anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

インド共和国(ビハール州・UP州・デリー)旅行記・後編

今回のインド旅行全体を通して感じたこと、思ったことなどを記す。

  • お釈迦様は偉大である。

お釈迦様、仏教関係の知識(書物や映像等)を頭に入れ、実際にインドという現場のなかでその足跡をたどって、改めてお釈迦様は偉大であると感じた。今から2500年も前、戦乱の世(当時伝承では16か国の勢力が競っていた)、カーストの差別が厳しかった時代、バラモンの教えの戒律に人びとが従うことが絶対とされた時代背景のなかで、生きとし生けるものの無用の殺生を禁じ(ヒンドゥー教の牛やイスラム教の豚とかじゃなくて)、全人類の平等を唱え、自分自身で考え抜いて独立自由を守る大切さを訴え、それをあらゆる人びとに説いていった思想と行動の人。

現代のインドにおいても、極端な貧富の差が存在し(ビハール州の田舎町では通るたびに何もしていない貧しい老若男女が大勢いた)、いまだにアウトカーストと呼ばれる人間扱いされない人たちが存在している(公式的には差別はないことになっているが、人々の意識には相当残っていると感じる)。街でも隙あらばだましてやろうという人たちを見かける。

だからこそ、人類普遍の考え方であるお釈迦様の思想が見直されているだろうし、広大多様なインドで多彩な仏教思想が根付いているのを感じた。アーベンドカル博士から始まり、佐々井秀嶺師(今回残念ながらナグプールに行くことは叶わなかった)が先導するアウトカースト差別撤退としての仏教(ある方は政治的な動きとして忌避)。ビハール州中心に昔ながらの出家仏教に帰依する敬虔な僧侶と信者たち。そして俺のような外人が瞑想、マインドフルネスや座禅から入り、混迷の時代に自己の確立を目指すというアプローチ。

こうした柔軟性もまた、お釈迦様が結局は自分の考えが大切であとはそれに従って正しいことを行なえと説いたこと(自灯明、法灯明)がベースになっていると思う。俺にとっては改めて下記のような教えをいつも心に持ち続け、これからも自分の道を歩む覚悟を持てた、そうした今回の旅だったと総括できよう。

「最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め」(スッパニパータ 六十八)

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(白い仏像はアーグラーのお土産屋で約3千円で買ったもの。タージ・マハルと同じインド産の大理石でできている。黒い仏像はラージギルの日本寺で出会ったインド人小学生が記念にと買ってくれたもの。その前の葉はブッダガヤの菩提樹の葉っぱ)

  • マハトマ・ガンディーとお釈迦様

ガンディー関係の博物館で、お釈迦様に言及している表現をいくつか見つけた。

「When love came to the door of India, that door was opened wide. At Ghandhi's call India blossomed forth to new greatness, just as once before, in earlier times, when Buddha proclaimed the truth of fellow-feeling and compassion among all living creatures.」(Rabindranath Tagore: ノーベル文学賞受賞のインドの著名な文学者)

「Great as the Buddha's contribution to humanity was in restoring God to His eternal place, in my humble opinion, greater still was his contribution to humanity in his exacting regard of all life, be it ever so low. (M.K. Ghandhi)」

「Forgiveness is a quality of the soul, and therefore, a positive quality. It is not negative. 'Conquer anger', says Lord Buddha, 'by non-anger'. But what is that 'non-anger'? It is a positive quality and means the supreme virture of charity or love. (M.K. Gandhi)」

人類普遍的な思想(平等、暴力や殺生禁止)と、それを堅固に信じてあらゆる困難にも係わらず実行実践したという点で、このインドが生んだ二人の世界的偉人は共通していると感じた。

また教えや説法の場として、お釈迦様は竹林精舎や祇園精舎、ガンディーは Ashramと称する、いずれも集団生活を送る拠点を整備、確立したところが興味深い。

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(ガンディー記念博物館の座禅をするガンディー像)

