anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

居住VISA到来

昨年9月後半に赴任したので、アラブ首長国連邦に住んで4ヶ月超になる。当然、居住VISA(Residence VISA)が必要であり、入国早々の9月末に申請していた。それが本日、ようやくパスポートに Residence VISAのスタンプされたものを入手できた。実に申請から4ヶ月である。

いろいろ事情があるようだ。まず基本的な成り立ちからドバイに比べてアブダビは遅い。ドバイはサービス(物流、金融、観光)中心の経済であり外国人の就労による入国を支援する立場、一方のアブダビはそもそも保守的な政治都市であり官僚的である。

次に同じアブダビでも商社や金融などのサービス産業に比べて、製造業は圧倒的に遅い。通常のプロセスに比べると製造業の場合、申請プロセスに新たに一つの当局が間に入る。ここに申請書類が溜まってなかなか進まない。そこでのチェックもよく分からないところがある。俺の場合、一度は同姓同名の人間がブラックリストに登録されていたからといって申請が却下され、もう一度は登録番号が複数あったとの理由で却下された。俺と同姓同名(そんなにありふれた名前でない)の人間がこの国で以前何らかの悪さをした確率を思うと、とても信じられない。

3ヶ月半を過ぎた1月半ばに、なかなか進展しないことに業を煮やした俺は、以前東京の投資セミナーでその当局の幹部と名刺交換したことを思い出し、直接メールを出して面談を申し入れた。その面談で、当社日本人出向者のVISA取得に平均4ヶ月も時間がかかっていることを説明、苦情を言うと、そのエミラーティー幹部オヤジが言うには、信じられない、日本人は平均すれば3週間程度で下りるはず、一体どうなっているのかと。それは俺が聞きたいね。

それからは彼がエキスパタイズしてくれたおかげか、わずか2週間余りで全てのプロセスが修了して本日無事入手となった。ライトパーソン経由でないと、なかなか物事が進まないアラブ社会ではありがちなことかもしれない。その間、観光VISAが一度切れたので一旦オマーンに出国したり、罰金を払ったり、何よりもヘタなタイミングでは出国できないというリスクが付きまとうのが面倒だ。

これらに加えて、2月4日以降はUAEでのVISA申請する日本人含むすべての外国人に、「素行善良証明書」なるものが必要になるということが突然発表された。UAE以前に住んでいた国からの発行が必要で、日本では警察庁が発行するらしいがまだ詳細は明確でない。

また、至近でもオマーンとサウジが一部職業での外国人就労VISA発行禁止を発表した模様だ。米国大統領だけでなく、残念なことに世界はどんどん狭まっているようだ。

ご機嫌週末

週末の土曜日、のんびりしようかとも思ったが、金曜日に続いてこの日も歩いたり、久しぶりにカヤックやったりと身体を動かした。考えてみれば外に出て機嫌良く運動できる季節はあと1-2ヶ月しかないのだ。家にこもっている場合ではない、こもらざるを得ない時期がもうすぐ来るのである。

昼過ぎに家を出て、海岸の方ではなく陸地に向かった。そこには省エネ計画都市で有名な Masdar City がある。再生エネルギーで都市全体のエネルギーを全て賄うというもので、あちらこちらにソーラーパネルがある。

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その日は最高気温29℃とかなり暑くなっていて、バテバテになりながら中心となる Masdar Instituteまで1時間40分歩いてたどり着く。そこに日本食レストランがあることを調べて行ったので、遅めのランチを取った。その名も Sumo Sushi Bento。身もふたもない名前だが、メニュー、価格、ボリューム、味ともなかなか。お腹がへったので、チキンカツカレー、マグロ刺身、味噌汁を頼んで、豪華な昼食となった(112デュルハム = 約3,300円)

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すっかり満足し、再び元気になったので久しぶりにカヤックに車で向かう。1時間30分ほどゆるゆると漕ぎながらリラックス。鳥のさえずりが耳に心地良い。

そうして夕方6時過ぎに家に帰った。一人で簡単な晩飯を作って食べようと考えていたところ、隣家のトルコ人から会社の同僚とホームパーティーをやるから来ないかとお誘いいただいた。断る理由もなく、隣接した野外のバルコニーでトルコ人9人のディナーに参加させてもらった。旦那さんがバーベキューで焼いてくれたレッドスナッパー、奥様手料理のトルコ風ピラフとカボチャのお好み焼き風に舌鼓を打ちつつ、トルコ伝統蒸留酒のラク(水を混ぜて白くして飲む)をチビチビと飲みながら会話を楽しんだ。

