トルコ共和国旅行記・前編(イスタンブール散策)
エジプト古代文明(カイロ)、ギリシャ・ローマ文明(ナポリ、ポンペイ)と続く偉大な文明をたどるWBP旅の第3弾は、ビザンチン帝国・オスマン帝国で約1600年間首都として繁栄したイスタンブールである。
イスタンブールと言えば、俺の若いころ、庄野真代の歌う「飛んでイスタンブール」という歌が流行った。今回、どんな歌詞内容だったかと聞きなおしてみたが、
♪おいでイスタンブール 恨まないのがルール
♬飛んでイスタンブール 光る砂漠でロール
♫おいでイスタンブール 人の気持ちはシュール
などといったダジャレに使われただけで特に意味などなかった。。それはそれで斬新ではある。
さて、そんなことはともかく、イスタンブール行きの便を探していたら、アブダビから Pegasus AirlineというトルコベースのLCCが格安で飛ばしていることが分かった。往復料金で今のノンシーズンもあるだろうけど、AED 815、日本円にして24千円ほどである。しかも往路が金曜日の4時5分アブダビ発、8時イスタンブール着、復路が土曜日の21時35分発、日曜3時5分着と、実質金土の2日間が使えて仕事も通常通り可能という、WBPにぴったりの時間帯(苦笑)。
そうして先の週末、行ってきました、トルコ共和国。過去出張で3回ほど行ったことはあったけど、旅は初めて。行きの飛行機で地球の歩き方「イスタンブールとトルコの大地」を熟読し、テーマとしては下記2つと決めた。
- 過去の大帝国の名残で世界遺産ともなっているイスタンブールの旧市街の豪華絢爛な史跡巡りと、世界3大料理の一つとも言われるトルコ料理
- オスマン朝発祥の地でやはり世界遺産となっているイスタンブールから高速船で2時間ほどのブルサ訪問
まずはトルコならびにイスタンブール、ブルサ両都市のざくっとした歴史のおさらい。
- 330年にローマ帝国のコンスタンティヌス帝がビザンティウムに遷都、名前をコンスタンティノープルと改称。395年にはローマ帝国が東西に分裂、この地は東ローマ(ビザンチン帝国)の首都となった。
- 8世紀にイスラームが侵入して次第に衰退、11世紀からトルコ系王朝であるセルジューク朝の支配下、さらに13世紀にモンゴルの宗主権下におかれる。
- 1299年、オスマン・ベイがオスマン朝を成立させ、1326年にブルサを攻めて首都とする。その後中央アジアのティムール朝に敗れて一時滅亡するも復興し、1453年にはコンスタンティノープルを占領、ビザンチン帝国を滅亡させる。
- その後オスマン朝は領土を広げ、16世紀にはスレイマン大帝治下、東欧、北アフリカや西アジアにまたがる広大な帝国となった。
- 19世紀末から周辺国が独立し、第一次大戦ではドイツ側について敗戦国となり弱体化。1923年にムスタファ・ケマルの革命によりトルコ共和国成立。その際に首都はアンカラに移る。ケマルは「アタチュルク(トルコの父)」と呼ばれ、現在も国民に敬愛されている。
さて、まずはその偉大なイスタンブールの旧市街の探索。アブダビから朝方に着いたのは、昨年稼働した新イスタンブール空港ではなく、サビハ・ギョクチェン空港(韓国みたいな名前)というアジア側にある国内線やLCCメインの空港。そこからバスで1時間、ボスポラス海峡を渡り、ヨーロッパ側に入って新市街地のタクスィムに着く。さらに地下ケーブルや路面電車を乗り継いで、新旧市街地を分けているガラタ橋を歩いて渡って旧市街に入る。
ガラタ橋の上からアジア側を見る。
この橋は釣りをする人でいつもいっぱい。
観光地のメッカであるスルタンアフメットに到着したのが昼前。ちなみにイスタンブールの公共交通機関は多彩で使い勝手が良い。新旧市街地で歩きも含めてこうした乗り物を活用し、タクシー利用はなしで済んだ。
怒涛の豪華絢爛ツアー。オスマン朝の支配者の居城であったトプカプ宮殿。
この辺り一帯は高台の広場になっていて、20℃台前半の好天候も相まってとても清々しい。
