anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

ウズベキスタン共和国サマルカンド旅行記

1月後半に日本からアブダビに戻って以来、仕事でもプライベートでも来訪者が相次いで忙しい日々が続いた。ひと段落したこの週末、久々に週末弾丸バックパッカーの一人旅を挙行した。行先は中央アジアの中心に位置するウズベキスタン共和国。その中でもシルクロードの中心都市、ティムール帝国が築いた青の都として知られるサマルカンドである。

FlyDubaiがサマルカンドまで直行便を飛ばしていて、片道3時間弱、往復料金3万円ちょっとでいける。さっそくリュック一つ背負って、夜行便でドバイを飛び立ち、翌日未明3時過ぎにサマルカンド国際空港に着いた。

深夜、ほとんど人がおらず、タクシーの看板も列もない。仕方なく10ドル(現地通貨で約114千ソル)と声をかけてきた男の車に乗る。近距離にもかかわらずホテルまで行くのに手間取り、結局ドライバーがホテルに電話して、ホテル従業員に近くまで迎えにきてもらった。

タクシー運ちゃんは余計に金と時間がかかったと称して、150千ソルよこせという。なんというぼったくりだろう。結局ホテルの人にも入ってもらって、130千で手打ちとした。ちなみに帰りはホテルの人に手配してもらって、空港まで15千ソルと十分の一ちょっとの料金であった。

初っ端、やや嫌な感じのサマルカンド入りであったが、そのあとはいろいろな縁にも恵まれ、大変充実した旅となった。以下時系列的に。

初日。

ホテルで朝食を取った後、歩いて10分ほどのサマルカンド観光の一大中心地、レギスタン広場へ。そこの3つの巨大メドレセ(神学校)をじっくり見て廻る。

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それから地球の歩き方で紹介していたサマルカンド・ツーリスト・インフォメーションセンター(以下STIC)に寄る。日本語を学んでいる現地大学生がツアーを企画販売しているという。そこでJICAから派遣されているIさんと学生さんと会い、ツアーの相談をする。

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午後にならないとはっきりしないということで、まずはバザール内のレストランで、この国の名物料理、プロフをIさんと一緒に食べる。ちょっと脂っこいピラフで美味しい。

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午後からはウルグベク天文台跡、

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シャーヒズィンダ廟群を見て、

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再びSTICに戻る。この日の夕方のワイン工場ツアーに参加可能、さらには希望すれば明日1日でのサマルカンドから2時間ほどの郊外のシャフリサーブスのツアーが出来るという。両方の参加を決め、ワイン25ドル、1日ツアー75ドル、合計100ドル相当の料金を払う。

そこからタクシーで10分ほどのワイン工場へ。そこで日本から卒業旅行中の大学生、T君と出会う。ワイン工場ツアーというので、ワイン醸造プロセスの見学でもあるのかなと思っていたが、ひたすら試飲するだけでした。。ロシアとイタリアのオバサン団体客に交じって、ワイン・コニャック10種のテイスティング開始。

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最初はアルコール10%程度の薄めの白ワインから始まり、徐々に重めになり、最後は40%超えのコニャックをすべて完飲。おばさん達とお喋りを交わしつつ、終わるころにはほろ酔い気分。

その後T君と随行のウズベキスタン大学生のI君と3人で、ビールを飲みに行こうと市街地のレストランに向かう。ムスリムのI君は飲まなかったが、T君と俺でシャシリク(ローカルの肉の串焼き料理)を食べながら、隣のビール工場で醸造された新鮮な12%生ビールをガンガン飲む。

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勢いがついて2軒目に繰り出し、I君の紹介でホテルのボールルーム会場のような場所へ。ここは家族や友人たちが集まって食事をして踊ったりして楽しむところだという。

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そこでT君とワイン1本空け、

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ご機嫌となり我々も踊りの輪に入り、10時過ぎまで楽しんで初日満了。

2日目。

朝9時、シャフリサーブスへのツアーのため、STICで落ち合う。同行は昨日のI君に加え、女子大生のJ嬢も参加。ドライバー入れて4人で出発。

途中、風光明媚な高原や峠に寄りながら、一路ティムールの生まれ故郷へ。

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ティムールのアク・サライ宮殿跡などの歴史名所を数か所歩き、レストランでランチ、そしてサマルカンドに戻ったのが夕方4時。ここでガイド役大学生お二人とお別れ。日本語で分かりづらい部分はあったが、いろいろな点に気を遣ってもらっておもてなし精神溢れた案内だった。また道中、いろいろな話題、意見交換でお互いの国を知ることが出来たと思う。I君、Jさん、ありがとう。

