anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

アブダビ日本人会新年会

UAEにおける新型コロナ状況は、ここのところ急速に沈静化している。下記は本日公表の数字だが、引き続きハイレベルのPCR検査を実施しつつ(毎日30万件台)、新規感染者数は300人ちょっと、死亡者ゼロが続いている。

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国民、住民の大半がワクチン3-4回接種済みであり、一時期感染者が増えたことにより、集団免疫獲得も進んでいると思われる。

それを受けて各種規制も最近緩和された。マスクは屋内は引き続きマストだが屋外はオプション(自由)となり、モール、イベント会場の入場はキャパの9割までOK。ほかの首長国からアブダビに入る際は何も要求されなくなり、海外からの入国者もPCRも含めて何もいらなくなった。

こういう状況下、アブダビ日本人会の新年会が2年振りに実施された。オミクロン変異種の影響もあり、1月予定がここまで延びたのだが、状況の良化と関係者の方々の熱意、ご尽力によって、実に久しぶりに対面での日本人会イベントとなった。

日本国大使閣下のご挨拶でスタート。

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乾杯後、サミットトレーディングさん提供の寿司含めた美味しい和食を味わいながら、いろいろな方とご挨拶して歓談させていただいた。参加していたアブダビ自転車メンバーでパチリ。

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これまでの新年会ではあった日本人学校の生徒のパフォーマンスや、コーラス部の合唱などは今回は自粛となったが、ラッフルズ(くじ引き抽選会)は実施され、各企業さんから提供いただいた景品の行方に一喜一憂した。俺も何とサミットさん提供の和食材セットが当たった。

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本当に人と人との交流がこれほど待ち遠しいことはなかった。もちろんまだまだ注意は必要だが、徐々に徐々にノーマルに戻ることを期待したいものだ。

ドバイ・エキスポ・2020、2回目体験

今月末で閉会するドバイ・エキスポ・2020。まだ一回しか行けてないため、2回目を計画、平日に再びお休みをいただき、社員3人で出かけた。さらに今回は特別ゲストとして、NIRIのTシェフ、個人割烹のMシェフの2大和食料理人にも参加いただき、合計5人でのエキスポ遠足となった。

ふたたび若手O君が日程表を作ってくれ、Smart Queue の事前登録を行って出かけたが、実際には会場をうろうろしながら、その都度関心のあるパビリオンに寄ることになり、結果的には以下の15か国を巡ることができた。

  1. トルコ
  2. ウズベキスタン
  3. サウジアラビア
  4. スイス
  5. グアテマラ
  6. コンゴ
  7. 南アフリカ
  8. キプロス
  9. ブータン
  10. エジプト
  11. レバノン
  12. インドネシア
  13. ウクライナ
  14. ロシア
  15. クウェート

その中で印象的なスナップショット。

ウズベキスタン館。

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サウジ館。

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スイス館

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スイスの山登りをイメージした霧の中での行進。

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エジプト館。こうしたビジュアル系ショーが各国でもよく見られるパターン。

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そして戦争中のウクライナ館。

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寄せ書きメッセージが館内のいたるところに。まさに「ガンバレ、ウクライナの皆さん!」。

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この間、シェフと一緒なので途中いろんな食べ飲み歩き(笑)。

まずはブランチ的に11時前にスシロー。料理人も満足のお味。

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歩き疲れた14時過ぎにはカリビアンレストランでビール休憩。

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レバノン館の最後に洒落たバーがあり、今度はレバノンワイン休憩(笑)。

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さらにビール好きのTシェフに引きずられるように(苦笑)ドイツ館レストランで夕食前のビールでのどを潤す。

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そして夕食は、アルコール付きで普段食べれないところということで、カザフスタン館のレストランへ。白ワインを飲みながら、カザフ料理を堪能。

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肉の盛り合わせ。名物馬肉も。

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ラグマンといううどんが美味。

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歩き疲れた(飲み疲れた?)体を美味しい夕食で十分に癒す。