最初はギリシャ正教の大本山教会、続いてイスラーム寺院に姿を変えられた、この街の歴史の象徴のようなアヤソフィア。
ここで東ローマ皇帝の戴冠式をやったと。
今や素人から見てもアラビア文字が見えるモスク風。
そしてカイロ、ナポリに続いてイスタンブール考古学博物館で古代芸術品鑑賞。ここでは紀元前5~3世紀の多くの石棺が圧巻。
アレクサンダー大王の石棺。王そのものの石棺ではなく、彫刻の題材から名づけられたという。
嘆き悲しむ女たちの石棺。
お次はスルタンアフメット・ジャーミィ、通称ブルーモスク。
もちろん現役のモスク。アブダビだとグランド・モスクでもお祈りの場は直接見れないが、ここでは入場制限はあるが、見たり写真撮ったりするのはOK。
そうして最後は中東最大級と言われるグランドバザール。金曜日の17時過ぎに入ったが、人の波であった。
イスタンブール旧市街の主要観光地5か所を駆け足で回った。そしてこの日昼夜で食べたトルコ料理の絶品の数々。
昼・食べ歩き編。海峡の船着き場にある名物屋台の鯖サンド。塩とレモンをたっぷり振りかけて食べる。シャキシャキした玉ねぎとの相性抜群。
トルコ料理名物の豆の煮込み風。
同じく代表的トルコ料理、ドネル・ケバブ。こちらはそれを薄焼きパンで包んで食べる。
夜編。街一番の繁華街の路地裏にある居酒屋地帯に乗り込む。
まずは地元ビール、エフェスの生。
トルコ料理の前菜が肴。
メインのキョフテ(肉団子)に移るころにはお酒も地元のリカー、ラクへの進行。
2軒目はトルコ民謡酒場に寄って、再びラク。結構いける。
ついついバーに吸い寄せられ、ジャックダニエルのソーダ割。
飲んだ後の締め、ラーメンはないけどトルコにはこれだと。イシュケンベ(ミノのスープ)。
締めたはずが、ガラタ橋の下をフラフラ歩いていたら呼び込みに誘われて最後の白ワイン。
最後はここからホテルまで歩いて帰ったはずだけど、あまり覚えていない。海外でも帰巣本能発揮(苦笑)。そんなわけで、朝方着いたイスタンブールで夜中まで満喫しましたね。歩数3万歩、俺も元気だねえ。。
事故る
朝晩20℃台半ば、日中の最高気温でも30℃ちょっと。いよいよOutside活動シーズンが本格的に到来した。この国のいろいろな人が外に出始める。俺も今週、スポーツに社交に活発に活動。
サイクリングは日曜にYasで個人ランで7周(38.5キロ)、自己記録の8周更新まであと一歩。火曜は自転車部で Hudayriat島 2周(20キロ)、さらに朝の公道でYas 往復を2回(各々30キロ程度)こなす。いずれも思いっきり走った後で少し汗ばむくらい、快適快調である。
夜はイベントが2日あり。国際機関系のイベントに親会社が参加して、それに伴ってホテルの野外テラスで行われたディナーに招待いただく。
この国のエネルギー・産業大臣に見守られながら親会社ボスのMOU署名のセレモニー。
こちらは我が日本国のイベント。自衛隊設立65周年の祝典が日本大使館主催で行われる。
厳かに日本の自衛隊の歴史やこの国との防衛交流に耳を傾けた後は、お楽しみのお寿司や料理、そして各種アルコール。日本酒が吟醸酒3種あり、ありがたく堪能させていただく。
さて、そんな充実した週をすごしたハナモクの夕方6時30分頃、社員と仕事帰りの一杯を楽しむべく、シェイク・ザイード・ロードをYasのレストランに向かって走っていた。突然スピンしている車が目の前に。ドライバーがさっとハンドルを左に切って避けようとしたが、車の右側が接してガリガリという鈍い音を立てる。そのまま側道に止めて状況確認。幸い俺もドライバーも怪我はなかった。どうやら前を走っていた車同士がぶつかって影響を受けた車がスピンを起こしたようだ。巻き添え事故である。
