anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

アブメシ探検隊

NHKの人気ドキュメンタリー番組に「サラメシ」というのがある。サラメシとは、サラリーマンのメシの略だそうで、働くオトナの昼ご飯を求めて、企業の社員食堂や弁当を取材して紹介するものだ。日本に帰った時にたまたま見て、興味深かった。

さて、ここはアブダビである。昼飯となるとアルコールは基本なくて、そうなると中東メシ含めて料理の選択の幅が一挙に広がる。そうしたアブダビの昼メシを求めて探索する探検隊、略して「アブメシ探検隊」を結成した。本日のランチはその第一弾であった。

隊長である見識豊かなS氏の推薦に従い、総勢4名が ISFAHAN NIGHT RESTAURANT というイラン料理店に集結。チェロケバブクビデという名前の、ケバブのミンチ料理を頼む。これもイラン旅行中ほとんどケバブしか食べない隊長ならではの選択。これをチキン一人前、ラム二人前オーダーして出てきたのがこれ。

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これをぐちゃぐちゃに混ぜてから食べる。

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これが絶品。まったく臭みのないハンバーグ的なお肉が、ご飯にベストマッチ。これにイラン風ふりかけ(ゆかり風味)をかけて食べるといくらでも食べられる。と言うわけで、こうした大皿料理にしては珍しく完食してしまった。

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お値段は、無料で付いてくるスープ、サラダ、注文した大きなボトルの水を入れて AED 135。一人当たり AED 35 弱にしかならない。やっぱりローカル飯はコスパが抜群だね。

今後隔週程度の頻度で集まって「アブメシ探検隊」活動を進めていくことになった。この企画はグレートだね。

1年経ちました

2017年9月19日にアブダビに着任したので、ちょうど1年経った。早かったのか、遅かったのか、よく分からない。はっきりしているのは、これまで55年間生きてきたなかでも、前年比もっとも変化の激しかったうちの1年だったということ。

仕事の中身と環境が大きく変わり、生活スタイルも劇的に変わった。単身赴任だし、食事は誰も作ってくれない。ゴルフしない俺は黙っていると日本人は誰も誘ってくれず、家で引きこもりトレンド。最近はそれでもいろいろな名目でお誘いいただき、多少は交友関係が広がりつつある。

バックパッカー的ひとり旅は気楽で面白く、国内以外はアルメニア、イラン、レバノンと日本から行きづらい国をこれまで楽しんできた。だけど旅先での一人メシは慣れずに、やっぱり侘しさを感じる。

散歩、カヤック、サイクリング、ラジオ体操、スポーツジムと、何とか身体を動かして健康維持を図りつつも、病気もした。体重は減って血圧は上がった。

料理のレパートリーは増えた。おでん、ポトフ、豚汁の3大汁料理を確立させ(大げさだね)、出張者や社員に家で振舞うことも多い。至近では出張者、出向者合わせて11名で大宴会。こういう時が一番くつろげるかもしれない。 

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この地に住んで、現地人とは仕事以外での付き合いはほとんどないが、日本人以外のエクスパッツとの交流は広がった。お隣さんのトルコ人(残念ながら最近引っ越された)、同じ立場のギリシャ人、上司的存在のスペイン人。皆さんエミラーティー企業で頑張っているけど、それぞれの方と酒を飲み交わすと、相当なストレスを感じていて、皆んな同じなんだなーとホッとしたりする。

あと何年、何ヶ月この国にいるかどうか(勤まるかどうか)分からないけど、目の前のことを粛々とやっていくだけ。そういえばこんな記事を発見。

糸井重里「なぜ、未来がそんなに不安なの?」 
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/090600161/082100067/

「5年後、10年後、20年後はどうなっている?」と未来の問題ばかりを考えても、不安で苦しいだけですよ。仮に予測が当たっても、そんなに意味があることでしょうか。その“当たり”に関わらないまま生きていたとしても僕はダメだと思わないし、それほどひどい目に遭うとは思えないんですよね。

 それよりは、「大切な自分の人生をどう生きていくか」に焦点を当てる方が、ずっと大事だと思います。また、世の中から求められるものだったり、自分や多くの人にとって大切な価値だったりする、その時々の“当たり”を見定めていく方が大事だとも思う。平成であろうが飛鳥時代であろうが、時代がどうであれ、核となる大事なことは、そう変わらないのではないでしょうか。 