最後は光の滝でカラフルで豪華な光と水のショーを見て終了。

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朝9時30分に会場に着いて、出たのは夜10時。各国の文化、芸術、歴史、そして食とまさに万国博覧会をたっぷりと体験したことでありました。

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それでも前回の6か国と合わせてまだ21か国と1割ちょっと(全体では191か国)。また来なくっちゃ。

アブダビ自転車部、ダンス第二弾。そして別れ・・・

3月は日系企業の最大級の人事異動の季節。そして我がアブダビ自転車部のメンバーのなかにも当然のことながら帰任する人が出てくる。今年はI博士、ASさんと奥様のATさん、YR先生と奥様のYKさん、R先生、Oさん(with 奥様とお子様)という、コアメンバーの7人が3月中にアブダビを離れることになった。海外駐在員の世の常とは言え、別れはつらい。。

なぜかそうした別れの話が出てくると、自転車部の人はダンスを踊りたくなるようで(笑)、自転車部でダンスを踊ろう第二弾が2月に提案、企画された。数人の強力メンバー中心に選曲、練習用のデモビデオ作成、参加各位での自主練、参加者全員での練習とビデオ撮り、そしてビデオ編集があっという間に進んで実行された。この辺りのチームワーク、手際の良さは感嘆すべきものである。

俺はちょうどこのビデオ撮影の時、濃厚接触者として自宅待機を余儀なくされたので参加できなかった。それでもビデオ編集で入れるからどうしても別に撮れと脅され(苦笑)、友人の助けも借りて別途自分のパートを恥ずかしながら踊って撮ってもらった。

そうして、この完成ビデオ上映会と日本へ帰任されるメンバーの壮行会を兼ねて、拙宅で懇親会イベントを挙行した。参加者総勢17名プラスお子様2名の、久々の大集合となった。

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サミット日の丸食堂さんで手配、デリバリーしてもらったサラダ、焼き鳥、鶏から、寿司、焼きそばなどの美味しい日本食材を頬張りながら、ビール、シャンパン、白赤ワインとどんどん進んで楽しく懇談。

そうして盛り上がってきたところで、いよいよ完成ビデオ上映会。編集プロのM先生がダンス動画の完成版とメーキング編を作ってくれました。皆で大歓声、大嬌声を上げながら鑑賞。

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これが完成版。

こちらがメーキング編。

どうだろう、この皆さんの楽しそうな姿、抜群のチームワーク、そして完成度の高さ。感涙ものである。

そのあとも、グラスを傾けながらおしゃべりしつつ、別れを惜しむ夕べが続く。

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そして恒例になった帰任者へのアブダビ自転車特製の記念の盾の贈呈式。皆さんに大変喜んでいただきました。素敵なOさん一家へ。

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最後に完全に酔っぱらった俺が、あまり覚えていないけど挨拶した模様(笑)。

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こうして幸福島での幸せなひとときが終わったのであった。あとは寂寥感募るが、別れあれば出会いあり。また新たな出会いを楽しみにすることにしよう。

一連の企画推進、実行、そして参加いただいたアブダビ自転車部の皆さま、家族の皆さま、お疲れ様でした。そしてとっても素敵な時間と空間をありがとうございました。

令和4年・ニッポン愛国者月間

2月も終わる。この月の驚愕ニューズは、何と言っても24日から始まったロシアのウクライナ侵略であろう。BBCニュースでは家族と離れて祖国から逃げざるを得なかったり、離れた海外で祖国や家族友人のことを心配するウクライナの人々の悲嘆にくれる姿が毎日のように映し出されている。海外にいる我々日本人も、祖国を思う気持ち、家族と離れて暮らしているなかで、このような悲劇が起きてしまった悲しみがより強く共感できる気がする。

