anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

日本国大使閣下ご来訪

本日から、アブダビ首長国におけるコロナ規制がさらに緩和された。ワクチン接種を完了した人のグリーンパスの有効期間が、これまでの14日から30日に延長された。今までは2週間に一回、全社員のPCR検査を実施していたが、月一で良くなりそうだ。そしてアブダビ首長国内のすべての商業施設、観光名所、イベントの稼働率が100%に戻るとのこと。ただし屋内では引き続きマスクの着用が義務付けられる。

いよいよ経済活動、社会活動が完全復活になってきて、当社工場への訪問客も増えてきた。そのなかで今月、特筆すべき方にご来訪いただいた。在アラブ首長国連邦日本国大使館、特命全権大使であられる磯俣大使閣下である。日本国政府関係者のご訪問は、実に2年3か月振り。アブダビ一のニッポン愛国者を自認する俺としては、万全の対応をせねばなるまい。

まずは日本国国旗の掲揚。ホテル等を除けば、我々のような一般企業でUAE以外の国旗を掲揚するのは禁止されている。ただし一国を代表する大使のご来訪となれば話は別である。事前に申請して、当日高々と掲げる。青空に日の丸国旗、映えるなあ。

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会社概要説明、工場見学、質疑応答など、たっぷり1時間半ご滞在いただいた。

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そうして嬉しいことに、大使館のインスタグラムに上げていただきました。

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しかも後日、大変ご丁寧かつ心が奮い立つようなお礼状までいただき、感謝感激でありまする。

日本国万歳、大使万歳!

別れと出会い

ここ1か月で、いくつかのお別れがあった。アブダビの飲み友だちであり、大学の同窓生でもあった Wさん。誠実なお人柄で皆さんに愛され、何度も壮行会を実施した。こちらは異業種交流会での壮行会。

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飲み友だちで。

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日本でのさらなるご活躍を祈念しております。

自転車部の重鎮、ドクターIさん。ご自宅をお借りしての自転車部の壮行会。

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こんな凝った料理を作るほどの料理上手。

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今夜ご帰国。日本でまた会いましょう。

近々アブダビを離れるかもしれないメンバー。一分一秒が惜しいです。最後までよろしくお願いします。

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そして残された自転車部のメンバー。

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新メンバーとの新たな出会いが救いですな。

ラマダーン変遷

簡易版ラマダーン断食(朝食と夕食以外は食べず、水分は許容)とはいえ、12日間継続中である。しかも断食中にかなり運動していて、昨日は夕食前の午後5時に Al Hudayriat 島に行って、強風で砂塵が舞う中、誰もいない無人のサイクルトラックを2周(20キロ)した。

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こうなったら残り3日間も完遂したいものだ。そうなると、ラマダーン期間30日間のうち、半分は一応断食に参加したことになる。

さて、俺は今年でラマダーン経験5年になる。うちコロナ禍中の2年はまともに外に出れず、精神的・体力的にも断食どころではなかった。コロナ前の2年は、今回と同じようにできる範囲で簡易断食を実行した。今年はその精神を復活させて取り組んでいるわけである。

この5年間、コロナ前とコロナ後でラマダーン風景も様変わりした。コロナ前はおおっぴらに事務所で何も食べれず飲めず(隠れてこそこそ)、昼はほとんどのレストランは閉まっていて、一部ホテル等の外人向けレストランでは食事するスペースは外から見えないように白いカーテンで覆われていた。ちなみにアブダビにもっと前からいる人に言わせると、昔は車の中で水を飲んでいると窓をガンガン叩かれて叱責されたそうだ。。

今年はどうか。少なくとも海外駐在員が行くようなレストランは、昼間からフツーに営業していて、食事はおろか、太陽が燦燦と照っているなかでお酒も堂々と飲めるのである。

インターコンチネンタルホテルのベルジアンカフェ。

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ビーチロターナホテルのブラウハウス

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家近くのジャマイカレストラン

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お馴染み、NIRIもDaikanも一般客が行き来する通り沿いのオープンスペースで、昼からのお酒もまったく問題なし。隔世の感ありだ。もっとも善良なムスリムの方は眉をひそめているかもしれないけどね。俺にとっては早い時間から飲めてしまう誘惑に困ることもあるけど。。