サマルカンドの歴史的名所で残っていたアミール・ティムール(ティムール一族が眠る霊廟)と、

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巨大なビビハニムモスクを回って、サマルカンド中心地の観光スポットはほぼカバー。

歩き疲れて小腹がすいたので、STIC近くのレストランで当地風うどんのラグマンで一休み。トマトベースのソースが麺にからんで美味。

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近くのカフェに日本人女性がいるとI君から聞いていたので、寄ってみる。JICA勤務の縁でウズベキスタン人男性と結婚され、今はこのカフェのオーナーというMさんとしばらくしゃべっていると、別の日本人女性が入ってくる。在インドの日系企業に勤務している Sさんで、4日ほどの日程でタシケント、サマルカンドを旅しているという。

このSさんと近くのローカルレストランで、シャシリクとビールの晩餐を一緒することになった。肉厚の各種串焼きがビールに合う。

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話しているうちに、出身地、ビジネス関連、一人旅好きなどの共通点が多く出てきて、旅や人生の話題で盛り上がる。こうしてサマルカンドの最後の晩餐を楽しんだことであった。

まとめ。

今回は何と言っても日本人や日本コミュニティーの方々との出会いが最大の収穫であった。サマルカンド在住で3人の可愛らしいお嬢さんがいるMさん、JICA派遣で当地の観光支援を行っているIさん、インドから旅行中のSさん、日本からの大学生のT君、そして日本語を学んでいる当地の大学生のI君とJ嬢。わずか2日の滞在でこうした人と偶然出会えて交流できたことは奇跡に等しい。一期一会のご縁に感謝。

こうしたベースがあるのは、日本人がほとんどいないサマルカンドで日本語を学ぶ学生のために、実践的な日本語を話す場を作ろうとして旅行者向けに簡易案内所を1999年に作った日本語講師の先生が発端だという。その後中断はあったものの、JICAの協力などを得て、現在のSTICの形になったとのこと。サマルカンドでのこうした出会いを作ってくれた関係の方々の、これまでの努力と熱意に深く感謝します。

他にも下記点が魅力的だと感じた。

  • ティムール帝国の巨大スケールで青を基調とした色彩豊かな遺跡の数々には、目を見晴らされた。あまり日本人には知られていない歴史的なヒーロー、ティムールとウルグべクの偉大な功績について、俺も今回初めて知ることになった。
  • こうした遺跡群は旧市街に固まってあって、すべて徒歩で移動可能。天気が良いこともあってあちこち歩き周り、初日3万歩(飲み屋はしごもあって。。)、2日目2万歩あるいていた。
  • 美味しくて安い地元料理の数々、プロフ、シャシリク。ラグマン。またビール工場直送の生ビール、ワイン工場でのワインなど。
  • 芸術・文化的なお土産も、モザイク模様のタイル、カラフルなお皿、コミカルな人形など盛りだくさん。前述のSさん、お皿を4個も買ってしまい、どうやって持ち帰るかと悩んでました。
  • 注意点として、観光都市サマルカンドにしてもホテルや観光案内等を除いて英語がほとんど通じない。この点、先の大学生に聞いてみると、ウズベキスタンの小中高の語学教育は大きくウズベキスタン語とロシア語に分かれていて、どちらかの語学を集中的に学ぶこともあり、英語授業の時間が限られているという。旧ソ連時代、そしてその後の政治経済情勢のなかで、国民の教育フォーカスとして自国かロシアかということなのだろう。その中で敢えて日本語を学んでいる大学生に、改めて敬意を表したいし応援したいところである。
  • 最後に、やはりこの国の皆さんの日本に対する敬意、親しみを随所に感じた。上述の日本語を通じた交流もベースになっていると思うけど、出会った多くのウズベキの方からどこの国から来たのと聞かれ、日本人というとニッコリしてこんにちは、ありがとうなどの片言の日本語で話しかけられた。

俺自身、歴史も含めてこの国のことはあまり知らなかったけど、今回の実質2日間の滞在を通じて、シルクロード交流の十字路を為してきたこの都市の人と歴史と料理が、大好きになりました。お薦めであります。