10分ほどで警察が来て、状況確認を行い、簡単な質問を受けて我々は被害者であることが確認された。俺は別の車に迎えに来てもらってレストランに向かったが、ドライバーと車は現場での事情聴取後、およそ40分後に開放されたという。交通事故が日常茶飯事のアブダビでは、こうした接触事故では比較的簡単に物事が進むようだ。ドバイに住んでいたことのある友人によれば、ドバイでは軽い事故でも必ず関係者全員が警察署に行っての事情聴取があり、時間がかかるとのこと。
アブダビの交通マナーは悪い。メインの道路は何車線もあって広いが、方向指示器も出さずにビュンビュン飛ばして車線を変えて追い越していく。一番左の追い越し車線のあおり運転もすごい。車間距離ギリギリまで近づいてあおりまくり。もっとも前の車もあまり気にしてないようだ。こんな状況なので、ちょっとした接触事故やあるいは車が横転するような事故現場に出くわすことも珍しくない。
それにしても、時速100キロ以上で走っていて事故に巻き込まれ、車のかすり傷で済んだのは不幸中の幸い。やっぱり車はなるべく乗らずに、歩いたりサイクリングだけして過ごしたいねえ(無理無理)。
パンダ、動く
アブダビに住んで以来、俺のベストスープヌードルを提供してくれている愛してやまない中華系カジュアルレストラン、Panda Bao Bao が引っ越したという。市内の用事のついでに久々にランチで寄ってみた。以前の狭くて雑然とした店舗と比べると、見違えるような大躍進ぶりてあった。
綺麗で広々とした入り口。
入ってすぐの1階に調理場。大きくて清潔感あり。
地下1階がレストランスペースで、降りていくと巨大パンダのぬいぐるみがお出迎え。
テーブル席が50席もあり、前の店は3テーブル12席しかなかったことを思うと4倍に拡張。スペースも広々としていて、実際の面積はさらに増えていると思われる。天井が鉄筋丸出しの今風、店内の装飾も小洒落た感じで、何もなかった以前のみすぼらしさとは大違い。
いつもの重慶小麺とエビ鷄シューマイをオーダー。
ガツンと山椒の効いたピリ辛のスープにむせながら、いつもの通りこのゴールデンコンビを堪能した。
それにしても本当に大躍進だなあ。アブダビにおける中国の勢いを象徴しているようだ。俺も少しは貢献してるかもね。
今までは店の狭さや清潔さに欠けた感じがあり、いつも一人で来ていたが、この新店舗なら誰とでも大人数でも来れそう。ますます贔屓になるねえ。
のんびり週末
ハナモクの夜、自転車部の課外活動で海に行く。Presidential Palace、ADNOC HQ、Etihad Towersなどの都心の Skyscrapersをボードから眺めつつ、浅瀬の陸地に向かう。
そこでいつも通り楽しい宴会。今回は男だけでなく、女性の方お2人にも参加いただき、総勢8人でまったりとした時間を過ごす。
そうして今週も仕事して騒いだあと、週末は久しぶりに家でゆっくりと過ごす。引っ越してきてから1か月ちょっと。こんな光景をベランダから見ながら起床。
まだまだ引越しのゴタゴタあり。ガス契約をし損ねていたら突然ガスを止められ(当たり前か)、しばらくは卓上ガスコンロでの煮炊き。。
Yas島への早朝サイクリングに出かける。こちらはYas橋から見える俺の居住地方面。一番左り辺りに住んでいる。
居住地の端っこ。Yas島まで泳いでも行けそう。
住人が釣りをしている。この女性、俺が見ていた10分の間に2匹の釣果を上げていた。
家に帰ってきて、掃除して洗濯して、バスタブにお湯と日本から持ってきた花王のバブを入れて、ゆったりとお湯に浸かってリラックス。
日中はどこも出かけずテレビ見たり読書したり。日本で買ってきた下記本を読了。
会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ――500年の物語
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そうして鋭気を養って、来週もしっかりと仕事します。
イタリア共和国旅行記その3(食べる・飲む)