UAEが進めている一連の世俗化、規制緩和の一環でありがたいことだと思うけど、ここまでくると何だか本当に中東アラブの国にいるのかなという複雑な想いもよぎりますね。

ラマダーン簡易断食中

ラマダーン月の断食。手元にある『イスラーム世界事典』(明石書店)によれば。

イスラーム暦の9月のラマダーン月に行われ、新月の現れを見たときから次の月の新月を見るまでの間30日もしくは29日間行われる。

イスラーム式の断食は、日の出の約2時間前から日没まで飲食をいっさい断つ。性的交渉も許されない。水の一滴もゆるされない。ただし、夜は飲食・性交いずれもさしつかえない。

断食の目的は、飢えの苦しみを体験して貧困の苦しみに対する想像力を育成することだという。さらにあらゆる面で信仰的行為を強めることが奨励される。たしかにラマダーンはムスリムにとって宗教性を強める月となっている。

ラマダーンは家族と、あるいは親戚知人同士で訪問しあって会食し団らんする季節であって、日本の盆暮れ正月、フランスのバカンスに近い。

ちなみに現地事情に詳しい友人によれば、2段落目の夜の飲食・性交OKは、飲食はそうだが、性交は夜でもこの期間中は宗教心の強い人はダメとしているらしい。大変ですね。。

俺は先の週末から始めた簡易断食が9日間続いている。時間はともかくとして、朝は家でしっかり食べて、昼は抜いて、夜は外での会食が続いた。それでも昼抜いた効果か、イスラエル帰りで3キロほど増えた体重がこの期間でほぼ戻した。

自転車部やドバイの友人たちとの会食のほか、ラマダーンらしい2つの会食を経験した。一つは Suhoorと呼ばれる夜遅い会食。断食開始の前に取る食事のことで、夜遅くに開催される簡単な食事をつまむパーティーのこと。アブダビの親会社主催で夜9時30分に開催され、親会社と傘下会社の幹部がエミレーツパレスホテルの野外会場に集まった。

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もう一つはIftar。日没とともに断食が終わった直後、皆で集まって食事を楽しむもの。一つのソーシャルイベントとして多くの企業が開催しているが、ここ2年は新型コロナがあって中断していた。わが社も初めて実施して、社員、株主関係者を招待して盛大に実施できた。

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一方こちらはラマダーンのライトアップされた近所の通り。この時期は家族親族での食事が増えることから、レストランは閑散となるようだ。

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こうしたラマダーン月らしいイベントも再開され、コロナ禍から通常活動に戻ってきた実感がますます強まる。ラマダーンもあと一週間。ラマダーン明けはイード休暇と呼ばれる大型連休が控えている。再び旅心がそそられます。。

生命力回復週末

2022年もすでに三分の一が経過した。年初に下記書いた。

今年の干支は寅年だ。ものの本によると「陽気を孕み、春の胎動を助く」、冬が厳しいほど春の芽吹きは生命力に溢れ、華々しく生まれる年になるとのことだ。これまでにないような厳冬の時期を経て、世の中も変わり、生命力の定義も変容しつつある新しい年の初め。今年こそ春の明るさ、勢いを取り戻す年にしたいものである。

コロナ禍に加えてウクライナ戦争といった予想もしなかった戦禍も加わって世の中がさらに不透明になり、生命力も今一度定義し直さないといけないかもしれない。

俺にとって生命力、生きるとはなにか。仕事のやりがいや家族・友人との交流という生命力の消費も大切だが、一人で静かに過ごして自分を見つめなおすという生命力の涵養も同様に重要である。ここまで、3月はドバイ万博にいろいろな送別会もあって外で騒ぐことが多く、結果的には休肝日が3日しかないほど飲み歩いていた。。4月もひさびさの週末弾丸旅行も含め、ばたばたしてきた。

今はちょうどイスラムの断食月のラマダーンであり、ムスリムの人が改めて神と信仰のことを見つめる時でもある。俺もこの週末は2日間誰とも交流せずに、一人でしっかりと体と心のリハビリ、充電をしつつ、日中の断食と夜の断酒を敢行した。

朝、家でラジオ体操第一、第二、第三、アクティブ体操パート1、パート2のフルコースで体をほぐしてから海岸を走る。早朝の砂浜は誰もおらず、まるで専用のランニングコース。

f:id:anezakimanAD:20220418025253j:imageSoul Beach という魂の浜には、生命力溢れるにぎやかなフィリピン女性たちも。

