anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

アゼルバイジャン共和国旅行記・前編

アゼルバイジャン共和国の首都、バクーに行ってきた。金曜日にお休みをいただき、金土日の2泊3日での久しぶりの週末弾丸バックパッカー(WBP)の旅である。今回は会社同僚の日本人社員3人と一緒の合計4人の団体旅行であり、且つ我々の仕事に関係の深い分野の実地見学を兼ねた、いわば社員研修ツアーとなった。

バクーは米国と並ぶ近代石油産業の発祥の地である。近代石油産業の歴史の教科書と言える『石油の世紀・上』(1991年、ダニエル・ヤーギン著)にはバクーに関して以下の記述がある。

何世紀も前から内陸の海、カスピ海に突き出たアブシェロン半島で石油がにじみ出ている状況は知られていた。コーカサス山脈が東に延び、海に没するまでの荒涼とした地域である。十三世紀、マルコ・ポーロはバクー周辺に石油を出す泉があると聞いた。そして、食料にはならないが、燃やすのによく、ラクダの皮膚病をよく治すと書き残している。バクーはまた、拝火教(ゾロアスター教)が信仰する”永遠の火の柱”があることでも知られていた。この日の柱は、散文的に言えば、油層中に溶け込んでいた可燃性ガスが多孔質の石灰岩の隙間から漏れ出て燃えているということになる。

こうした豊かな地下資源をもとに19世紀初めにロシア帝国下で初期の石油産業が出現、その後ダイナマイト発明で有名なノーベル兄弟とロスチャイルド家が参入、米国のスタンダード石油(現エクソンモービル)も交えた世界石油販売競争が激化する。その中でも豊富な石油埋蔵量と世界初のオイルタンカーや鉄道輸送などの技術革新によって、20世紀初頭にはバクーは世界の石油生産の半分を占めるようになった。

このような”永遠の火の柱”や、近代石油産業発展の足跡を見て回るということが一つの目的である。そしてもう一つは我々の仕事でもあるパイプライン関連である。

今回の出発前に、キンドルでアゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアの3国を中心としたコーカサス地域の複雑な歴史、民族、国際関係を描いた下記本をひもとく。

同書によれば、1970年代には隆盛を誇ったバクーの石油生産も、無計画、乱開発により油井が荒廃し、1970年代以降、バクーの石油開発は細々と行われるだけとなり、ソ連の石油生産の拠点はシベリアなどに移った。

その後ソ連解体により、欧米石油会社のバクーへの参入、技術導入が本格化し、カスピ海に眠っていた海底油田、天然ガスの開発が進むことになる。こうして生産した原油・天然ガスを、ソ連解体後の地政学も踏まえたロシアを迂回しての欧州方面へ運ぶパイプライン建設がイシューとなった。その画期となったのがアゼルバイジャン、ジョージア、トルコを跨ぐ石油パイプライン(起点のアゼルバイジャンのバクー、中継点のジョージアのトビリシ、終点のトルコのジェイハンの頭文字を取ってBTCパイプラインと称する)であった。

そしてこのBTCパイプライン用の鋼管を生産、納めたのが当時日本にいた同僚のM氏と俺の会社であった。前述廣瀬本にもこうある。

ようやく建設が始まったBTCパイプラインだが、途中いくつかのトラブルが生じて、予定より半年以上も完成が遅れた。(中略)これらの困難を克服し、2006年5月に晴れてBTCパイプラインは全面開通した。日本の製鉄会社の最高水準の鉄材を使用し、大きな地震が起きても支障のないことが確認されている。

当時営業にいて本案件を担当していた俺は、受注はしたもののいつ正式に生産できるかなかなか決まらなくて、やきもきした記憶がある。このような縁のあるパイプラインがある国を訪れることも目的の一つであった。

以下時系列的に旅を追っていく。

金曜日

早朝3時に起き、アブダビ発6時のWIZZAIRでバクーへ向かう。遅れるLCCとして有名な同社だが(苦笑)、この便は予定より30分ほどの遅れで出発。途中、イランの砂漠の山岳地帯を経て、カスピ海沿いのバクーに到着。

f:id:anezakimanAD:20221010023228j:image

f:id:anezakimanAD:20221010023231j:image

さっそく荷物を宿に預けて行動開始。まずは奇抜なデザインの「ヘイダル・アリエフ博物館」。

f:id:anezakimanAD:20221010023945j:image

アゼルバイジャンの前大統領の名を冠し、同国の歴史、芸術、文化を展示してある近代的な博物館である。ここでさっそく出会ったのがBTCパイプラインの意義やルート概要の説明パネル。

f:id:anezakimanAD:20221010024003j:image

ちなみに一階のロビーには、こんな鮮やかな日本の草間彌生さんの作品が展示されていた。

f:id:anezakimanAD:20221010024316j:image

次は世界遺産にもなっている旧市街に向かい、ランチをとる。アゼルバイジャン料理は羊肉が多く、これがいける。スープやケバブを地元産のビールと赤ワインでのどを潤しながら美味しくいただく。

f:id:anezakimanAD:20221010025015j:image

f:id:anezakimanAD:20221010025019j:image

ややほろ酔い気分で旧市街外れの歴史博物館へ。ここでもいきなりパイプラインがお出迎え。

f:id:anezakimanAD:20221010025032j:image

こちらはBTEガスパイプライン(BTはBTCと同じ都市名から、Eはトルコの都市名から)。こちらの製造元はどうやら我々の会社ではない日本製の模様(笑)。

幸先よくパイプライン関係を視察でき、気分良くそのまま早めの夕食へ。旧市街のアゼルバイジャン料理の有名店、DOLMAに行く、店内は雰囲気たっぷり。地元音楽の演奏があったり、

f:id:anezakimanAD:20221010025924j:image

民族衣装をまとったスタッフに地元赤ワインをサーブしてもらったり、

f:id:anezakimanAD:20221010025928j:image

皆でカンパイしたり、

f:id:anezakimanAD:20221010025932j:image

そうして多様なアゼルバイジャン料理を楽しむのであった。

f:id:anezakimanAD:20221010025935j:image

すっかりお腹も心も満杯になって、カスピ海沿いに公園からホテルまでの道のりを、散歩も兼ねてゆっくりと歩いて帰った。

f:id:anezakimanAD:20221010030700j:image

f:id:anezakimanAD:20221010031111j:image

f:id:anezakimanAD:20221010030710j:image

途中、こんな奇抜なビルも。第二のドバイと言われている所以だね。

f:id:anezakimanAD:20221010030707j:image

この日はそのままホテルでバタンキュー。後編に続く。