  • いろいろなインド人

お釈迦様、ガンディーのような超偉大な人物を生むと同時に、インドの大地・風土はいろいろな人物像を描き出す。今回4日間に渡って同行してもらったササン君。23歳でデリーのIT系会社に勤務の、典型的なアグレッシブなインド人。道中いろいろな会話をした。やや閉口したのは1日の終わりに必ず本日のフィードバック、評価、感想と評してスマホで俺のビデオインタビューしようとしたことだ。これを会社関係者や友人に共有するという(国際企業の経営者と一緒だと自慢しつつ?)。ボランティアで参加してもらったようなので、前半はなるべく応じていたが、後半は疲れてややイラつき、断らせてもらった。

また、アーグラーでの旅行会社のガイド、アーディル氏も最後にTripadvisorに今すぐ目の前で評価登録してくれと。こうした評価に生活がかかっていることもあるので対応はしたが、やはり標準的な日本人としてはウザったいと感じざるを得ないね。

旅行者向けの詐欺まがいにも遭遇した。6日目にバラナシからデリーに戻ったデリー空港。到着時間が遅かったのでタクシーを使おうと思い、勧誘してきた何人かと交渉してタクシーに乗った。乗ってすぐにホテルの認識番号を教えろと。教えると電話を掛け始め、いわく現在イード休暇中でお客さん予約のホテルが閉鎖されているという。だから他のホテルを紹介すると言いそうなドライバーを制してさっさと下車した。

デリー市内ではラール・キールのほぼ目の前で、お客さん、今この施設は閉鎖中なのでスパイスマーケットどうですか、お連れしますよと近づいてきた。どちらもすぐわかるような嘘をよく平気でつくもんだと感心すらしましたね。

ビハール州では貧しい農村で多くの無気力そうなインド人、そして都市の市街地では多くの物乞い(身障者の方含めて)に出会った。こうした人たちの貧しさにはやはり気が滅入る。一方ササン曰く、子供たちには何もあげるな、政府が今はあちこちに無償の学校を設置しているのに、親が小銭稼ぎのために子供を犠牲にしているのだと言っていた。

  • そのほか

インドの最大の問題点は何かと若き理想主義者のササンに問いかけてみると、貧富の差のますますの拡大だという。そしてその大きな要因は、いわゆる社会のエリート層が公共の福祉に資するようなことをしないことだと。だけど自分はボランティアで子供への支援、援助をしていると(偉いね)。

至近の日経記事によると、インド国家財政においては間接税の割合が税収の約半分に達し、貧困層が多い国としてはかなり逆進的な税制になっている。しかも直接税のメインの所得税は、10億人いる15歳以上人口のうち納税者は6000万人前後にすぎないという。この辺り、根が深いね。

やはり辛いインド料理を食べ続けているとお腹がゆるくなる。インドのトイレ事情の悪さは事前にケアしていたので、小さなトイレットペーパーを持参していたが、正解でしたね。ちなみに『13億人のトイレ』という本によると、モディが看板政策の一つとして掲げたインド全土へのトイレ普及を目指す大プロジェクトがあった。2014年に提唱し、ガンディー生誕150周年の2019年に達成目指して政府・各州自治体が鋭意推進して達成したと華々しく公表された。ガンディー博物館の敷地内にはそれを大アピールする別館もあった。

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ところがトイレがあっても下水が整備されてないところが多く、実際は使われてないトイレも多いという。この辺り、モディさんのアピール上手とインドの実態との乖離が感じられるところではある。

最後に、この旅を通じて改めて強調したいのがいろいろな出会い、ご縁の素晴らしさ。仏教関係では日本人尼僧お二人、ブッダガヤの少年修行僧2人。インド人ではササン君と友人の大学生2人、アーグラーのガイドのアーディル氏、サールナートを案内してくれたアローク青年、ラージギルの日本寺で会った小学生たち。他にもアーグラー帰りの電車で一緒に箱の上に座った米国人(マッキンゼー勤務のエリート青年だった)、そして若き友人Sさん。

お釈迦様の慈愛に満ちたお導きに感謝感謝の旅でありました。