anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

レバノン共和国旅行記

地中海の東の端に位置し、北東をシリアに、南をイスラエルに囲まれた小国、レバノン共和国に行ってきた。レバノンを選んだ理由は、行ったことのない国(今後も出張含めて行きそうもない国)、片道3時間程度で行けて2泊3日でそこそこ回れること、歴史、文化、自然の香りがあるところを基準に選んだ(これまでのアルメニア、イランも基本同じ)。

出かける前にレバノンで知っていることと言えば下記3つほど。

  • 現代史において、フランスからの独立、イスラエル建国とパレスチナ問題、内戦など数々の苦難を経て、最近ではヒズポッラー(シーア派系イスラーム組織)の台頭、シリア難民対応など、中東の地政学的混乱の象徴のような大変なお国。安全的にもちょっと行きにくい国(ただし現在の日本外務省の危険レベルでは、首都のベイルート周辺は1と注意喚起のみ)。
  • レバシリ商人という言葉があるほど、レバノンとシリアは古来から辣腕ビジネスパーソンを生み出してきた。最近で言えば、カルロス・ゴーンはレバノン系フランス人、スティーブ・ジョブズはシリア系アメリカ人。
  • アブダビも含めて中東料理レストランと言えば、大半はレバニーゼ・レストランの看板がつくほど、レバノン料理は中東料理の代名詞となっている。また、最近は日本でも有名なPatchのチョコもレバノン本社。品質とセンスある人気商品を生み出している。

行く直前にネットでいくつか調べる。

  • 「中東のスイス」とも呼ばれたレバノンは、アラブ諸国のなかで唯一、不毛の砂漠がない国で、近隣諸国からの避暑地、また東西の貿易の中継点として栄えた。
  • しかし1970年代に内戦へと発展。現在でもイスラエルとパレスチナの問題は重くのしかかっており、特に南部では戦闘行為の危険性が高いが、南部を除いては、多くの観光客を引き寄せるほどに回復した。
  • レバノン観光の3Bと称されるベイルート、ビブロス、バールベックをはじめ、フェニキア、ギリシア、ローマほか各時代の遺跡が点在し、最近は観光名所の再オープンが相次いでいる。
  • 岐阜県くらいの面積に現在の人口は約600万人。アラブ人95%、アルメニア人4%。宗教的にはキリスト教(マロン派)が4割、イスラームが6割(スンニ派とシーア派が半々程度か)。
  • 山岳地帯が国土の6割程度あり、夏暑く(今は30℃半ば)、春は花が咲いて過ごしやすく、冬は山中心に雪も降るといった、日本のように四季がはっきりした国。

さらに機中と道中で、以下2冊の本を読む。

【中東大混迷を解く】 シーア派とスンニ派 (新潮選書)

【中東大混迷を解く】 シーア派とスンニ派 (新潮選書)

 
<中東>の考え方 (講談社現代新書)

<中東>の考え方 (講談社現代新書)

 

これが大変参考になった。前者の池内本は、テーマであるシーア派とスンニ派の対立の舞台として、イランとともにレバノンに1章を割いて、その歴史、政治体制、社会構造を詳しく描き出している。酒井本は中東の全体像を俯瞰する視野を与えてくれる。

以下、これらのインプットに加え、現地で見聞きした情報、体験と併せて、この遠くて危険そうな国、それでも大変魅力的な国を、大雑把な歴史順に紹介して行く(素人記述であり必ずしも歴史的事実には沿っていない)。その際、現地ガイドが力説していた、8つのレバノンへの侵略者という区分を使ってみたい。