さて、わが祖国日本である。俺は勝手に2月をニッポン愛国者月間と名付けている。2月は日本の歴史を語る上で、メモラブルな月だからだ。

まず11日の建国記念の日。神話時代含めて神武天皇即位の紀元前660年からこの日で皇紀2682年、世界に誇る長い長い歴史である。

23日は126代天皇、徳仁(なるひと)閣下のお誕生日である。いまだに万世一系が続く、世界最古の帝国の象徴だ。

そして2月26日は二・二六事件という20世紀の日本の歴史の転換期となった重要な日。前掲した『新版・日本国紀』によれば、ニ・ニ六事件後、

侍従武官長は、蹶起した青年将校たちの心情だけでも理解してもらいたいと昭和天皇に上奏します。しかし、大日本帝国憲法を否定するクーデター行為に反発した昭和天皇は、「朕が股肱の老臣を殺戮す、此の如き凶暴な将校等、其精神に於いても何の恕すべきのありや」と怒りをあらわにして一蹴しました。そして軍首脳に「速やかに鎮圧せよ」と命じたのです。ところが、陸軍首脳部が部下を討つことに躊躇します。すると天皇は自らが近衛兵を率いて鎮圧すると示唆しました。これによりようやく鎮圧部隊が動き、反乱軍は三日後に鎮圧されました。

昭和天皇がその64年の在位において明確に意思を示されたのは、この時と昭和20年8月14日のポツダム宣言受諾を決めた御前会議の2回だけだったそうである。君臨すれども統治せずを厳粛に維持しつつ、どうしてもの場面では決断された。記憶にとどめておきたい日本の歴史の一コマである。

そうしたニッポン愛国者月間に関連したイベントがいくつかあったので、記しておきたい。

建国記念の日は、この首長国の国営石油会社が、本社ビルの全面スクリーンに日本国旗や日本に対するメッセージを掲示してくれた。俺はその時は残念ながら濃厚接触者で自宅隔離中で行けなかったけど、友人たちが写真を送ってくれた。

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天皇誕生日の23日はNIRIで会食。日本国旗を持ち込んで、天皇に対するお祝いをささやかながら実施。

NIRIのオーナーも祝ってくれる。

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日本人、インド人同僚と。

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そして今月のメインイベントは、会社で毎月実施することにした Natinality Culture Diversity Program。わが社には約10の国から社員が来ているが、国ごとに社会文化等を紹介する社内行事だ。今月はもちろん日本を選んで日本人社員によるプレゼン、日本食の紹介と試食を実施した。

まずはイベントの冒頭で日本国国歌斉唱。陸上自衛隊中部方面音楽隊の鶫真衣さんの歌唱に合わせて我々も合唱。 

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集まった社員も静粛に耳を傾けてくれる。

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日本人社員による、日本の歴史、技術、和食や文化のプレゼン。

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一連の講義のあとはお楽しみの和食試食会。和食屋 Samurai からとった寿司や天婦羅を提供して食べてもらう。

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国ごとに分かれて楽しくて懇談。

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みな大満足の様子だった。

こうして同僚、アブダビの人たちと祖国への誇りと郷愁の思いを共有でき、令和4年のニッポン愛国者月間は充実したものとなった。日本と同様に古い歴史と多様な文化を持っているウクライナの人々が、戦火が収まって早く祖国に戻れるように祈っている。

放送大学修士課程、修了

昨年4月から再開していた放送大学大学院修士号取得に向けた学究活動が修了した。12月の修士論文提出、1月の口頭試問を経て、先週、修論の合格と、大学院修了に必要な所定の要件をすべて満たし、修了を認定する正式通知を大学からもらった。修論の評価はAであり、まるA 、A、B、Cという評価ランクの中では2番目であった。学術的な緻密さはまだまだ不十分だが、テーマのユニークさを評価いただいたものと思う。

放送大学大学院の科目取得を始めたのが2013年10月、修了が2022年3月だから、途中2年間の休学をはさんで足掛け8年半が経過していた。一時は諦めかけたが、一年前に一念発起して、ゼミを変えて1年で新たなテーマで修論を完成させたことは、我ながら頑張ったと褒めてあげたい。