 本当にそうだね。今読んでいるマインドフルネスの概念も近いと思うけど、今の俺の時間と空間に集中して大切にして、自分のペースで歩みを進めていくだけだ。

まずは1年間、ご苦労様でした。お疲れ様でした。

 

 

 

体質改善中

付き合い長い商社マンの友人が日本から出張に来て会った際に、痩せすぎ、もっと肉を取るべきと言われた。確かにこれまで、単身ということもあってか、魚や野菜中心の食生活だった。ここに来て免疫力の低下事実(帯状疱疹発症)、テストステロンの減少感覚(男としての野獣性低下)を自覚していたこともあり、少し体質改善を図ることにした。

すなわち、従来の健康リバイバルプランに加えて、食事的には積極的に肉を食べる、ジムで筋トレに励む、サプリメントとしてプロテインを摂る、ということ。

まず肉食。スーパーでステーキ肉を買い込み、家で肉料理を始める。玉ねぎや赤ワインを使った本格的ステーキソースでのリブアイ。

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 豚の生姜焼きタレ流用のサイコロステーキ丼。

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そしてハンバーグ弁当。
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どれも我ながら美味しく、今後はラムなども試しながら肉と野菜のバランスの良い食事を心がけて行く。

そうして、肉をこれまで以上に摂取しつつ、ジムで歩いたり、簡単な筋トレを開始。元々はジムのランニングマシーンで走ったり歩いたりするのは味気ないと思っていたが、今時のマシーンは画面にトレッキングのコースが表示されて、あたかも深林の中を歩いているような気にさせてくれる。

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こんな緑たっぷりの風景を眺めながら、週に2-3回、1時間のウォーキングで汗を流しつつ、友人に教わった簡単な筋トレを継続中。

そしてプロテイン。ドバイのモールで下記を買って、筋トレ後に飲むようにしている。

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もうちょっとしたら筋骨隆々になるかもね(笑)。

3連休 in ドバイ

先の週末は、木金土と3連休であった。この国において、一般企業労働者の3連休(と言っても金土の週末の前後どちらかに祝日が1日あるだけだけどね)はおそらく年に3回程度しかない。エクスパッツ(UAEにおける外国人労働者)に対しては、ワーク・ライフ・バランスという概念も、年休取得奨励日もない。基本出稼ぎ国家であり、自分でマネージせいという国である。

さて、その貴重な3連休。病み上がりでおとなしくしていようとも思ったが、たまたま木と土の夜にドバイで会食が入っていたこともあり、木にドバイに1泊してブラブラすることにした。

ホテルはこの夏の時期は安く、五つ星のホテルでも1泊朝食付きで300 AEDほど。デイラ地区にある韓国系の ASIANA HOTEL に泊まることにした。ここは日本食レストラン、大浴場があり、朝食も日本食材が食べれるなど、アブダビ住まいの俺には魅力的である。

朝6時に起きて、さっそくドバイ・クリーク周辺を散歩する。アブラと呼ばれる渡し船でバードバイ側に渡る。この時間帯、観光客はおらずモスクに行くと思われるアラブ・インパキ系の人でいっぱい。

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クリークを渡し船で往復し、1時間半ほど散策を楽しむ。ホテルに戻ってお楽しみの朝食。ご飯、イカ大根、大根スープなどを堪能する。

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朝食後はタイマッサージに行って久しぶりにマッサージをしてもらい、そのあと大浴場、サウナで汗を流す。いやー、これぞホテルライフだねえ。

昼までゆっくりホテルで過ごし、前回アップしたラーメン探索以外には Ras Al Khor Wildlife Sancturay という自然保護区に寄る。ここはマングローブ沿いの湿地帯で、野鳥やフラミンゴが生息していて近くで見える。

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フラミンゴはちょうど餌やりの時間であった。

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バードウォッチャーでなくとも、ここはお薦めするね。

土曜日も、午後早めに家を出て、会食の前にドバイ博物館に行った。数年前に行ったきりだったが、1時間半ほどいて、説明文も読みながらドバイの歴史や文化をじっくり見て回った。

今回は地味なところ中心のドバイ周遊であったが、のんびりゆったり過ごせたので、体も心もリラックスした3連休でありました。

UAEラーメン探索

ラーメンが大好きである。この国でも、ラーメン店やヌードルショップの看板を見つけると、自然と足が向くのだが、これまでトホホ店も多かった。ところがここにきて新たな発見があった。UAEのラーメン状況を俺なりにまとめておきたい。