イタリア旅行の最終テーマはもちろん美味しい食事とお酒。こちらもまったく期待を裏切りません。ナポリ空港に着くなり、ホテルに荷物を置いて直行したのは中心街にある有名ピザ店。
昼1時半過ぎに行ったらけっこう並んでいて、10分ほど待って店内へ。マルゲリータと揚げピザを注文。6時間の機内で何も食べずにハングリーな状態で、この巨大炭水化物にかぶりつく。飲み物はローカルビールと白ワイン。
その晩は地元の人にも人気のトラットリアに行って、ナポリのシーフードを堪能。
どれも美味しかったが、スパゲッティ・ボンゴレが絶品。日本でいうマテ貝もあって一同絶句するほど美味であった。
そのまま勢いをかって2次会はワインバーへ。バローロが30ユーロ、もはやナポリっ子に同化して大騒ぎ。
最終日。帰る直前のランチは、街歩きしながら適当に入った食堂でシーフードとワイン。彼が推奨してくれた食事と地元ワイン(白赤一本ずつ)を味わう。
手長エビのトマトソースパスタが絶品。
フライト時間を逆算したギリギリの時間までそこで楽しみ、惜しみながらナポリを後にしたのでありました。最後に大満足のみんなでチーズ。
食い飲み尽くしの3日間だったが、この間、ナポリの主要地区、ポンペイ遺跡、ヴェスヴィオ火山を歩き回り、歩数68千歩、距離42キロに及んだ。お疲れさんでした。
ドバイ空港に帰りついたが夜9時半。帰りも機内で何も食べず、直行したのが富士屋。最後は日本のラーメンでしめました(笑)。
いやー、ハラス!(アラビア語で Well done)、素晴らしいWBPの旅であった。2週連続でエジプト古代文明、ローマ文明に親しんだので、次も偉大な文明をたどるWBPの旅を企画中であります。
イタリア共和国旅行記その2(ナポリ散策)
着いた日の午後、そして帰る日の午前中、ナポリ市内を散策した。ヨーロッパの旅はただ街を歩いているだけで楽しい。ナポリの町も期待に裏切らず、石造りの古い佇まい、石畳の道路、下町の商店街、狭い路地、道路一杯に縦列駐車されている小型車など、普段砂漠と高層ビルに囲まれた大都市だけが見える風景のアブダビと違って心躍る。
イタリアらしく、街のあちこちにあるユーモラスな落書き。
もちろんキリスト教カトリックの総本山、あちこちに教会があり、宗教的美術・文化物に感嘆する。イスラム教は偶像崇拝を禁止しており、こうした芸術品には乏しい。その分、数学や天文学などの実学が発展したのかもしれないなどと想いを馳せる。
中世で最も偉大な神学者と呼ばれるトマス・アクィナスが教鞭をとっていたサン・ドメニコ・マッジョーレ教会。
マヨルカ焼きの回廊が美しいサンタ・キアーラ教会。
ナポリの街を見下ろす高台にあるサンテルモ城。
そこからの市街地の情景。
前日登ったヴェスヴィオ火山が朝陽の中で幻想的に映える。
ナポリを真っぷたつに割るという意味の中心街スパッカ・ナポリを見下ろす。
そして街のところどころに Piazza(広場)があり、街歩きに疲れたらちょっと一杯。
こうして第2テーマもつつがなく、愉快に満了するのであった。第3テーマに続く。
イタリア共和国旅行記その1(ポンペイ遺跡、ヴェスヴィオ火山)
2週末連続での Weekend Bullet Backpacker で、ほぼ1年振りに欧州に出かけた。場所は南イタリアのナポリである。"Vedi Napoli, e poi muori." "See Naples and die." "ナポリを見て死ね" (ナポリの風光を見ずに死んでしまっては生きていた甲斐がない)とまで言われた、あのナポリである。
ナポリ周辺にはポンペイ、カプリ島、アマルフィなど、観光名所が揃っていて、1週間は欲しいところだが、俺のWBPではそうもいかない。今回は木曜日1日だけお休みをいただき、ドバイベースのLCC、FlyDubaiを使って木曜日の朝にドバイ発、午後一番にナポリ着、土曜日の昼にナポリ発、夜ドバイ着で、実質2日間(木曜日午後、金曜日終日、土曜日午前)の旅程となった。今回は初めて会社同僚2人が参加、合計3人での社員旅行でもあった
