anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

ニッポンラーメン図鑑

いよいよアブダビの酷暑がやってきた。日中の最高気温は45℃前後まで上がり、朝晩でも30℃を下回らない日々が続いている。 ぐったりする暑さだ。そんな酷暑を少しでも忘れてニッポンを懐かしむべく、前回帰国時に一都三県で食べ歩いたラーメンを思い出したい。

最初はちょっと変わり種。田舎に行く途中の茨城県のサービスエリアで食べた、レモンの入った魚介ベースの塩ラーメン。酸味が効いてあっさりで美味しい。

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新潟で最近はやっていると聞いて食べてみた麻婆豆腐ラーメン。まろやかな辛さが口の中で和やかに広がる。

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 続いて味噌味。新潟のみそラーメン。ベースがかなり濃厚で、お湯を入れて調整する。

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こちらは都内で食べた山形辛みそラーメン。

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 俺の王道はやっぱり醤油味。新潟で食べたモヤシラーメン。あんかけ野菜たっぷりで美味しいけど、このボリュームは肉体農作業者御用達、さすがに食べきれない。

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帰国したら一度は食べたくなる、さっぱりスープで太麺の喜多方ラーメン。

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今回のベストはこれ。新潟で食べたシンプルな醤油ラーメン。透き通った優しいスープに細麺、焼き豚、メンマ、ねぎの基本忠実トッピング。これぞ、ザ・ニッポンのラーメン。

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全部美味しーい。やっぱりラーメンは日本のソウルフード、文化、と同時に多彩で進化しているねえ。ニッポン、恋しい~。。

全開!アブダビライフ

アブダビに戻ってからほぼ一週間経過。この間、監禁生活的な自主隔離もなく、この第3の拠点で敬愛する人たちとの交流中心に、初日からフル活動であった。

月曜日。アブダビ空港に定刻通り朝4時に到着。ガラガラの空港でPCR検査を受けて帰宅。その日朝から出社して終日仕事。夜は会社同僚と TOKIで無事帰国の懇親会。

火曜日。この日からラマダン明けの休暇に入る。朝散歩した以外は終日荷物整理、読書、昼寝などして心と体を休める。

水曜日。日中は同じく家でゴロゴロ。夕方からアブダビ自転車部の活動で Al Hudayriat島を3周30キロ。

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ほぼ一か月振りのアブダビランであった。その後反省会でビール、ワインを飲む。

木曜日。朝、Yas島フルコース、30キロを走って少し休憩して、お昼を友人Mさんの家にご招待いただく。中華をつまみにビール、日本酒、ワイン。17時に散会となったが、勢い止まらず会社同僚と再び中華レストランで紹興酒の2次会。

金曜日。朝の8時から自転車部の課外活動でキャプテンM氏の元での海上活動。

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2つの島に行って散策したり、

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泳いだり、プカプカ浮いたり。

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結果、真っ赤っかに日焼けして茹で蛸状態。。

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その後、皆でフライデーブランチを楽しむ。さらに夜は商社友人のS氏と二人でバーで一杯。野外飲みはかなり暑くなってきたが、夜景を見ながらバブリィーに楽しむ。

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土曜日。夕方アブダビ帰国6日目に義務付けられているPCR検査を受け、そのまま市内でY先輩と中華レストランで会食。日本の土産話やお互いの近況報告で盛り上がる。

という具合で、帰国後の自主隔離無しを最大活用、満喫したことでありました。でもちょっと飛ばし過ぎか、疲れましたね。。

日本からの帰路で思ったこと

4月後半から5月前半の26日間の日本滞在を終えて、アブダビに帰る機中でこれを書いている。3泊4日のホテル缶詰とその間に聞かされた父の訃報、10日間の田舎の実家で母や親族、ご近所さんと過ごした日々、そしてまん延防止重点措置下での12日間の家族との時間。この間、両国を挟んで会社仕事にも勤しんだ。