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いやー、前日に続いて充実した週末であった。

Walkman in UAE

気候的にベストな昨今のこの国で、週末中心に歩き回っている。今年に入ってそれなりに歩いた記録は下記である(数字はiPhoneのヘルスケア)。

  • 1月6日(土)、11,164歩、8.8km、自宅近辺を散歩
  • 1月12日 (金)、17,325歩、11.2km、ドバイのPalm Jumeirahを半周強散歩
  • 1月16日(火)、11,230歩、7.7km、Yas Marina Circuitのアリーナを一周(F1コースを毎週日火の2日間一般開放している)

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  • 1月19日、16,346歩、10.5km、アジュマンの海岸、市内を散策
  • 1月26日(本日)、22,121歩、15.7km、家から Yas Islandまで歩く

歩くことは俺にとって唯一の運動であり、ストレス解消活動であり、頭と体を動かしながら探索して好奇心を満たすことであり、趣味である。

日本ではこうした人はいっぱいいると思うが、この国でこれだけ毎週歩いている人はいないだろう。本日は昼の気温25℃、ドライで爽やかな気候であり、散歩には最適な環境だが誰一人として歩いていない(もちろん俺の住んでいる周辺のことであって市中心部の海岸沿いなどにはいると思うけど)。

そもそも道が歩くように設定されていない。もちろん幹線を避けて一般道を歩くわけだが、歩道がないところも多く、砂の混じった道路外を歩くか、車がガンガン飛ばす中で車道のギリギリ端っこを歩くことを余儀なくされる。

本日のYas Islandまでの道のりはさすがに長かった。家を朝11時45分に出て、途中ベトナム料理の店でフォーを昼食として食べて休息を取った。そこまで1時間、そのあとひたすら歩いて2時間でYas IslandのIkeaに着いた。そこでちょっと買い物をして、そのまま進んでYas Mallのカルフールで食材を買って、帰りはタクシーでわずか15分で家に戻ってきた。。

こんなことに一体どんな意味があるのか、ただの趣味無しオヤジの暇潰しか、哲学者の深遠な思索のための散策か。答えがあるかどうか分からないが、歩くことの歴史的・文化的意味をテーマにした本を見つけ、読み始めている。

ウォークス 歩くことの精神史

ウォークス 歩くことの精神史

 

筆者は冒頭でこう記す。

たいていの場合、歩行とは二つの地点を結ぶほとんど無意識的な移動手段でしかない。しかし思索や儀式や観想と重なることによって、歩くという行為には特殊な領域が形成されている。それは手紙を運ぶ郵便夫や列車に向かうオフィスワーカーの動作と生理学的には同じでも、哲学的には異なる。つまり、歩行という主題は、わたしたちがありふれた行為に賦与している特殊な意味を考えることともいえる。食事や呼吸がさまざまな意味を担っているように、歩行が担いうる文化的な意味には大きな幅がある。セックスから宗教、さらに革命から芸術まで。ゆえにその歴史は、想像力と文化の歴史の一隅を占める。さまざまな時代の多様な歩行者たちとその歩行は、いかなる歓びや自由や価値を追求するものだったのだろうか。

これはなかなか興味を引くね。 まあとりあえずは難しいことは言わずに体と心の健康のためにせっせと歩くことにしよう。たとえそこに歩道が無くとも。

 

ヒト、本、旅

俺が敬愛する出口治明氏曰く、多様な価値観に触れて創造性を高めるには、ヒト、本、旅による出会い、啓発しかないと。そんなことが実感できた先週であった

ハムダなおこ氏代表の日本UAE文化センターが主催する、日本のお正月行事をUAEナショナルに紹介するイベントがシャルジャであるという。たまたま同僚から誘いを受けて、前回アップした本に共感したこともあって参加することにした。

そのイベントが土曜日だったので、UAEの全7首長国宿泊制覇の一貫で、前の晩にアジュマン首長国に泊まることにした。UAE一小さい首長国であり、人口20万人ほどの地味なエリアである。昼前後にアジュマン中心街に着いて、ホテルにチェックインした後は、アジュマン唯一の観光資源とも言える綺麗なビーチを散策した。