海外から参加だったが、コロナ禍のなかではすべてのゼミがオンラインだったので、そのマイナスは無かったが、参考文献収集には苦労させられた。

この間、指導いただいたゼミのH先生、ゼミの仲間たちに感謝したい。今回修了する俺入れて6人のHゼミ生のなかでもKさんとは縁があり、冬の日本一時帰国の際には二人で飲むことができた。ひとときのリアルゼミ交流を楽しみながら、いろいろな話をさせてもらった。彼とはゼミの同窓生として今後とも付き合っていきたい。

日本の友人、知人には文献やデータ収集で助けてもらった。そしてアブダビのお友だちであるSさん。大学の教員であり、有形無形にアドバイスと励ましをもらった。皆さんに感謝感謝である。

昨日、Hゼミ最終回があり、いつも通りZOOMで参加する。この日はゼミ1年生に向けて、修論の内容紹介ということだった。一通り紹介したあとで、せっかく放送大学で長く学び、修論に取り組んできた経験も踏まえて、後輩の皆さまに向けて簡単なメッセージをお伝えした。これは俺自身のこれからの指針でもある。

(修論への取り組みについて)

  1. 幅広い問題意識⇒テーマを徐々に絞っていく(関心事、自分の強みに集中、時間等の制約)
  2. 自分のスタイルを知る:学術論文 vs ビジネスレポート
  3. プロセスは大事だが完遂はもっと大事。ゴールから逆算

(学びについて)

  1. 芸は(いつかは)身を助く
  2. 学びも投資でありお金と時間をしっかりと使うが、投資回収は気長に
  3. それゆえ、できれば楽しく、好きなことをやりましょう

最後に皆で乾杯。当地では昼前だったが、俺もコロナビールで参加(笑)。

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いやー、お疲れさまでした。一区切りついた満足感に浸っております。

濃厚接触者、満了

一昨日の午後、58回目のPCR検査陰性が確定し、無事トータル6日間の濃厚接触による自宅待機期間を満了した。この間、特に監視・トレースされているわけでもなく、元気あり余り状態だったので、自宅待機モラル維持に苦労した(苦笑)。しかも濃厚接触元のドライバーI氏は、陽性判明後、24時間以上空けて2回PCR検査を受けてともに陰性となり、俺より3日以上も早く自由の身になっているのだ。なんだか納得いかないなあ。。

毎朝の体操は、これまで定例としていたアクティブ体操Part1,Part2とラジオ体操の第一、第二に加えて、第三も取り入れてみたが、このリズムが第一、第二とまったく違っていて戸惑うやら可笑しくなるやら。

朝の海岸の砂浜ラン、夕方の周辺散歩は毎日皆勤。この辺りの道はすべてルーブル誘致に貢献あったと思われる方にちなんだ通り名となっており、シラク散策と名付けてうろうろした。

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食事はすべて家食。時間があったので、朝からカレー作ったり、

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生野菜付け合わせたっぷりのパン食にしたり、

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中国食材屋で買った火鍋ベースを使ってラム肉鍋を煮込んだりして、それなりに充実。

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仕事しつつ、読書にも勤しんだ。先にアップした『新版・日本国紀』の再読のほかに、日本で買ってきた下記を読む。

このビジョナリーカンパニー・シリーズは、だいぶ前に1(Built to Last、時代を超える生存の原則)、2(Good to Great、飛躍の法則)までは興味深く読んでいて(他に本書以外に3シリーズある)馴染みがあったが、本書(Beyond Entrepreneurship 2.0)には特に刺激を受けた。スタートアップや中小企業をゼロから偉大な企業にするための方法を体系的に解説しており、今の俺にピッタリと感じて、むさぼるように読んだ。今後、本書を俺の教科書にして、この通りに組み立ててみようと思ったほどだ。

