モロッコ王国旅行記
北アフリカのモロッコ王国に4泊5日の旅程で出かけてきた。片道空路7-8時間弱で、往路はアブダビ発2時45分、カサブランカ着朝8時30分の夜行便だったが、有難いことにエティハドがエコノミーからビジネスにアップグレードしてくれたので、ぐっすり眠ることができた。
初日の朝、元気いっぱいにカサブランカ空港に到着、そのまま国内線に乗り換えて南方のマラケシュ空港へ。そこからバスで移動して昼1時過ぎにはツーリストで溢れる世界遺産のメディナ(旧市街地)のジャマ・エル・フナ広場にたどり着いた。ここは見世物やスークの入り口で有名。さっそくコブラの皆さんがお出迎え。
まずは腹ごしらえ。近くのモロッコ飯屋でローカルランチを取る。煮込み料理のタジン。
鶏と牛のケバブ。どれも安くて美味しい。
メディナのスークを散策。
前回のトルコではまったハマム(公衆浴場)でのアカスリとマッサージを再度楽しむ。こちらはかなりゴージャス。
散策に疲れ、地元ビールでのどを潤す。
晩飯は再度ローカル飯。ハリラという絶品スープ。
再びタジン。
この頃になると、ジャマ・エル・フナ広場には夜店がいっぱい。
その晩の宿泊はモロッコ特有のリヤドに泊まった。
2日目はお目当ての砂漠のツアー。1泊2日でマラケシュから400キロ南方、サハラ砂漠北方でアルジェリアとの国境まで100キロのザゴラという町まで行く。途中、2つの山脈を越えて行くため、自然が様々な風景を見せる。
砂漠のテントにたどりつく。
晩飯は再びタジン。途中で買い込んだ赤ワインを一人でちびちび飲みながら味わう。
その後はファイヤーショー。
翌朝、サハラ砂漠から昇る朝陽にウットリ。
3日目は基本同じルートでマラケシュまで戻る。途中世界遺産のアイト・ベン・ハッドゥに寄る。
マラケシュに戻ってきたのが夜6時。この晩の宿泊先、Raddison系のホテルで草鞋を脱ぎ、飯はさすがにローカル以外で日本・タイ飯屋。
4日目は空路カサブランカに戻り、昼飯にBamboo Pandaという中華屋を見つけて久しぶりのスープヌードルを食べた。
その後、有名なハッサン2世モスク見学。
市内散策、こちらは映画「カサブランカ」の劇中に出てきたカフェを模したレストラン。
港街風景。
散策しながらカタツムリや牡蠣を食べる。
そして最後の晩餐はやはりモロッコ料理。
最終5日目は、朝6時の9℃と震える寒さの中、電車でカサブランカ空港に戻り、10時発の便に乗ってアブダビに戻ってきた。こうして4泊5日、中距離弾道ミサイルのような慌ただしくもいろいろなことを経験、体感できたモロッコの旅であった。ちょっとまとめてみると。
- 歴史と民族、自然、文化、社会がとても多様で、今回のちょっとした旅でも十分感じることができた。紀元前3000年から住んでいた原住民ベルベル人、そこにカルタゴ、ローマ帝国、ビザンティン帝国と古代文明の侵入を受けて混合、さらにイスラームとともにアラブ系が入ってきてアラブ化が進む。それ以降ベルベル系王朝、オスマン帝国時代に交易や農業で繁栄、近代になってからはスペイン、フランスの保護領化で西洋化、1956年にフランスから独立。
- 民族はアラブ系65%、ベルベル系30%と言われているが、混じりあって正確には不明。俺の砂漠ツアーのドライバー兼ガイド氏も本人アラブ人、奥さんベルベル人。宗教的にはイスラーム・スンニ派がほとんどだが、この国のムスリムはアブダビなどと違ってフツーの一般大衆の方々。それゆえもあってか、UAEやサウジの特権的なムスリムは傲慢だと批判的。国元の王様にすら拝金的だとの声が拡がりつつあると言う。
- 国土は日本の1.2倍。太古の昔は南米と陸続きで、大西洋ができた際の地殻変動で国の中央に3つの山脈が走る。一番高い山は4000メートル級で、そこからの雪水や雨で南部の砂漠地帯以外は農業が盛んで、彩りに満ちた大地が広がる。
- 上述歴史の交わりから、主要都市部は近代以前の旧市街(メディナ)と周辺の新市街にくっきりと分かれ、旧市街は活気あふれる混然とした雰囲気に満ちている。
- 砂漠方面の田舎に行くと、カスバやクサルと呼ばれる部族や家族の砦があり、赤茶けた建物が印象的。
- モロッコ飯は多様で美味しくて安い。地元モロッコワインも美味。
- 今回は南部にしか行けなかったが、北部にもフェズ、メクネス、シャウエンなどの印象的な都市や町があり。
いやー、多様な魅力に溢れたモロッコを堪能した。この国はまた来たいねえ。