クレジットカードがまったく使えない。現地ではドルキャッシュ、またはそれを現地通貨(リアル)に替えないと何も出来ない。通貨といえば、リアルの他にトマーンという通貨でないのに皆それをベースに請求したり支払ったりする単位があり、ややこしい。
- やはり厳格なイスラームの規律はあって、酒まったくダメ(もちろん蛇の道はあるんでしょうが)、男は半ズボンダメ、女性は必ずアバヤ(髪を隠すスカーフ)必着。
- トイレがすべて和風のいわゆるキンカクシ無し(空港や一部高級ホテル除いて)。男女とも同じらしく、男の子はオシッコもそこで座ってやるように教わるのだと。だからレスリングと重量挙げが強いのか。
- トイレットペーパーをトイレに流せない。紙だと詰まる配管構造であるという。したがって使った紙は流さずに備え付けのゴミ箱に入れる必要あり。
やはりちょっと不便で異質で不思議な国ではある。しかし後述するように、人々は人懐こくて親切、自然豊か、食事は美味しく、通信や支払いの不便さも別の空間に舞い込んできたと思うと興味深い(もちろん駐在の方は大変だと思う)。
そして上述の4つの仮説はかなり裏切られた。
- 国家はイスラーム革命以前の歴史に否定的で学校でもちゃんと教えないという。したがって大ペルシャ帝国の末裔という意識はそれほど強くは感じられず、一方でそうした政府の対応に嫌悪感を持つ人も多い(例えばイスラーム革命以前の歴史的なものに対する保存意識の少なさに対する怒り)。
- ある種の感覚的なコンセンサスによると、敬けんなイスラーム教徒は国民の2割、仕方ないとしぶしぶ従っている風見鶏層が3割、残り5割は神は信じてもイスラーム政権は信用置けないと。それもこれもイスラーム革命以後の政府のいい加減な対応に辟易しているからと。
- 今後の経済財政運営の見通しはかなり厳しい。それほどトランプの経済制裁の影響は大きく、日本人駐在員もテヘランっ子も相当な危機感を抱いている。国民の不満は高まっていて、俺が絨毯を買ったグランドバザールでは翌日に大規模なストライキが発生、絨毯屋は皆休業で集会を開いていたとのこと。イラン人の政府への不満爆発が先か、トランプの退陣が先か、かなり危ない橋ではないかとの見解も。
- 日本人に対するリスペクト、親しみ感はすごい。道行く人と目があって日本人というと、皆さん顔を崩して Welcome、よく来たという感じ。一般的にイラン人はお節介なくらい親切で優しい。
わずか3日ほどでの交流に基づく観察、考察なので、本当かどうかわかりませんが。以下、周った場所中心に写真編。
ミラドタワーと呼ばれる電波塔から。山の麓の巨大都市だね。
青色基調のシーア派のモスク。
シーア派のモスクはお祈り最中でも一般人も入れる。中で写真を少し撮らせていただきました。
パウラヴィー朝(1925年からイスラーム革命前の1979年まで約55年続いたペルシャ民族王朝)の宮殿跡に広がる公園。午前中は20℃台後半の天気で、とても気持ちが良く、この中を2時間半ほど歩いた。
その公園内にある皇帝の夏の避暑宮殿。
テヘランに唯一ある世界遺産のゴレスターン宮殿。こちらはカージャール朝(1796-1925年まで約130年続いた)の宮殿跡。他にも様々な博物館が広がっている。
グランドバザール近くの昔ながらの素朴な商店兼住宅街。狭い路地に車やらバイクやらがひっきりなし。
人懐こくいつまでも話し続ける日本大好きおじさん。
住宅街にあった浴場博物館的施設。18世紀からの社交場であったという。
グランドバザール。いつもより観光客も地元民も少なく、経済環境の厳しさが伺える。
ここからは料理編。とにかく羊肉が美味しい。
初日の晩餐はイラン特有の素敵な野外個室レストランで。
そこで食べたディナー。羊のケバブにお醤油をかけていただくと絶品。
これも羊肉をベースにした煮込み料理。優しくで深みのある味。
最後に、この国の国力を結果的に落としたのがイスラーム革命との話はあちこちで伺った。イスラームを前面に押し出したのは、パフラヴィー朝打倒のため国民勢力を一致団結させるための戦術であり、ホメイニ師もイスラーム国家の永続までは考えていなかったとの説あり。
しかしながらその後のイラクとの戦争で政争どころではなくなり、今の体制、イデオロギーが堅持され、既得権益者が強固になっていった構造が今のイランだという。それに不満を持つイラン人(特に若者)が増えているらしい。
そう考えるとイランの今後は目が離せない。現実的に足元でリアル通貨が急落している。俺のホテル代は、予約してもらった2週間ほど前には1泊150ドルと言われたが、清算時には2泊で155ドルと半減した。
いろいろなことを考えつつ、友人と親交を温め、現場で暮らす日本人、テヘランっ子との交流に大いに刺激を受け、啓発された日々であった。
イード・ホリデイ
弊社にとっては金土のみお休みと、通常の週末と変わらないイード・ホリディだったけど、少しでも楽しむべく木曜日の夜から土曜日の夜まで、ドバイに出かけた。
