anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

「巨艦」に学ぶ

出向元の会社から、ありがたいことに『日経ビジネス』が毎週送られてくる。俺の日本関連の情報源は、日経電子版(ただし林真理子「愉楽にて」以外は斜め読みだけどね)と同じ系統のこの週刊誌のみであり、かなり偏っているなあ。

最新号(8月27日)の特集は「三菱重工 巨艦はこうして蘇った」。日本の重厚長大製造業を代表する巨大企業が、至近4代の社長のもとで、20年の歳月をかけて行ってきた経営改革が、身を結びつつあるというものだ。豪華客船での損失、MRJの度重なる納期遅れ、いったん公表した日立との事業統合の取りやめなど、最近では巨艦の迷走ぶりが目立つ印象だっただけに、興味深く読んだ。

宮永社長インタビュー。過去の振り返り、現在、これからのあるべき姿。

そうした中で、事業所(普通の会社でいえば工場)が強い体制は社内で健全な競争を生み出し、需要に応えてきました。だた、日本の社会インフラが成熟してくると、我々のこれまでの役割は小さくなっていった。商習慣、言語も違う世界に打って出なければいけなくなったのです。そういう競争の環境が変わった時に、適応できるような体制になっていなかった。それが問題だったのです。

成功して褒められてきたから、どうしても井の中のかわず的なところが出てしまう。世界の競合は常に相手との差異化を図っています。少しでも努力を怠ると負ける。だから恐怖心を持ちながら必死に努力する。その謙虚さが成長につながります。国際的にビジネスをするには、こうした謙虚さは必要です。

MRJ開発では私が主催する委員会を立上げ、月に2度くらい報告を受けています。週報はこの1年くらいすべて読んでますよ。何が起こっているのかを把握し、納得ができ、課題も見えてきた。これならいけると感じています。こうした難しいプロジェクトは指揮命令系統が1つでないといけない。

世の中が、日本社会が、どう変わっていくか意識していかないといけません。いつも謙虚で頼りになるエンジニアで、お客様の先のニーズを勉強しながら一緒にやっていける。いわゆる未来志向のバイプレーヤー(わき役)であればいいと思います。社会、経済、産業がどう変わっていくか、です。こうあるべき、ではなく、大事なのはメガトレンドを一生懸命意識して、社会の変化に合った中で貢献できるものを探していくことです。

組織改革の手法その1。迫る自立経営。

(赤字だったエアコン事業会社)そこで西岡氏が打ち出したのは設計・技術力の強化という原点回帰だ。ただ、設計や設備への費用を増やすには、新たな資金が必要になる。もう赤字を垂れ流す甘えは許されない。三菱重工はこの頃から、思い切った手を打つようになる。各事業部門に迫ったのが、「自立経営」だ。

早期に稼げる体制を作り出すには、エアコンなど投資回収期間の短い「中量産品」の部門を中心に自立経営に切り替えるのが近道だった。

エアコン事業も他者に切り売りされてもおかしくなかったが、踏ん張った。作れば作るほど赤字になる体質をどう改善するか。その上で、西岡氏に突きつけられた「安くて売れる製品」をどう作るか。

(タイのエアコン会社社長)佐々倉氏は「タイ工場では今でも1秒の短縮と1円の経費削減に努めている」と話す。事業が消える危機感をバネに、自ら企業体質を律したことで生まれたコスト意識。今では、キャッシュフロー経営を目指す三菱重工のお手本になった。

組織改革の手法その2。促す脱・自前。

(本体から切り離され、いくつかの変遷を経て2017年に4社が統合してできたフォークリフト事業)通常、歴史も文化も異なる企業や事業部門を統合しても、経営トップをたすき掛け人事にしたり、社員も出身母体を気にしたり、と強みを引き出すには時間がかかるもの。だが、いくら「天下の三菱」出身といえども、そこは三菱重工から切り離された立場。しかも4社が母体となれば、どこと張り合えばいいかも分からない。

(海外事業との統合を選択した洋上風車事業)なぜ、デンマーク企業と手を組んだのか。そこには、小型ジェット旅客機「MRJ」や大型客船でも見られた、自社の技術と製品を過信して失敗した歴史がある。

組織改革の手法その3。壊す事業所。

宮永社長が社長に就任したのは2013年4月。三菱重工の慣例では最大5年が任期の社長職も、異例の6年目に突入している。もっと早く手を打つことができなかったのか。背後に見えるのは三菱重工特有の「事業所」の壁だ。長い歴史と伝統の中で事業所があたかも1つの会社のように振る舞う「ミニ重工」の集まり。日本では飛び抜けている技術力への過信もあり、本社の意向は軽視されてきた。

3代の社長が事業所の壁を少しずつ壊した。そして、ようやく1つの会社にまとまろうとしている。

「事業所最適から事業最適へ」という組織改革だ。各事業所で重複する製品の生産を集約したり、不採算事業を切り離したりと、「事業」ごとに再編を促す考え方だ。

組織改革の手法その4。外国人投入。

名古屋空港内にある三菱航空機の会議室。朝8時半、少し前なら考えられない光景が広がる。エンジニアらを集めて始まった「朝会」。取り仕切るのは、38歳の英国人、アレクサンダー・ベラミー氏だ。飛び交う言葉はすべて英語。それもそのはず、参加したメンバーの大半は外国人だ。どこにスケジュールの遅れが生じているか、どのセクション同士が連携すべきか。「以前はぼんやりと先を見据える中で作業をしていたが、今は優先順位がはっきりしている」。

38歳といえば、三菱重工のプロパー社員なら係長クラス。そんな「若者」を6度目の納入延期が許されないMRJの開発責任者に引き上げたのは、三菱重工社長の宮永氏に他ならない。

自前主義が増幅した航空機部門に、経験豊富でしがらみのない外国人のベラミー氏を「落下傘」として送り込み、くさびを打ち込んだ宮永氏。ベラミー氏自身は「今まだ7.5合目」と表情を引き締めつつも、こう自信をみなぎらせている。「どんな課題が出てきても、今の我々の組織なら対応できる」。

デジタル大競争時代。日本の製造業が生きる道。

「強みを認識してこそ柔軟な考え方を持てる。日本企業は周囲の力を使い自らの強さを磨く思考を持つべきだ」。

己の実力がわかれば、自らの弱点を補うために「外」の力を借りる覚悟もできる。誇り高きジェット旅客機「MRJ」の開発現場で少し前なら考えられなかった38歳の外国人が陣頭指揮を執れるようになったのも、三菱重工の現場の意識が変わった証だ。

「企業は結局、人だ。三菱重工には日本のトップクラスの理系人材が入社してしており、技術の潜在力は高い。新たに挑戦できる大らかな環境をつくって10年くらい我慢すれば、ドカンと大きな花火が上がる可能性もある」

その可能性は日本の製造業全体にも当てはまる。製造のすそ野が広い日本には多種多様な技術やノウハウを現場ですり合わせ、競争力の高い製品を作る出す強さがある。己を知り、外の力も借りる。愚直さに徹しながら、そうやって変化に向き合う三菱重工の姿は、日本の製造業が生き残る道の一つを示している。

弊社にとっても、意味ある視点が多々あった。やらなければならないことが、まだまだいっぱいあるね。