日本の多様な食文化を代表し、日本のソウルフードとも言えるラーメン。海外におけるラーメン店は、その味付けの重みによって、日本人重視と現地人重視の2パターンがあるように思う。もちろん日本人重視と言っても、現地人もターゲットにしないと商売は成り立たないのだが、日本人が好きな味を現地人も好むという仮説を前者のお店は持っているということだ。一方、後者は日本人をほとんど眼中に置かず、麺と具材とスープという構成だけ同じで、基本は海外の食べ物といった感じになる。

まず日本人重視店のナンバーワンと言えるのが、ドバイのJLT地区にあるWokyo。麺を北海道の西山製麺所が指導しているらしく、日本の札幌ラーメンとほとんど変わらない美味しさなのだ。俺のお気に入りは、味噌ラーメン、スパイシーである。 32 AED。

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同じ西山製麺所の系統で、ドバイの ASIANA HOTEL 内の日本食・韓国食の名店、HANABI のラーメンも同じように美味しい。こちらは醤油ラーメン。ホテルのレストランなので、かなり高くて70 AED。

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やはりラーメンは麺が命ですな。

一方、現地人重視店の筆頭が wagamama(ワガママ)。この店は俺が欧州に駐在していた2000年前後にはすでにロンドンにお店があって、繁盛していた。日本人にはとてもラーメンとは思えないような麺と具材の組み合わせで、麺もスープも不味くて一回行ったきり、二度と行くことはなかった。

この wagamama がUAEに進出してきて、すでにドバイに5店舗、シャルジャに1店舗あり、さらに近々ドバイにもう1店舗、アブダビにも初店舗を開くという。現地人、欧米人中心に大人気で、俺も超久しぶりにドバイモールの一等地にある同店に行ってみた。昼のピークの時間を過ぎていたが、店内ほぼ満席であった。

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一番安いCHICKEN醤油ラーメンを頼む。52 AED と結構高い。見た目はまあまあで、スープも普通、チキンも悪くないが、いかんせん麺がソーメンの麺である。それでもネギ、シナチク、チキンの具材のシンプルな配置は日本的ではある。麺はこうした腰なしユルユル麺の方が海外では汎用性が高いのかもしれない。

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ネットで調べていたら、ドバイの Ibn Batuta Mall のなかのフードコートに、ichikura というラーメン専門店があり、評判高い記事もあったので、行ってみた。

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JAPANESE RAMEN HOUSE とあるものの、現地人向けのフードコートによくある、麺フニャフニャ、スープ濃いめ、具材イマイチのトホホ的ラーメンであった。塩ラーメン、32 AED。

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そして、おそらく日本人と現地人の両方を満足させようという野心的なお店が、ドバイの Dubai Design District という最先端のおしゃれな地区にオープンしていた。俺も噂を耳にしており、本日行ってきました。 

YUiという名のラーメン専門店で、韓国人と現地人が共同オーナー、日本から小麦を輸入して日本人コックが作っているという。塩ラーメン、50 AED。

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スープはさっぱりして美味しい。具材の味も悪くない。俺的には、麺が少し麦っぽいのが気になったが、これはUAE在の日本人も美味しいと思う出来栄えだと感じた。店の雰囲気含め、現地人や欧米人にも受けそうだ。

最後に、アブダビにある海外のスープヌードルを紹介したい。実は上述のどのラーメンより、俺はこっちの方が気に入っている。まずはフィリピン料理のカジュアルレストラン、Oriental Corner で出されるLomi というフィリピン風ちゃんぽん麺。とろみのあるスープに、太麺の麺が絡んでとても美味しい。

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もう一つは、Dragon Bao Bao Cafeteria。四人がけテーブルが4つほどしかない小さなお店だが、売りは自家製の中国刀削麺で、腰が入ったツルッツルの麺がびっくりするほど美味しい。少しピリ辛風のスープとの相性も抜群で、トッピングの牛肉も柔らかくて味が染みている。
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こうして書いているとまた食べに行きたくなるはど。ちなみに焼き餃子も羽根つきで美味しい。こうしたアジアの地場のスープヌードルは、価格もとても安い。前者は12 AED、後者でも22 AED である。

それにしても、この世界は多様であり、まだまだ奥が深そうだ。これからもこの国や海外のラーメン、スープヌードルの探索を続けていきたい。

急回復中

最初に病院に行って以降、ほぼ1週間安静に過ごした。腫れも目立たなくなってきたところで、再度病院に行って同じ皮膚科ドクターに診てもらった。もう大丈夫でしょうということで、おかげさまで帯状疱疹という症状はほぼ治癒したと思われる。ただし、今後も疲労やストレスが溜まると再発しかねないことをよく認識せねば。