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なにをするあてもなく、3-4時間ほど海岸や港、モールをぶらぶら歩き回って、地元系ホテルに戻って食事をしようとしたら、ホテルレストランはイベント貸切で使えないという。

ちょっとイラっと来たので、それではタクシーで欧米系ゴージャスホテルのレストランに行って豪華な夕食を食べようとタクシーをホテル前で拾ったらインド人のタクシー運ちゃん曰く、「お客さん、お客さん、そんなもったいないことしなくとも、ビールやアルコールが買える店がすぐ近くにあるから、そこで飲み物買ってホテルレストランで食べ物を運んでもらったらいいよ、ぜひそうしなよ」と言われ、なんとなく素直な気持ちになってそうした。確かにビール3本を外で買って、ホテルでスープと鶏肉を運んでもらって、50AED(約1,500円)で済んだ。そしてその晩は機嫌よく寝れた。

翌日は評判高かったアジュマン博物館に朝一で出かけた。小ぶりながらも分かりやすい展示物で歴史と文化を紹介してあって好感持てた。

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その後、すぐお隣のシャルジャに移動して冒頭のイベントに参加した。そこでは日本の文化芸能紹介として、風呂敷、折り紙、書き初め、祭り、将棋やオセロ、ベイゴマやけん玉のコーナーがあり、UAEナショナルの人も大勢参加していた。

俺も久しぶりに書き初めに挑戦し、下手ながらも楽しんだ。

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空手の演舞、日本人と現地人が組んでのクイズ大会もあり、多様な企画、効率的な運営に感心しながらあっという間の3時間を楽しんだ。ハムダなおこ氏とは挨拶をして書籍へのサインをいただいたが、主催者でもありお忙しいそうだったので、それだけであった。今後またお付き合いできる機会があるだろう。

ヒトからの紹介、本での接点踏まえて、旅に出てヒトに出会って、それがまた広がる予感、そんなことが感じられたひと時であった。

読書:アラブからこんにちは

以前にも触れた、UAE男性と結婚されて同国在住30年近くになるハムダなおこさんの最初の著書。人間と歴史と精神文化の洞察力に溢れた筆致で、著者ならではのこの国に対する広範な知識知恵と経験、深い考察、冷徹な分析の一方であふれんばかりの敬愛、情熱がいかんなく発揮されていて、読んでいてとても感動し、共感した。

アラブからこんにちは

アラブからこんにちは

 

 エッセンスを抜き出す。この国の歴史、国民性。

  • たかだか四十年前には電気も水道も学校も病院もない、貧しい後進国でした。四十年前といえばそう昔ではありません。椰子の葉でつくった貧しい小屋が並ぶ砂漠に、石油が湧き出て、建国を宣言し、いきなり時代を吹っ飛ばして、世界で最もGDPの高い国に躍り出ました。西欧世界が何百年もかけて発展してきた世界に、わずか一世代で移行したのです。そのため、華やかな表舞台の裏には、膨大な無理と無茶を抱えています。
  • 湾岸中東の人々はとても情に厚く、深い寛容を持っています。人間を鋭く観察し、一度信頼した相手とは強い絆を持ちます。過酷な自然や運命を受け入れる覚悟を持ちあわせ、イスラームの戒律を守り、神を畏れ感謝して生きています。
  • 今は亡きザーイド大統領も、ドバイ首長も、この劇的な変化の渦中でいつも心に刻んでいるのは、「自分たちがどこから来たかを忘れない」ことだそうです。ですから夫も含め、その世代のUAE人は神に感謝することを忘れません。そして何事に対しても強く、懼れず、諦めず、寛容で慈悲の心を持ち、さらに柔軟なのです。