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ちなみにこの写真は、写真を撮ってあげた際についでに撮らせてもらったもので、それ以上でも以下でもありません、念のため(笑)。

朝は目玉焼きや味噌汁作ったりしてしっかりと食べる。

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その後、日が沈むまでは水以外は飲まずに、家の雑事終えたあとは読書三昧。最近のお気に入りは下記本で、今後の生き方の方向性を考察中。

夕方、家の近所を5キロほど散歩したあとで自炊の夕食。気合を入れて羊肉の火鍋。

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こうしてこの2日間は、少しは生命力を取り戻すことが出来たと思う。そして今月末まで続くラマダーンで、できるだけ日中断食を続けつつ、自分の生きる力の再構築を図ることを誓うのであった。

イスラエル国旅行記その3(その他トピックス)

この3日間で見聞きしたり、体験したりしたことで、印象に残ったトピックスを記しておく。

ユダヤ教という宗教

まずはユダヤ教である。3大宗教のなかでおそらく日本人にもっとも縁遠いコンテンツであろう。まず驚いたのは、エルサレムで過ごした土曜日の、シャバットと呼ばれるユダヤ教の安息日のことである(毎週金曜の日暮れから土曜の日暮れまで)。

この日は労働が禁止され、ショップもレストランもほとんど閉まっている。個人が火を使うのも、電気を使ったり接するのも一切ダメ。ホテルのエレベーターのスイッチを押すことさえ許されず、この日はユダヤ教徒向けと非教徒向けに利用エレベーターが分けられ、前者用のエレベーターは自動的に最上階に行ってそこから各階に降りていくという。ボタンを押さずとも何れたどり着くということらしい。。

さらにエルサレム市内散策中に警官から呼び止められ、このスイッチを押してくれないかと自動車の電動ドアキーを渡された。こんなものにも触れてはいけないのである。ホテルレストランの朝食も安息日前の作り置きだけで、オムレツも作ってもらえなかった。。

安息日は3大宗教にはすべてあるが、ここまで徹底しているのはユダヤ教だけであろう。特に実質的に安息日の概念が無くなってしまったような国からくると、なおさら驚いたことであった。

熱心なユダヤ教信者のガイドさんによれば、ユダヤ教の戒律は613個あって、日常生活の広範囲に渡って守るべき注意事項があるという。生理後の女性は身を清めないと(このプロセスもきちんと定義されているらしい)、旦那に触れることすらできないと。

国家・国民気質

そうした厳格な宗教戒律の元で出来上がった新興の宗教国家であり、いわゆるシオニズム思想も含めて、イスラエル国家に対する国民の愛国者概念は、我々の想像を絶するものであろう。戦乱が多くあったことも国民の結束を高めたに違いない。

男女とも銃を手に取って戦った歴史。今でも男女とも兵役について、街のあちこちに銃を持った若い男女が警備をしている。

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特にテルアビブは行く直前の2週間ほどで5人のテロによる殺人事件があったが、街の雰囲気は落ち着いていた。ただしちょっとビルの屋上を見ると銃を持った兵士がいたりする。

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今回出会ったイスラエルの人たちで言えば、日本的なおもてなしの精神はほとんどなし、よく言えば裏表ないさっぱりした性格であるようだ。

二人の日本人女性

今回の訪問で偶然にも二人の日本人女性とお会いした。エルサレム旧市街観光でお世話になった現地ガイドのタマルさん。東京池袋育ちの江戸っ子だが、一神教に興味を持ち、エルサレムのユダヤ教の学校で学んで改宗、旦那さんもアメリカ人ジュ―イッシュ。20年以上エルサレム近郊にお住まいで、現在4人の娘さんを育てながらガイドの会社を経営している。ガイド中にいろいろな質問を浴びせても、はきはきした調子で答えてくれる、とても頼りのなるガイドさんである。

もう一人はテルアビブのYafo旧市街の一等地に日本的マッサージのお店を構える北原葉子さん。朝散歩中に偶然この看板を見つけ、

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午後行こうと思って電話したら予約でいっぱい。それでも現地を再度訪問してみたらご本人がいてお店を見学させてもらった。畳の和室もあって日本的かつゴージャスな雰囲気。

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ご本人はテルアビブ在住13年、このお店を開いて8年。ここ数年、コロナ禍の厳しいなかでも、イスラエル人7名、日本人1名のサービススタッフを抱えて何とか頑張ってきたとのこと。