天候にも恵まれ、南イタリアの爽やかな秋晴れの下、欧州ならではの歴史、自然、文化、食、街並みを思う存分楽しむことができた。以下、世界遺産のポンペイ遺跡とそれを作り出したヴェスヴィオ火山、ナポリ市内散策、ナポリの食ざんまいの3回に分けて綴ってみたい。
まずは金曜日の終日を使って見学してきたポンペイ遺跡、ヴェスヴィオ火山、そしてポンペイ遺跡からの出土品が数多く展示されているナポリ国立考古学博物館の3個所。ポンペイ遺跡について簡単におさらいしておくと。
- 紀元前後に帝政ローマの同盟市として繁栄を謳歌していたポンペイ。当時の人口は約1万5千人。城壁の長さ 3kmで8つの門を持っていた。
- 紀元後79年にヴェスヴィオ山が大噴火。山の上半分が裂け、強烈な爆風が一瞬にして人々を吹き飛ばした。噴火は30時間も続き、半径12kmの広範囲に渡って火山灰に覆い尽くされたポンペイの街は、歴史の舞台から完全に消滅。しかし、軽石と火山灰に埋もれたおかげで街はそっくりそのまま保存され、まるで昨日まで生きていたかのような姿で地中に残った。
- 18世紀初頭になってようやく発見されたポンペイの遺跡。1997年に世界文化遺産に登録され、多くの観光客が訪れている。現在も発掘が続けられている。
ナポリ市内の駅から東郊外に延びているヴェスヴィオ周遊鉄道で40分ほどで、遺跡入り口近くの駅に到着する。9時開門の20分前に着いたが、すでに10数人が並んでいた。チケットを買い、英語のオーディオガイドを借りて、いよいよ2000年前の歴史の世界へ。
マリーナ門から歩みを進める。
町の中央広場、フォロ。この町を一時消滅させたヴェスヴィオ火山が近くにくっきり。
日本人ツアーに近寄って日本語ガイド説明を盗み聞き(笑)。少なくとも3つの日本人ツアー集団に遭遇した。
活気のある商店街だったというアッボンダンツァ通り。
カウンター付きの居酒屋だとか。
運動場。
円形競技場。
とにかく広い。ところどころでオーディオガイドの説明を聞きながら2時間歩いたが、回れたのはせいぜい四分の一ほど。古代人の生活の息吹があちこちで感じられるほど、街としては立派でしっかりしたものであった。それにしても2000年前にこんな高度で整備された町があったとは。改めて古代ローマ文明の偉大さに感銘する。
次に向かったのは、ポンペイの奇跡を作ったヴェスヴィオ火山。これはナポリ到着前に機内から撮ったものの。
標高1281mの山頂まで登ることができるという。ポンペイ遺跡の駅からナポリ方面に鉄道で戻って20分。エルコラーノ駅前で、登山口までの往復バスと登山料合わせて20ユーロのチケットを買ってバスに乗り込む。
バスで30分ほどで標高1000mの登山口に。
そこから砂利道の登坂を30分ほど歩くと、火口に着く。ちょっとわかりづらいけど、一部から少し噴煙が。コワッ。
ここが歩いて行ける山頂近辺の最終地点。
山頂からの素晴らしい眺望。奥まっている辺りがナポリ市街地。
山頂の売店で売っていた地元の白ワインでのどを潤す。
最寄り駅から合計2時間ほどのヴェスヴィオ火山登頂を果たしたあと、再び電車に乗ってナポリに戻る。最後はナポリ国立考古学博物館。ここではポンペイなどの古代遺跡で発掘された芸術品の数々が色鮮やかに残っている。
有名なアレクサンドロ大王の戦い。ペルシャ王ダレイオスを倒す若きアレクサンドロ大王の巨大モザイク画。
ポンペイ遺跡のミニチュア模型。デジタル映像で再現した町のビデオも上映していて、実物の遺跡を見てきた直後なだけに興味深かった。
おおらかで好奇心旺盛な古代ローマ人らしく、こんなコーナーも。この展示にだけ触るなの表示。やっぱりみんな触りたがるんだろうねえ(笑)。
朝7時半にホテルを出で、夕方6時半に博物館を出るまでの11時間で、古代ローマ文明の巨大遺跡と創造性あふれる芸術品の数々に触れるという旅の第1テーマを満喫したのであった。第2テーマに続く。