イスラーム信仰やアラブ社会について。

  • イスラーム信仰は信者個人と神との契約で成り立ち、どう信仰するかは本人の自由です。信仰の度合いは各個人で違うのです。
  • 目を凝らすような行為はアラブ社会では禁物です。またアラブの習慣では、何かを直截的に誉めることはタブーとされています。誉める代わりに、単に「マシャラー」と言うことで、話し手は賞賛を伝えることが出来るのです。「マシャラー」は邪悪の目に対する護符のような役目を果たします。直訳すると「アッラーがそのように創られた」という意味になり、「神がそう望んで、このような美しく素晴らしいものをお創りになった」という感嘆の表現となります。
  • ラマダーンとはイスラームで使うヒジュラ暦の九ヶ月目をいい、世界中に散らばるムスリムが、日の出前から日没まで、一切の食べ物を摂らない断食月。
  • なぜ神が断食を人間の義務としたのか。なぜそれを世界中のムスリムが千四百年間も変わらず続けているのか。なぜこうした修行を十五億もの人々が嬉々として受け入れ、精進し、毎年その期間が終わることを嘆くのか。その答えは簡単です。それは自分が幸福であることを教えてくれるからです。今日のご飯があること、眠る場所があること、自分のそばに家族がいること、家族と一緒に時を過ごせること、近所に自分を気に懸けてくれる人がいること、自分が貧しい人たちを援けられる立場であること、貧しい人たちに感謝されること、そして自分は家族とつながり、人とつながり、神ともつながっていること。そうしたささやかなことが人間の究極の幸福であると教えてくれるからです。
  • 人間という弱い存在が幸福を身に沁みて感じるためには、三十日間の長い期間が必要なのだと、改めて神の定めた義務の意味を知ります。一日を我慢することは誰にでも出来ます。しかし三十日となれば、生活全体を変える努力と心構えが必要です。食べない行為だけでなく、ラマダーン中は喧嘩をしない、大声を出さない、人に優しくする、喜捨に励むなど、多くの生活上のルールが増えます。それを家庭でも学校でも社会でも、人間の義務として繰り返し繰り返し教えています。
  • イスラームを国教とする国々では、西暦を採用しながらも年間行事の多くはヒジュラ暦に則っています。ヒジュラ暦は西暦より十一日ほど短く、どの行事も毎年少しずつ早まっていくために、日本人が考えるような季節との連動性がありません。多くの行事は、「月観測委員会」と称する法学者たちが夜空に浮かぶ新月を肉眼で見て決定します。太陰暦の一ヶ月は二十九日あるいは三十日で、新月を観るまでは正確にわからないため、どの行事の前も世界中のムスリムがそわそわして法学者の決定を待ち構えているのです。

初代UAE大統領、故シェーク・ザーイドについて。

  • シェイク・ザーイドは先進国の大統領である前に、人口百万人国家の部族長。
  • ザーイド大統領はいつでも「人々は連帯しなければならない」と説いていました。まさに部族長の考え方です。人類としても力を発揮するためには集団でなければならない。個人や小集団の力には限界があるのです。
  • (旦那さんの回顧)「きみには想像できないだろうが、UAEはつい三十年前までは、ばらばらの小さい部族集団だった。一九六〇年頃に石油が発見され、ようやく人間らしい生活が始まり、七つの首長国が合併して連邦国家に変わった。自分たちがナツメヤシの葉でできた掘っ建て小屋に住み、劣悪な衛生状態で、学校も病院もなく、新聞なども見たこともなく、井戸から水を汲んで生活していたのは、ほんのこの前なのだ。それからわずか三十年で先進国になった。石油が先進国にしたと思うかい?ちがうよ。立派なリーダーがいたから発展したんだ。サダム・フセインが何をしたか見てごらん。長い歴史と優秀な人民と、豊富な石油がある大国を三十年で駄目にした。シェーク・ザーイドとシェーク・ラシッドがいなければ、UAEはここまで来れなかった。そして彼らは逝ってしまった・・・」
  • 八十六年という長い人生を通じて、どれほどの人々の心をつかみ、希望という種を蒔き、育てる喜びと同時に水を撒く辛抱を教えていったか数え切れない。だからUAEはここまで来られたんだ。偉人が時代を選ぶのか、時代が偉人を呼ぶのか。シェーク・ザーイドのような人物がこの砂の果ての国に現れたことは、まさに神の恩恵だった。