木曜日の夜は、知人の金融関係者と飲んだ。日本の信託銀行を辞めて外資系金融機関に転職、3年前にドバイに来たという彼とは、同じ外資系企業に働くものとして、いろいろと共感する話があった。日本食レストランでビール、焼酎をそこそこ飲み、その夜はバードバイにあるホテルに入って機嫌良くベッドに入った。
翌日の午前中は残った仕事があり、ホテルの部屋で片付ける。午後は、ドバイの最新キワモノ構造物の「ドバイ・フレーム」視察に出かけた。黄金の巨大額縁が陽に当たって光っている様はなかなか。
祝日の昼過ぎだったがそれほど混んでなく、5分ほど並んで50ディルハム(約1,500円)払って、まずは公園の中に入る。それからエレベーターでフレーム天辺に上る。左側に旧市街が、右側に高層ビルが立ち並ぶダウンタウンが現れる。
フレームならではのこんな仕掛けも。
その後、屋内スキー場のあるモール・オブ・エミレーツ、中国の巨大モール群のドラゴン・マートに行って、フードコートで昼飯を食べる。
夕方になって、今晩は一人飯だったので場所を思案した結果、アイリッシュ・ヴィレッジという大きなパブでビールとつまみの夕食にすることにした。アイリッシュ生ビールが美味しい。
一人で寂しそうにしているからか、猫が寄ってきてくれる(食べ物欲しいだけか)。
そのあと、同じパブの奥の仮設テントでサッカーワールドカップ試合のパブリックビューイングがあって、エジプト対ウルグアイ、イラン対モロッコの試合をビール飲みながら観る。
本日はこれで終了。翌日は今回のメインイベントの釣りである。2度お世話になった釣りの師匠に今回も指南いただき、さらにこちらも前にお世話になった友人の料理の師匠が加わって、堂々の2大師匠そろい踏みとなった。川上の釣り(生産)と川下の調理(加工)のエキスパートが揃ってサプライチェーンの完成だねなどと冗談を言いながら、朝6時に集合して2時間ほど釣り糸を垂れる。今回は全員釣れて、合計8匹の大量生産であった。俺も3匹という大満足の釣果となった。
この生産結果をどうするか協議したが、料理の師匠曰く、あまり美味しくない魚(小さな念仏鯛)であること、水質に疑念ありということで、すべてリリースした。その後カルフールで買い物をして、それを料理の師匠宅で調理して食べることにした。残念ながらサプライチェーンは分断されてしまった。。
それでもいつもながらの手際の良さで、アクアパッツァ(俺初めて。超うま)、エビのアヒージョ、サラダを作っていただいた。
宴会は11時から始まった。この料理の師匠と飲むといつも泥酔するので、明日仕事でもあり、今回はかなり自重、それでも夕方5時くらいまで飲んで、あーでもない、こーでもない議論をしつつ、美味しく楽しい時間を過ごした。
こうして仕事とまったく関係ない仲間と、充実したホリディをエンジョイしたことであった。
ラマダーン終了
ラマダーンがいよいよ本日で終わる。今年は5月17日から始まって本日までの29日間だった(年によっては30日間)。その後イード・ホリディと呼ばれるこの国で数少ない連休の祝日に入る。政府系企業は、本日から17日までの4連休、我々のようなプライベートセクターでは、15日、16日の2連休だが、なんのことはない、いつもの金土の週末と重なり、休みという意味では何も変わらない。。
さて、その29日間の勝敗結果(勝敗というのも変な話ではあるが)。
- 29日間中、UAEにいたのが16日(残り13日はアルメニアと日本等)
- 16日間は少なくとも限定断食(昼食・間食なし、水分OK)はすべて達成(素晴らしい!)
- 16日間のうち、夕食時の断酒は6日。お酒を飲んだ10日のうち、外での宴会が8日でこれはOK。しかし家にいたのに酒を飲んでしまった日が2日あり、これはダメ。
- 行事という意味では、家でイフタールと称する社員懇親会を2回。外のイフタール・テント(シェイク・ザイード・グランド・モスク)での食事1回。
ということで、初年度のラマダーン断食はまあまあ完遂したと自己評価。もっとも日数的には半分ちょっとしかいなかったので、まだまだだが。
仕事面ではこの時期、いろいろなことが起きて忙しかったこともあったが、朝8時30分から昼抜きで、日によっては夕方6時、7時までほぼぶっ続けに集中して仕事ができた。
健康的には、最終日の本日の朝の体重は64キロ台と、当たり前かもしれないが1-2キロほど落ち、体が一層軽くなった気はする。
そうして、何よりこの時期はいろいろな会社・ホテル・団体等がイフタール、スフール(夜9時過ぎから始まる会食パーティ)等のイベントを開催し、街も華やぐと言った、まさに盆暮れ正月的な雰囲気を感じることができた。
断食というと何やら辛い感じがするものだが、イスラームの方たちが異口同音におっしゃるように、1年に一回、自分を振り返り、家族や友人と過ごす時間を増やし、貧しい人たちに心を寄せ、共同体としての連帯を確認するという、とても意味のある時期だということが体感できたと思う。来年のラマダーンが楽しみになってきたね。
ラマダーン・カリーム!
ラマダーン・ムバラク!