そしてアブダビ自転車部の集まりがYas島であって、自宅待機中の俺はもちろん参加できなかったが、何人かの方との合同で誕生日を祝っていただいた。

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しかも俺の分のケーキを友人が家まで届けてくれた。ちょうどPCR陰性により待機期間終了が確定したときだったので、生誕半世紀+アルファと晴れて娑婆に出られるお祝いとしてローソクを2本立てて、厳かに一人でお祝いしながらケーキをいただく。ありがたいねえ。

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というわけで、なんだかんだ言ってもそれなりに時間を過ごせたかな。けど、もう自宅待機はご免だね。UAEも近々かなり規制撤廃して通常の活動に戻すと宣言している。いよいよ旅行も含めて本格的活動再開といきたいところだ。

新版『日本国紀』を読む(下巻の後半)

敗戦から復興、そして令和の現代まで。ここは苦めの記述も。

  • 日本という国の二千年余の歴史の中でも、未曽有の大敗北であったばかりか、外国の軍隊に国土を占領され、主権も外交権も奪われるという屈辱そのものというべき結果となりました。明治維新以来、七十七年の間に、日本人が死に物狂いで築き上げてきた多くのインフラ施設のほとんどが灰燼に帰したのです。同時に未来への希望も打ち砕かれたといっても過言ではありません。
  • しかし本当の意味で日本人を打ちのめしたのは、敗戦自体よりも、その後になされた占領でした。日本を占領した連合国軍の政策は苛烈そのものでした。専用軍は、かつて有色人種に対して行ったように、日本の伝統と国柄を破壊しようとしたのです。幸いにしてそれらは不首尾に終わりましたが、日本人の精神を粉砕することには成功したといえます。
  • 奇跡的な復興を支えたのは、ひとえに国民の勤勉さでした。敗戦からわずか十九年で、アジアで初めてのオリンピックを開催し、ホスト国として世界の国々を招き、同じ年、第二次世界大戦の戦勝国ですらどこも成し得なかった自足二百キロ以上で走る高速鉄道(新幹線)を東京から大阪まで開通させました。そして、その四年後、GNPで西ドイツを抜き、世界第二の経済大国になったのです。世界はこの復活に驚愕しました。私はこの事実にあらためて深い感動を覚えます。私たちの祖父や父は何と偉大だったのでしょう。
  • しかし、敗れた日本が取り戻せなかったものがありました。それは「愛国心」と「誇り」です。これらは戦後、GHQに木端微塵にされ、占領軍が去った後は、彼らの洗脳を受け傀儡となったマスメディアや学者たちによって踏みつぶされ続けました。国旗と国歌を堂々と否定する文化人が持て囃される国は、世界広しといえど日本だけでしょう。この屈辱は、昭和の輝かしい復興の陰で、決して忘れてはならないことです。
  • 大東亜戦争で三百万人以上の国民の命と海外資産をすべて失い、東京をはじめとする全国の都市を空襲で焼き尽くされ、戦後は多くの国に莫大な賠償金を背負わされた国が、わずか二十年余りで完全復活を成し遂げ、かつての敵国アメリカの背後に迫ったのです。これを「奇跡」といわずして何というのでしょう。戦後の日本は「モノづくり」に活路を見出したのです。これを成し遂げたのは、日本人の勤勉さと研究熱心さ以外の何物でもありません。
  • 「WGIP(War Guilt Infrormation Program。わかりやすくいえば、「戦争についての罪悪感を、日本人に植え付けるための宣伝計画)洗脳世代」が社会に進出するようになると、日本の言論空間が急速に歪み始めます。そして後に大きな国際問題となって日本と国民を苦しめることになる三つの種が播かれました。それは「南京大虐殺の嘘」「朝鮮人従軍慰安婦の嘘」「首相の靖国神社参拝への避難」です。これらはいずれも朝日新聞による報道がきっかけとなったものでした。
  • 日本政府は沖縄を取り戻すため妥協し、これらの条件(有事の米軍の核持ち込み・貯蔵、返還費用はほとんど日本負担、沖縄基地はそのまま米軍が使用など)を呑み、その結果、ついに沖縄の本土復帰が実現しました。実はこれはある意味で歴史的な偉業といえます。というのは、戦争で奪われた領土を外交で取り戻したケースは世界史でもほとんど例がないからです。いかに佐藤首相がしたたかな交渉を行ったかがわかります。
  • 戦後の日本を蝕んだ「自虐思想」に付随して生まれ、浸透したのが日本独特の「平和主義」でした。これは「平和」を目的とするものではなく、極端な反戦思想と言い換えた方がいいかもしれません。憲法九条によって国の安全保障をアメリカに委ねてしまった日本人は、ただ「平和」を唱えてさえいれば、「平和」でいられるという一種の信仰を持つに等しい状態になっていきました。そして「武」を「穢れ」として忌み嫌う、平安時代の貴族のような思想を持つに至ったといえます。
  • 憲法九条と誤った憲法解釈があるばかりに、日本は国土も国民も守れない国になってしまったのです。制定当時の日本人の多くはこれを屈辱と感じましたが、その後、GHQの洗脳教育を受け入れた世代がマスメディアに入り、また左翼系知識人となって社会の大勢を占めるにつれ、この憲法は「世界に誇るべき平和憲法」であるという声が大きくなり、さらに学校教育でもそのように教えられるようになったため、戦後生まれの多くの日本人が素晴らしい憲法だと思い込むようになってしまいました。
  • 戦争のない世界は理想です。私たちはそれを目指していかねばなりません。しかし残念なことに、口で「平和」を唱えるだけでは戦争は止まられません。世界の日本に必要なのは、戦争を起こさせない「力」(抑止力)です。
  • ひとつ明るいことがあります。平成の半ば頃から、国民の多くが日本国憲法の矛盾に気付き始めてきたことです。こうしてGHQの洗脳から抜け出しつつある若い世代が増えています。彼らは失われた日本的なものの回復に向けて、静かに、しかし確実に動き出しています。もやはその動きを止めることは誰にもできないでしょう。私はそんな若者たちを見て胸熱くなる思いでいます。
  • 二千年の歴史を誇る日本人のDNAは、私たちの中に脈々と生き続けていたのです。それが今、復活の時を迎えています。五十年後、はたして日本はどのような国になっているでしょうか。私はその姿を見ることは叶いませんが、世界に誇るべき素晴らしい国家になっていることを願いながら、筆を擱きます。