湾岸諸国の国家形態について。

  • UAEをはじめ湾岸諸国は、歴史的にもずっと首長家(王家)が行政、法治を兼ねており、部族の頂点として民衆を治めてきました。もちろん長い歴史の間には出来の悪い首長もたくさんいました。
  • アブダビのザーイド大統領だって四男で、ケチで有名だった長兄を退位させて政権をとりました。シャルジャのスルターン首長も兄が殺害されて担ぎ上げられた学生首長でした。最近ではラッセルハイマのサウド首長が、とある山岳部族に支持されていた自分の異母兄を追い出して、別の山岳部族に支持されて皇太子(当時)になりました。UAEだけでなく、カタールも国王である父親の外遊中に、国外追放という形にしてクーデターを起こし、息子が政権を取りました。オマーンだって、父親であるスルターンを幽閉して息子が政権を取っています。急激な近代化に伴い、若くて柔軟な頭脳が国を率いなければとても発展できないことを見越すと、弟や甥や息子たちはクーデターを起こして政権を乗っ取ることがありました。だけど、どの場合も同じ血族から後継者が出ていることが、部族制を重んじる地域では安定の源となっています。
  • 石油やガスを掘るだけという人的・時間的投資のかからない莫大な国家歳入は、その全容が国民には知らされないまま、まずは首長家に入ることになっています。そこから「分配」されるのです。こうしたことすべてが、ひとえに頂点にいる人間の度量・裁量にかかっているわけです。
  • 「世の中にはこんな風に成り立つ国があるんだ。頂点にいる人間の裁量で、国家歳入を使って、個々人の悩みをゼぇんぶ解決しちゃう国が。これは簡単に判断を下さない方がいい。だって、結果的にはどういった国家が最も多くの困窮者を救済しているかは、わからないのだから」
  • 自国の困窮者を救えもせず、米国債を売ることで、要するに他国の資本で国民を支えている資本主義国家と、自国の地下から石油を掘ってそのお金で困窮者を救っている独裁王家の国と、どちらが正しい形なのかは簡単には判断できません。

そして我々に対する厳しくも愛情溢れるメッセージ。

  • UAEに働きに来た先進諸国の人間で一番顕著な点は、こうした時代の流れを見ずに現在だけで批判することです。「UAE人はろくに働かないのに給与が高い」、「能力のある人が本当に少ない。それなのに高いポジションをもらっている」、「仕事に責任を持つ人がいない。仕事は外国人部下に任せて、結果だけ自分のものにしている」などなど。
  • どの国にもその国独自の発展があり、選択の余地がなかった歴史があり、歴史のもたらす責任を背負う人々がいます。外国人としてUAEに来て、豊かな石油収入の恩恵に与りながら、さらに批判をするのは不遜です。
  • 願わくば、UAEに住む多くの外国人がこの国を愛し、歴史を理解し、未来を背負う若者を支援し、苦しい時代を耐えてきた老年層を慈しみ、その未熟・未発達な点を許して共生する意識を持って欲しい。追いつき追い越される相手ではなく、未熟を嗤う相手ではなく、人類の発展の歴史を塗り替えるような大成長を遂げた国として、その勇気と力を、同じ人類として誇って欲しいと私は願います。

はい、そう努力していきます! 明日この方と会えることになりました。

仕事、文化、遊び

先週は仕事、文化交流活動を活発に行った。週の前半、日本からも会社幹部が集い、重要パートナー訪問や大使館関連交流のほかに、俺にとって赴任してから最大の仕事となる自社取締役会があった。

説明・承認事項内容を何度となく修正して確定させ、それに沿った資料準備に年末年始から多忙となり、事前の打合せ、微調整を経て、当日を迎えた。議事進行、主要部分の説明を行い、取締役の突っ込みにときには冷や汗をかきながら、3時間超の会議を無事終えることができた。新任者の言うことをなるべく聞いて支援してあげようという気持ちが皆さんから感じられ、何とか勤められたのだと思っている。

直近の大仕事を終え、ホッとしたこともあり、週の後半は忙中閑ありとばかり、仕事の合間を縫ってソーシャル活動を活発に行った。出張者と一緒にまだ行ってなかったルーブル美術館アブダビを訪問した。

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展示が歴史順になっていて、古代文明から現代まで、絵画だけでなくいろいろな人類の創造物が展示してあって、1時間ちょっとしか時間なかったが、慌ただしくも興味深く観てまわった。有名なこんな絵も間近でしっかりと観て、また日本の文化芸術物(掛け軸、仏像、浮世絵など)もきちんと意味付けをして展示してあった。

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さらに前から行きたいと思っていた Abu Dhabi Falcon Hospital に行ってきた。