海外のこうした大和撫子に出会うたびに、日本人女性のたくましさ、頑張りに頭が下がる思いだ。お二人に敬意を表して、連絡先を下記する。

ガイドのタマルさん。外人のようなお名前だがれっきとした日本人女性である。

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ジャパニーズスパ経営者の北原葉子さん。

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Y先輩へ捧ぐ

これまでのWBP旅行と違い、今回は全行程ある方とご一緒した。人生とビジネスの大先輩であるYさんである。ユーモアセンス抜群の日本紳士であり、アラビア語も話せるYさんのおかげで、現地に住むアラブ人の心情に少し触れることができたし、何よりもご一緒して楽しい時間であった。

Yさんに感謝を捧げつつ、楽しいツーショットをいくつか。

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こうして久々のWBP旅行再開は大満足、大成功にうちに満了した。来月もどこか行こーっと。

イスラエル国旅行記その2(テルアビブ散策)

日曜の夕方、エルサレムからテルアビブの海外沿いのホテルにタクシーで移動。帰国便は火曜日の午前1時10分発なので、月曜日まるまる1日をこの地で過ごすことになる。

翌朝、さっそく海岸沿いを散歩。7時前から多くの人がジョギングをしたり、

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サーフィンをしている。

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そのまま南に下り、Old Yafo(ヤッフォ旧市街)という歴史的地区を回って戻る。曇天、気温10度ちょっと、少し肌寒いが海風が心地よく、すがすがしい気分で2時間ほど朝の散策を楽しむ。

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ホテルに戻ってゆっくり朝食をとったあと、活動開始する。この地はエルサレムと違い、歴史的なマイルストーンという意味では新しい場所である。1909年に欧州からの移民がテルアビブに定着して街を建設する。歴史的な街というよりは、近代に発展した地中海沿岸の国際色豊かな都市である。

それでも歴史や文化に関心あるので、そういった方面中心に回る。まずは市の中心部にある Shalom Tower へ。ここでテルアビブの発祥の経緯や歴史を簡単に紹介している。うろうろしている日本人を見かねたのか、突然知らないおじさんが近づいてきて10分ほど熱心に説明してくれる。

街の全景モデル。

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このWeissさんというポーランド人が街の創設に全力を尽くしたとか。

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タワー26階から見下ろした風景。この住宅群は、白い都市として世界遺産となっている。

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続いて Hagana Musium という軍事博物館。ここではイスラエルの独立戦争(一般的には第一次中東戦争)前後の状況、そこでの国民の献身的な軍事的活動、支援がいかに勝利に貢献したかがビデオや展示物で説明されている。

ランチを近くのMEN TENTENというラーメン屋で豚骨ラーメンを食べる。これが美味しい。

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オーナーが日本にいたイスラエル人で奥様も日本人という。日本人と聞いてキリンの生ビールを2杯もご馳走してくれました。

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さらに近代的で立派な Eretz Israel Museum でテーマ別になっている歴史文化芸術物を鑑賞。最後に歴史エリアの Yafo 旧市街を再訪すべくタクシーで向かう。ここでいくつかの有名な歴史的建物を回る。といってもすべて19世紀以降。

Clock Tower。

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Al-Bahr Mosque。

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St. Peter's Church。

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最後はこの地区のレストランで、イスラエルでの最後の晩餐としてシーフード料理を楽しんだ。

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こうして慌ただしくもテルアビブ市街地の散策を終え、22時前にタクシーでベン・グリオン空港に戻った。この週からイスラエルは大型連休に入るとのことで、空港は近年見たことのないような大混雑であった。

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チェックインカウンターの係員の遅い対応に苛立ったり、チェックイン待ちの行列に横入りする人を巡って避難の声が上がるなど、ちょっとしたカオス状態。。またアブダビに行く旅行者も大勢いて、帰国便は満席でありました。

2000年前からの膨大な歴史文化的遺産を持つエルサレムと、わずか200年ほどの蓄積しかないテルアビブ。一方で保守的なエルサレムに対して、地中海東岸の明るく開放的な雰囲気溢れるテルアビブ。ある意味対照的な2つの都市を持ち、歴史的・宗教的な多様さも相まって、イスラエルをユニークな国にしていると感じた。全体で四国ほどの面積に、他にも興味深い都市が集まっており、アブダビからの近さ、手軽さも含め、今後人気急上昇かもね。お薦めであります。