改めて気づかされたことがあった。とてもありがたいことに、今の俺には心と体の拠り所とも言える場所が3つもあるということだ。生まれてから18年間生活してきた田舎。当時は地域の濃密な人間関係が嫌で、何もない田んぼ街が退屈だった。今回、父の病気、入退院、家での看護、最期の看取り、その後のフォローという一連のプロセスを見たり聞いたり、そして体感してきて、家族親族の温かさ、近隣住民の優しさと助け合いの精神に触れてちょっと感動している。俺自身もこうした人たちとの交流を楽しんでいる。さらに素晴らしい自然と恵み。

横浜の今の家は、住み始めてから16年だ。いろいろな偶然が重なって、ここに居を構えることになった。元々良いところだと思っていたが、今回数日会社に出社した以外はどこも外に出れない中で、家の近隣を散策して再発見することも多かった。何度かアップしてきたが、横浜という大都市圏ながら、ちょっと出ただけで緑の大地、木々と水の流れがたたずんでいる。

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金沢自然公園では鯉のぼりが羽ばたいていた。

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ここには世界各地の草原動物が揃っている金沢動物園もある。

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俺はまだ見たことはないが、ほたるも生息しているらしい。

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車から10分ほどで、横浜の野菜農園地帯に行ける。

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まるで田舎の実家周辺の風景。

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家の近所にもハウスがあってそこで採れた野菜の即売をやっている。

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近隣の人に大人気で、この時期トマトが最高に美味しいと聞いてトマト愛好家の俺も行ってみたが、時遅し、最後の野菜も売り切れていた。。

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今回、久しぶりに別の山ルートを散策中、富士山を“発見”してしまった。

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もちろん、家族、愛犬との家での日々は最大の癒しだ。夜の外食は寿司と焼肉の2回のみ。あとはすべて家食。外で飲めない分、家でのアルコール摂取量は相当増えたけど。。

そして3つ目は今の拠点、アブダビだ。この中東の地で生活し始めて3年8か月。単身の寂しさはあるが、日本人同僚含めた社員百数十名と一緒になって一つの目標に向かって汗を流し、切磋琢磨し合う日々。そしてアブダビ自転車部を中心とした、日本人コミュニティーの皆さまとの楽しく充実した交流は、これまで書いてきた通りだ。

嬉しいことに、アブダビを出国する1か月前には厳しかったアブダビ再入国規制が、帰る今になって相当緩和された。UAE政府は4月末から日本をグリーンカントリーに追加してくれたが、足元日本も第四波真っ最中で帰る頃には取り消されるのではないかと冷や冷やしていたが。

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俺はワクチン関係もすべて条件を満たしているため、今回はリストバンド付きの自主隔離がなくなった。帰国デイワンから即座に活動開始可能だ。

そして今、その第3の拠点に帰るわけだが、少しワクワクしている。これまでは日本での楽しい日々のあとの帰路は、足が重くなることが多かったけれど。これから更に活発な活動や交流を通じて、この地でも新発見、再発見していきたいものだ。

今、アブダビの同僚、友人、愛する人たちに逢いにゆきます。

自宅、そして山に帰る

2021年4月が終わった。いろいろあったひと月であった。月の前半はアブダビで自転車部を中心とした交流を活発に実施、ドバイで楽しんだりした。月の半ばに父親の容態が急変、日本に飛び帰り、田舎で10日ほど過ごした。その後ようやく横浜の自宅に戻った。この間、喜怒哀楽の激しい、ジェットコースターのような日々であった。

日本は今、大型連休の真っ最中、且つコロナ禍による規制の真っ只中である。出向元の会社のある東京は緊急事態宣言下、家のある横浜はまん延防止等重点措置区域で、何れにせよほとんどの外食屋は、酒類の提供を終日停止している。会社関係でもプライベートでも外で楽しむという感じではなく、家で家族とのんびり過ごしている。

