令和4年・ニッポン愛国者月間
2月も終わる。この月の驚愕ニューズは、何と言っても24日から始まったロシアのウクライナ侵略であろう。BBCニュースでは家族と離れて祖国から逃げざるを得なかったり、離れた海外で祖国や家族友人のことを心配するウクライナの人々の悲嘆にくれる姿が毎日のように映し出されている。海外にいる我々日本人も、祖国を思う気持ち、家族と離れて暮らしているなかで、このような悲劇が起きてしまった悲しみがより強く共感できる気がする。
さて、わが祖国日本である。俺は勝手に2月をニッポン愛国者月間と名付けている。2月は日本の歴史を語る上で、メモラブルな月だからだ。
まず11日の建国記念の日。神話時代含めて神武天皇即位の紀元前660年からこの日で皇紀2682年、世界に誇る長い長い歴史である。
23日は126代天皇、徳仁(なるひと)閣下のお誕生日である。いまだに万世一系が続く、世界最古の帝国の象徴だ。
そして2月26日は二・二六事件という20世紀の日本の歴史の転換期となった重要な日。前掲した『新版・日本国紀』によれば、ニ・ニ六事件後、
侍従武官長は、蹶起した青年将校たちの心情だけでも理解してもらいたいと昭和天皇に上奏します。しかし、大日本帝国憲法を否定するクーデター行為に反発した昭和天皇は、「朕が股肱の老臣を殺戮す、此の如き凶暴な将校等、其精神に於いても何の恕すべきのありや」と怒りをあらわにして一蹴しました。そして軍首脳に「速やかに鎮圧せよ」と命じたのです。ところが、陸軍首脳部が部下を討つことに躊躇します。すると天皇は自らが近衛兵を率いて鎮圧すると示唆しました。これによりようやく鎮圧部隊が動き、反乱軍は三日後に鎮圧されました。
昭和天皇がその64年の在位において明確に意思を示されたのは、この時と昭和20年8月14日のポツダム宣言受諾を決めた御前会議の2回だけだったそうである。君臨すれども統治せずを厳粛に維持しつつ、どうしてもの場面では決断された。記憶にとどめておきたい日本の歴史の一コマである。
そうしたニッポン愛国者月間に関連したイベントがいくつかあったので、記しておきたい。
建国記念の日は、この首長国の国営石油会社が、本社ビルの全面スクリーンに日本国旗や日本に対するメッセージを掲示してくれた。俺はその時は残念ながら濃厚接触者で自宅隔離中で行けなかったけど、友人たちが写真を送ってくれた。
天皇誕生日の23日はNIRIで会食。日本国旗を持ち込んで、天皇に対するお祝いをささやかながら実施。
NIRIのオーナーも祝ってくれる。
日本人、インド人同僚と。
そして今月のメインイベントは、会社で毎月実施することにした Natinality Culture Diversity Program。わが社には約10の国から社員が来ているが、国ごとに社会文化等を紹介する社内行事だ。今月はもちろん日本を選んで日本人社員によるプレゼン、日本食の紹介と試食を実施した。
まずはイベントの冒頭で日本国国歌斉唱。
集まった社員も静粛に耳を傾けてくれる。
日本人社員による、日本の歴史、技術、和食や文化のプレゼン。
一連の講義のあとはお楽しみの和食試食会。和食屋 Samurai からとった寿司や天婦羅を提供して食べてもらう。
国ごとに分かれて楽しくて懇談。
みな大満足の様子だった。
こうして同僚、アブダビの人たちと祖国への誇りと郷愁の思いを共有でき、令和4年のニッポン愛国者月間は充実したものとなった。日本と同様に古い歴史と多様な文化を持っているウクライナの人々が、戦火が収まって早く祖国に戻れるように祈っている。