さらに血圧も病院で再度測ってもらった時には130台と80台、家での測定では平均120前後と80前後と、だいぶ下がってきた。健康リバイバルプランが功を奏し、健康状態に向けて急回復と言えよう。

しかしながら、この1週間は酒量も急回復(苦笑)。日曜日は4日間の禁酒でついつい我慢できずに社員を誘ってパブ飲み。月曜日は日本からの出張者対応、火曜日は商社さんとの宴席でともにドバイ飲み。水曜日は異業種交流会、木曜日はドイツ系工事業者と社員で我が家で日本ウィスキーを飲む夕べと称する懇親会を開催。日本から持ち込んだ山崎と響を皆で機嫌良く楽しみましたね。

ドイツ人大喜び。

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最後に皆で乾杯!

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さらに金土の週末も親会社幹部来訪で2晩とも宴会。4日の断酒ののち、7日間連続飲みで、いわば債務超過状態。。まあ一回一回の飲み会では、爆飲みせずに自分では抑えたつもりだし、何より宴会や交流は楽しくでストレス発散できている気がしているので良いか。

今週は少なくともを連続2日間の休肝日を作るべく、今晩お誘いはあったが遠慮して大人しく家に帰った。またラジオ体操に加えて屋内ジムでのウォーキングや筋トレを始めた。引き続き運動、睡眠、食事、飲みの質と量のバランスを取りながら、健康リバイバルプランを推進していきたい。

「巨艦」に学ぶ

出向元の会社から、ありがたいことに『日経ビジネス』が毎週送られてくる。俺の日本関連の情報源は、日経電子版(ただし林真理子「愉楽にて」以外は斜め読みだけどね)と同じ系統のこの週刊誌のみであり、かなり偏っているなあ。

最新号(8月27日)の特集は「三菱重工 巨艦はこうして蘇った」。日本の重厚長大製造業を代表する巨大企業が、至近4代の社長のもとで、20年の歳月をかけて行ってきた経営改革が、身を結びつつあるというものだ。豪華客船での損失、MRJの度重なる納期遅れ、いったん公表した日立との事業統合の取りやめなど、最近では巨艦の迷走ぶりが目立つ印象だっただけに、興味深く読んだ。

宮永社長インタビュー。過去の振り返り、現在、これからのあるべき姿。

そうした中で、事業所(普通の会社でいえば工場)が強い体制は社内で健全な競争を生み出し、需要に応えてきました。だた、日本の社会インフラが成熟してくると、我々のこれまでの役割は小さくなっていった。商習慣、言語も違う世界に打って出なければいけなくなったのです。そういう競争の環境が変わった時に、適応できるような体制になっていなかった。それが問題だったのです。

成功して褒められてきたから、どうしても井の中のかわず的なところが出てしまう。世界の競合は常に相手との差異化を図っています。少しでも努力を怠ると負ける。だから恐怖心を持ちながら必死に努力する。その謙虚さが成長につながります。国際的にビジネスをするには、こうした謙虚さは必要です。

MRJ開発では私が主催する委員会を立上げ、月に2度くらい報告を受けています。週報はこの1年くらいすべて読んでますよ。何が起こっているのかを把握し、納得ができ、課題も見えてきた。これならいけると感じています。こうした難しいプロジェクトは指揮命令系統が1つでないといけない。

世の中が、日本社会が、どう変わっていくか意識していかないといけません。いつも謙虚で頼りになるエンジニアで、お客様の先のニーズを勉強しながら一緒にやっていける。いわゆる未来志向のバイプレーヤー(わき役)であればいいと思います。社会、経済、産業がどう変わっていくか、です。こうあるべき、ではなく、大事なのはメガトレンドを一生懸命意識して、社会の変化に合った中で貢献できるものを探していくことです。

組織改革の手法その1。迫る自立経営。

(赤字だったエアコン事業会社)そこで西岡氏が打ち出したのは設計・技術力の強化という原点回帰だ。ただ、設計や設備への費用を増やすには、新たな資金が必要になる。もう赤字を垂れ流す甘えは許されない。三菱重工はこの頃から、思い切った手を打つようになる。各事業部門に迫ったのが、「自立経営」だ。