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この国の文化のユニークさにFalcon(日本語に訳すると「はやぶさ」のようだが、鷹の方がイメージが合う気がする)がある。昔から Falcon Huntingが有名で、特にSheikh Sayed初代UAE大統領がこの鳥を愛し、保護に力を入れたことからUAEの国鳥となっていて、UAE最大企業であるアブダビ国営石油会社(ADNOC)のブランドシンボルともなっている。この国では Falcon はペットではなく家族とのことで、Falconパスポートがあって、エティハド航空では金さえ払えばビジネスでもエコノミーでも席を取れるという。

そんなFalcon専門の病院が上記である。そこの2時間の見学ツアーが午前午後の1日2回あり、午後の部に参加した。担当者の熱心かつユーモラスなFalconの種類や生態の説明のあと、Falcon治療室にお邪魔して治療(といっても鼻や爪を削ったりが中心だが)を見せてもらった。

こんな風に目と耳を隠す布を頭部にすっぽりとかぶっていて、ちょっとユーモラスでとてもおとなしい。

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Falconを肩にかけてもらっての写真撮影サービスなどもあり、その後 Hospital内の見学、ちょっとした博物館を診て終了となった。

最後に、木曜日に旧知のインド人経営者のお宅に招待してもらって、一晩をそこで過ごした。家がドバイの Palm Jumeilahの先端にあり、ベランダからの景色が見事。

夜景と夜明け直後のブルジュ・アル・アラブ、ブルジュ・カリーファ周辺。

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夜遅くまでビールや日本酒を飲みながら会話を楽しみ、翌朝はその地域を2時間ほど散歩、さらに高級リゾートホテルでのマッサージで、心も体も十二分に癒された。

というわけで、新年度実質開始の1週間、いろいろなことがあり、文字通り疾風の如く突っ走った。

結婚披露宴に参加

前から知っている兄弟会社社長から、弟と息子の合同結婚披露宴の招待状が送られてきた。ご本人も、新郎新婦も、親戚縁者ももちろん現地人であり、それなりの由緒ある家系のファミリーのようで、好奇心もあり参加してきた。

男性(新郎側)の披露宴と、女性(新婦側)の披露宴の日取りも場所も別になっており、ここでもイスラームの男女隔離(特に既婚者の)が徹底されている。したがって披露宴での新婦友人の女性と知り合える密かな期待感もここではゼロである。

現地事情に詳しい知恵者として懇意にさせてもらっている某女史に、事前にヒアリングしたところ

  • 決まった式次第なし、ただ集まってお祝いを述べ、交流するのが基本。
  • 参加可否も事前に連絡する必要なく、その時間の中で自分が都合のつく時間に出向くことで結構。主催者側は大勢の参加を望んでおり、顔を見せて挨拶するだけで喜ぶ、長くいる必要はない。
  • 当日のプレゼント不要。プレゼントは後日本人たちの自宅に招かれたような場合に渡すのが通例。
  • ドレスコードは現地人以外は背広とネクタイで十分。

とのことだったので、仕事の合間を縫って会場のホテルに午後4時に駆けつけた。開宴の30分後だった。入り口で現地男性の伝統民族踊り(?)が披露されていた。

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中の会場はホテルのボールルーム的な広い空間で、周りにぐるりと椅子と所々に小さなテーブルが置かれている。まずは既知の主催者(新郎の父ならびに兄)としっかり挨拶、お祝いを述べ、新郎、親戚縁者に挨拶してまわった。その空間にはほぼ現地人男性一色で100人くらいいたであろうか。

その後空いている角っこの椅子に誘導していただいて着席、アラビックコーヒーやジュース、現地風お菓子をサーブされ、お香のお盆も定期的に回ってきた。

左隣の現地男性から話しかけられ、兄弟会社の幹部と分かり人事関係のこどなどで結構話が弾んだ。また右隣の高齢男性にも自己紹介、彼曰く今の改革路線、急激な世代交代は如何なものかと、どこの国でもあるような高齢者の不満を聞いて苦笑させられた。そうして30分ほどスナックと飲み物とおしゃべりを楽しんで、会場を後にして会社に戻った。

過日の要人Majlisの時もそうだったが、こうした場に出ると現地人と知り合えて交流の輪が広がって楽しい。それにしても現地の皆さんほぼすべての人が、日本に対する好意的な印象、感情を持っていることに、改めて先人の方々に感謝したい。毎日の慌ただしい時間のなかでリラックスできたひと時であった。