そんな中、1月に帰ったとき同様に、鎌倉までの山道を散策した。やはり山が恋しく、特にこの時期のまばゆい新緑を体感したかった。今回は鎌倉五山第一位、臨済宗建長寺派総本山の建長寺まで歩くことにした。建長寺は北鎌倉にあり、鎌倉行きでは通常目指す鶴岡八幡宮よりもさらに山道を先に行く。

晴天微風で気温21度、湿度50%という絶好の散策日和。朝10時前に家を出て、山道に入る。鮮やかな新緑の色と香りに気持ちがリフレッシュされる。

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大型連休中でもあり、ハイキング愛好家の間では鎌倉アルプスとして知られる散策道は、数分間隔で散策者に出会うなど結構な賑わい。日本らしく、80%程度の人がこんな山道でもマスクをしていて、残りのうち15%程度はすれ違う際にマスクを着けたりタオルで口を覆ったりしていた。俺もマスクを着けているが、時々外して新鮮な空気を思いっきり吸い込む。

歩きで家から建長寺まで、昔は2時間以上かかっていたが、アブダビで鍛えた足腰のせいか、1時間40分で建長寺の山側入り口、勝上嶽展望台にたどりつく。

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そこから眺める建長寺。

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急峻な階段を下り、入山料500円を払って寺に入る。最初に出会うのは半僧坊大権現に仕える12体の天狗像。愛らしくも滑稽な姿。

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仏殿に控える仏様。父親の安らかな供養と家族全員の健康をお祈りする。

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最後に入り口にある堂々たる総門。

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こうして鎌倉仏教の代表的な寺院を巡って仏心を掻き立てつつ、もう一つ、食欲の方を満たすため、建長寺の前にあるそば屋さんに寄る。ここはけんちん汁が名物。実はけんちん汁は建長(けんちん)汁から来ていて、もともとは建長寺のお坊さんの精進料理の一種だったという説だ。いわば本場のけんちん汁であり、ここでけんちんウドンを注文して腹ごしらえ。

外の席で正門を眺めながらのランチ。左にある学校は鎌倉学園中高校。サザンの桑田さんの出身校。

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白みそ仕立てのスープ、細麺のうどんの上に具だくさんで、あっさり美味!

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このあと、鶴岡八幡宮まで歩いて行って参拝して、1時過ぎに家に戻ってきた。

家族の待つ家に帰って、家の近くの新緑の美しい山を巡って、ようやく本当に日本に帰ってきた実感が湧いてきた、今日この頃でございます。

田舎散策

父親が亡くなってから10日目。この間、いろいろあってあっという間だったという感覚の一方、日本帰国から数えると11日目で、まだ2週間の自宅待機が終わらずに田舎に塩漬けで家族の待つ横浜に帰れないため、遅いなあ、早く来ないかなという感覚と、ミックスフィーリング状態。

喪失感、後始末のバタバタ、そして仕事も日・アブダビ両方と会議などが入って、気分が晴れない日が続いている。振り返ってみれば、この11日間は散歩も含めて外で体を動かせていない。

そこで気分をリフレッシュするために、不要不急な外出は控えて極力人との接触は避けよとの日本国政府のご意向は十分酌みながら、人出がほとんどない田舎街を散策することにした。

ちなみに日本での2週間の自主待機中の義務として、現実的には下記2つとなる。

  1. OEL(Overseas Entrants Locator、位置情報確認アプリ)を事前にインストール、通知設定をOnにする。位置情報を確認せよとの通知が1日2回あり、そのたびにアプリ上で現在地を更新、この時間と場所がおそらく記録されてチェックされる。
  2. 厚生労働省から健康状態確認のお願いメールが毎日1回、11時頃に登録メールアドレスに来る。そこにあるURL経由でウェブに入って、14時までに体温と症状に関する簡単な2つの質問に答える。

1が自宅待機の監視ツールとなるわけで、通知が来る時間帯もランダムで決まってないので、ずっと家にいる必要があるということのようだ。ただし通知が来た時間から現在地確認が遅れたりすることはあるわけで(例えば夜10時過ぎに来て寝ていたら朝になるなど)、また2回目が来てしまえばその日はもう無いと分かるなど、罰則規定の緩さ(氏名公表等の対象となりうるというだけ)と併せて、運用上の抜け道はある。

