anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

犀の角のようにただ独り歩め

お釈迦様と仏教を巡る活字の旅が続いている。お釈迦様の人生、原始仏教、仏教全体、インドの仏教、笹井秀嶺師、アンベードカル博士などなど。周辺知識がある程度頭に入り、ますますお釈迦様の仏教に興味が高まっている。そしていよいよ仏教聖典そのものに取り組み始める。

スッタニパータとは、教え、経の選集といった意味で、仏教の多数の諸聖典のうちでも最も古いものであり、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダ、お釈迦様のことばに最も近い詩句を集成した一つの聖典である。ここでは後代のような煩雑な宗教教理は少しも述べられてなく、単純で素直な形で人として歩むべき道を説いたものだという。

訳書や解説本はいろいろあるが、上記本がインド哲学、仏教学の世界的権威の名訳として知られている。全体で五章構成になっており、その中の「第一・蛇の章、三・犀の角」の内容が俺の精神風景にもっとも響いたものであった。41個の詩が正しい生き方、人生の歩み方を描写しており、最後に下記表現が必ずある。

犀の角のようにただ独り歩め

インドの犀(サイ)は群れではなく単独で行動することが知られている。そのサイの頭部にそそり立つ一本の角のように、求道者は他の人びとからの毀誉褒貶にわずらわされることなく、ただのひとりでも自分の信念、確信にしたがって生きよと説いている。 これを実に力強くて多彩な比喩を使って繰り返し発する。

  • 林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
  • 音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。
  • 肩がしっかりと発育し華のようにみごとな巨大な象は、その群を離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。

安易な人間関係、群れることに警鐘を鳴らしている。

  • 交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
  • 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。 他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

拘り、執着を捨てよと。

  • 貪ることなく、詐ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。
  • 妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、 理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。

厳しい自然環境、外的環境に左右されずに悠然と前に歩めと。

  • 寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、これらすべてのものにうち勝って、 犀の角のようにただ独り歩め。

こうしたことを、お釈迦様はまだ宗教の開祖というような偉くなる前のひとりの人間として、あらゆる人びとに説いていったのだ。この孤高の崇高さ、潔さ、ちょっと痺れるねえ。こんな風に毅然と独立自由の道を進めるかどうか分からないけど、こうした気概を持ちながら、修行の道をゆるゆると歩んで行きたいものだ。