全文を読んで、今回あらためてマークした部分を読み返しながら考えてみる。記述のすべて正しいかどうか別にして(歴史的に正しいといえるためには相当な時間と議論と検証が必要、またそもそも何が正しいなんてわからないことが多いのだ)、あるいは著者の個人的見解や想いのある部分もあるわけだけど、こうした生き生きとした日本人と日本社会の描写が、俺の知る限りこれまでほとんど学校や社会で話題になっていないことに愕然とする。

どこの国の国民も、自分の国の成り立ちや歩んできた歴史に誇りを持つ。ましてや日本はどこの国よりも誇っていい歴史があるのに、全体としてそうなっていない感じがする。まだ俺も含めてGHQ洗脳世代が跋扈しているということか。

この本に感動した俺は、別に3セットを買ってアブダビに持ち帰り、尊敬する大先輩、学校の先生、日本国外交関係者にお土産としてお渡しした。少しでも多くの人にこの本を手に取って欲しいと感じたからだ。人によって歴史を見る立場は違えど、リバランス、多様な視点は必要だと思うからであり、この本はそうしたことに目を向ける刺激を与えてくれると信じるからだ。

素晴らしい歴史を持つ日本人のDNAを受け継ぐ者として、日本に対する愛国心を持つ者として、誇りと希望を持ってこの国で頑張っていこうとあらためて思いを新たにしております。