リストバンドで24時間監視、破ったら罰金約150万円というアブダビに比べたら牧歌的ではあるけど、日本ではもちろんそんなこと出来ないからね。俺はただ人のいない田舎街や田んぼ道を少し散歩するだけです、念のため。

トラクターで整備されて田植えを待つ田んぼ風景。このあと、代掻きという工程で水を張って田植えとなる。

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この辺りは酪農家も点在、可愛いファーム。

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俺が3年間通った中学校。入った時は新設の巨大校舎の印象も、今や老朽化も目立ってこじんまり。

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3年間、白球を追い続けたグランド。山がグランドの直前まで迫って、捕り損ねると山に入って探したものだが、今や柵で覆われ、ナイター設備まである。

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保育園。土地はふんだんにあるので大きい。

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そら豆を作っている家の畑。

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この季節の一番もので採れたてのアスパラガス。

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田舎の自然、郷愁、実りと食に触れて、気分転換を図っているけど、こんな看板を見つけると、足元のコロナ禍が暗い影を落としているね。

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もちろん俺も外食は控えて、県外人というか国外人として、家で鬱屈としながらも何とか過ごしております。

父を見送る

土曜日の朝、ホテルの部屋のドアノブに届けられたコロナ唾液簡易検査キットで検査実施。昼前に部屋の電話で陰性を告げられ、15時30分頃に迎えのバスに乗ってホテルを出た。いったん成田空港まで戻る。小一時間ほど時間があったので、空港ターミナル内のお店をぶらついていると、回ってないガラガラの回転寿司が営業中。思わず入って3品ほどつまむ。美味ぃー。

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その後迎えに来た横浜の家族と合流。再会の喜びもつかの間、そのまままっしぐらに俺の田舎に車を走らせる。

実家に着いたのが土曜日夜中11時40分。火曜日夜11時30分にアブダビに家を出て、ちょうど丸4日かかったが、なんとか父が待つ家に舞い戻ることができた。お棺の中の無言の父にお別れを告げ、翌日日曜日17時からの通夜、月曜日朝から出棺、火葬、そして葬式を、喪主として参加できることに何とか間に合った。

コロナ禍の今どきであり、通夜、葬式は家族葬ということで、親しい親族10名ちょっとで実施、また帰る前に近くに住む妹や親せきの人たちによって一連の儀式の手配、準備は済んでいた。俺はただ喪主として挨拶したり、お寺さんの対応をしたりと、その点では気は楽であった。

喪主挨拶も、親族のみだったので簡単に実施したが、家から出棺前に地域住民の人が集まってくれて、その数約20数名の前での挨拶の時は、少しアブダビ・スピリットを出させていただきました。以下その部分の抜粋。

私が海外から来たと聞いて、心配されている方も多いと思いますが、UAEという国はコロナ対策という意味ではとても進んだ国であります。国民に何度もPCR検査を受けさせて早期に陽性患者を特定して対処、私もこれまで、今回帰国の際の3回含めて合計21回のコロナ検査を受けていて、すべて陰性です。さらにUAEはワクチン接種率も世界第二位で、私も2回の接種を終えております。そういう意味では、日本国政府は認めないと思いますが、私は日本の中でも最も安心安全な日本人のうちの一人ではないかと思っています。
私はこれから10日間ほど、この家にいます。日本国政府は推奨してませんが、皆さんが嫌でなければ、ぜひ気軽に家に寄っていただき、亡き父の思い出話などを聞かせていただけますと大変嬉しく思います。

厭味ったらしく日本国政府に何度か言及、この辺り保守的な田舎の人々にどこまで伝わったか分かりせんが。

anezakimanの父、享年82歳。兼業農家として18歳から稲作作りに励む一方、建設会社に65歳まで勤務、さらに50歳からは農業関係の公務に付く。亡くなる直前のこの3月末まで勤め上げ、まさに農業と地域社会に一生を捧げた男。子供に対しては、寛容で任せてくれた父親であった。