早期に稼げる体制を作り出すには、エアコンなど投資回収期間の短い「中量産品」の部門を中心に自立経営に切り替えるのが近道だった。

エアコン事業も他者に切り売りされてもおかしくなかったが、踏ん張った。作れば作るほど赤字になる体質をどう改善するか。その上で、西岡氏に突きつけられた「安くて売れる製品」をどう作るか。

(タイのエアコン会社社長)佐々倉氏は「タイ工場では今でも1秒の短縮と1円の経費削減に努めている」と話す。事業が消える危機感をバネに、自ら企業体質を律したことで生まれたコスト意識。今では、キャッシュフロー経営を目指す三菱重工のお手本になった。

組織改革の手法その2。促す脱・自前。

(本体から切り離され、いくつかの変遷を経て2017年に4社が統合してできたフォークリフト事業)通常、歴史も文化も異なる企業や事業部門を統合しても、経営トップをたすき掛け人事にしたり、社員も出身母体を気にしたり、と強みを引き出すには時間がかかるもの。だが、いくら「天下の三菱」出身といえども、そこは三菱重工から切り離された立場。しかも4社が母体となれば、どこと張り合えばいいかも分からない。

(海外事業との統合を選択した洋上風車事業)なぜ、デンマーク企業と手を組んだのか。そこには、小型ジェット旅客機「MRJ」や大型客船でも見られた、自社の技術と製品を過信して失敗した歴史がある。

組織改革の手法その3。壊す事業所。

宮永社長が社長に就任したのは2013年4月。三菱重工の慣例では最大5年が任期の社長職も、異例の6年目に突入している。もっと早く手を打つことができなかったのか。背後に見えるのは三菱重工特有の「事業所」の壁だ。長い歴史と伝統の中で事業所があたかも1つの会社のように振る舞う「ミニ重工」の集まり。日本では飛び抜けている技術力への過信もあり、本社の意向は軽視されてきた。

3代の社長が事業所の壁を少しずつ壊した。そして、ようやく1つの会社にまとまろうとしている。

「事業所最適から事業最適へ」という組織改革だ。各事業所で重複する製品の生産を集約したり、不採算事業を切り離したりと、「事業」ごとに再編を促す考え方だ。

組織改革の手法その4。外国人投入。

名古屋空港内にある三菱航空機の会議室。朝8時半、少し前なら考えられない光景が広がる。エンジニアらを集めて始まった「朝会」。取り仕切るのは、38歳の英国人、アレクサンダー・ベラミー氏だ。飛び交う言葉はすべて英語。それもそのはず、参加したメンバーの大半は外国人だ。どこにスケジュールの遅れが生じているか、どのセクション同士が連携すべきか。「以前はぼんやりと先を見据える中で作業をしていたが、今は優先順位がはっきりしている」。

38歳といえば、三菱重工のプロパー社員なら係長クラス。そんな「若者」を6度目の納入延期が許されないMRJの開発責任者に引き上げたのは、三菱重工社長の宮永氏に他ならない。

自前主義が増幅した航空機部門に、経験豊富でしがらみのない外国人のベラミー氏を「落下傘」として送り込み、くさびを打ち込んだ宮永氏。ベラミー氏自身は「今まだ7.5合目」と表情を引き締めつつも、こう自信をみなぎらせている。「どんな課題が出てきても、今の我々の組織なら対応できる」。

デジタル大競争時代。日本の製造業が生きる道。

「強みを認識してこそ柔軟な考え方を持てる。日本企業は周囲の力を使い自らの強さを磨く思考を持つべきだ」。

己の実力がわかれば、自らの弱点を補うために「外」の力を借りる覚悟もできる。誇り高きジェット旅客機「MRJ」の開発現場で少し前なら考えられなかった38歳の外国人が陣頭指揮を執れるようになったのも、三菱重工の現場の意識が変わった証だ。

「企業は結局、人だ。三菱重工には日本のトップクラスの理系人材が入社してしており、技術の潜在力は高い。新たに挑戦できる大らかな環境をつくって10年くらい我慢すれば、ドカンと大きな花火が上がる可能性もある」

その可能性は日本の製造業全体にも当てはまる。製造のすそ野が広い日本には多種多様な技術やノウハウを現場ですり合わせ、競争力の高い製品を作る出す強さがある。己を知り、外の力も借りる。愚直さに徹しながら、そうやって変化に向き合う三菱重工の姿は、日本の製造業が生き残る道の一つを示している。

弊社にとっても、意味ある視点が多々あった。やらなければならないことが、まだまだいっぱいあるね。