  1. ギリシャ人によってフェニキア人と名付けられたレバノン人は、古来から地中海貿易で活躍。最初の侵略者はエジプト王国だが、王国での建築物用の杉、さらに杉から出る油がミイラ保存用に貴重であったことから、これらの輸出で大いに繁栄。杉はレバノン国旗にもあり、この国のシンボル的存在。後述する民主革命もレバノン杉革命と呼ばれている。
    この時期に貿易の記録用にフェニキア文字を創設、この22文字がアルファベットの原型となった(その地がビブロスでバイブルの語源となる。ビブロスは世界遺産)。レバノン国立博物館にあるフェニキア文字。f:id:anezakimanAD:20180731023917j:imagef:id:anezakimanAD:20180731025014j:image
  2. アレクサンダー大王の大征服とともに、ギリシャ領となったレバノン。引き続き地中海交易の中心地として繁栄。
  3. ローマ帝国領土となるも、ローマはこのレバノンには格別の配慮、本国よりも巨大な神殿をパールベックに築く(世界遺産)。たしかに目も眩むような荘厳さ。f:id:anezakimanAD:20180731022858j:imagef:id:anezakimanAD:20180731022947j:image
  4. アラビア半島で勃興したイスラーム帝国。この地はシリアのダマスカスを拠点としたウマイヤ朝支配下に。ウマイヤ朝のカリフの宮殿避暑地をアンジャーに建設。これも世界遺産。f:id:anezakimanAD:20180731023109j:imagef:id:anezakimanAD:20180731023223j:image
  5. 十字軍(キリスト教)来訪、一時支配下に入る。
  6. オスマン帝国が中東一帯を支配。イスラームの巨大帝国下で、引き続き交易の中心地として栄える。
  7. 第一次大戦でオスマン帝国滅亡。有名なサイクス・ピコ条約の英仏の策略の元、シリア、レバノンはフランス領に、パレスチナ、ヨルダンはイギリス領に分割される。
  8. 第二次大戦後、独立。ベイルートは中東のパリと呼ばれるほど繁栄。ただしフランス支配下で確立したキリスト教マロン派、イスラームのスンニ派、シーア派の3宗派の争いがパレスチナ難民流入もあって顕在化。ついに1975年から15年に渡る内戦に入る。これでベイルート市内は壊滅的被害。内戦直前にできたホリディ・イン・ホテル。戦乱の結果廃墟に。f:id:anezakimanAD:20180731022324j:image1982年にはヨルダンを追い出されてレバノンに大量移民してきたパレスチナ人を巡ってイスラエルが侵攻。21世紀に入り、独立後も強い影響を持っていたシリアを排斥しようとした土建屋的再建政治家、ハリリ首相(日本でいうと田中角栄か)の爆殺をきっかけとした民主革命(レバノン杉革命)が起き、シリア軍を撤退させた。爆殺された元首相と一緒に犠牲になった人々の慰霊碑が市の中心部に。f:id:anezakimanAD:20180731023327j:imagef:id:anezakimanAD:20180731022410j:image現在はヒズポッラー(シーア派系イスラーム組織)の台頭でイラン・サウジの代理戦争化の危惧、100万人規模のシリア難民対応で、引き続き政治的には不安定な状況。日帰りツアーの道中に散見されたシリア人難民キャンプ。f:id:anezakimanAD:20180731024552j:image

何という苦難に満ちた歴史だろうか。侵略者と言えば、歴史上優しかったアメリカしか経験のない我々の想像を絶するね。

さて、こんな歴史を背負った国民は一体どうなるのか。お世話になった中年男性ガイド氏は、英仏語ペラペラでバスの中でずっと2カ国語で喋りまくり、自分の人生哲学を披露するインテリ風。彼曰く、我々は自由と寛容を尊ぶ。いろんな意見、考えがあり、それを言うのは構わないが決してフォースしないと。それがレバノン人の矜持だと。

また空港からホテルの行くタクシーでは、きっちり40ドルとぼられた(俺は空港認可タクシー、これが通常のレベルだと運転手氏。ところが普通は20-25ドルが相場だと後で知った)。一方帰りのタクシーでは、朴訥なおじいさんタクシーに出会い、10数ドルと大変良心的な値段だった。

多様で困難な歴史が織りなす社会と文化の深み。人々のたくましさ、したたかさ、多様性、柔軟性、複雑性。いろんな感慨が得られた充実した3日間であった。