母とともに一昨年アブダビに来てくれたことはとても楽しい思い出となった。

感謝しかない。合掌。

一連のイベントは終わったが、このあと香典等のフォロー、家の整理、遺産関連などやることが山積みらしい。。アブダビにはない、実家周辺のこんな風景に癒されながら、しばらくアブダビ日記の日本編が続きそうだ。

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緊急帰国も

病気で家で療養中の父親の状況が良くないとの報を受け取ったのが、ラマダン初日の火曜日の朝。週末まで持つかどうか分からないとのこと。すぐに帰国のEtihad便を確認し、最速の水曜日1時10分発、すなわち実質当日夜行便に予約を入れる。

それからPCR検査会社に連絡し、通常は24時間以内結果がExpressサービスだと8時間以内で結果が受け取れることを確認(ただし料金は通常 AED 65に対して AED 280。。止む無し)、朝イチで検査を受けに行く。

その後出社し、残り仕事をやっつけ、当面の段取りをつけ、夕方PCR陰性結果を受け取りに検査会社に行く。やれやれ、これで帰れると一息つく。それから当分参加できないアブダビ自転車部の活動に合流。Hudayriat島で10キロを走り、反省会でいつもの中華料理屋で晩飯を食べる。いったん家に帰って簡単にパッキングをして、アブダビ空港に向かったのが23時30分。

ここで足元厳しくなっている日本政府の「新型コロナウイルス感染症に関する新たな水際対策措置」に従って、出国前にやったことは下記(4月前半時点)。

  • 出国72時間前以内に受けたPCR陰性証明書。現地の病院や検査会社が発行する陰性証明書以外に、厚生労働省WEBから出力要の日本政府指定フォーマットでの発行者のサイン書類が必要、入国時にはこちらの方が必須
  • 厚生労働省WEBで質問票に事前入力。この結果のQRコードをプリントアウトして持参
  • 2つのアプリのインストール(日本でも可能だが出国前に済ませておくと楽)

そうして飛行機に飛び乗る感じでアブダビを発ち、成田空港に着いたのが定刻通りの16時。ここで書類チェック、唾液検査、QRコード確認、アプリの確認、WhatsApp受信確認など、実に9か所ほどでのチェックポイントを経て、最後に唾液検査結果を受け取って入国審査、税関審査を終えて、バスで近くの東横イン・成田空港に着いたのが20時。到着してから4時間掛かった。。さすがにぐったり。ここで日本入国以降の政府規制を整理しておくと。

  • 入国日翌日から3日間の指定ホテルでの強制隔離。部屋からも一歩も出れない、文字通りの隔離。
  • 入国日翌日から14日間の自主待機。この間、健康フォローとして位置情報の確認、ビデオ通話やメールによる状況確認。

ということで、本日は3日間の指定ホテルでの強制隔離期間の2日目。典型的ビジネスホテルの狭い部屋で、

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朝昼晩と部屋の外に届けられる和食弁当。確かにアブダビで食べるサミット・トレーディングさん提供のサミ弁よりも美味しいけど、

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運動もせずに狭い部屋にこもって、カロリーたっぷりの豚生姜焼きやフライを食べ続けていると飽きてきた。いわばブロイラー状態で体もやや重い。。

日中は仕事をしたり、家族と電話で話したりして過ごし、夜は酒も厳禁のため早々にベッドに入る。窓の外から見える朝日や飛行機に少しは癒されるけど、退屈ではある。

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そうした中、残念ながら父親の訃報を昨日の朝方、ホテルのベッドの上で聞くことになった。空港から直行できれば最期に立ち会えたとの痛恨はあるが、せめて同じ日本にいれて良かったと思わねばならないかもしれない。親父がそこまで頑張って待っていてくれたと感謝して。