anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

妻、アブダビに来る

俺の妻がアブダビに来てくれた。5月の娘に続き、コロナ禍後の家族来訪第二弾である。ただし日程上の制約が多々あり、水曜の夜便で入り、木、金、土と過ごして土曜の夜便で帰るという、実質3日間の短期滞在である。

俺はその時を指折り数えて楽しみに待っていた。その週は月~木はADIPECという、この地での最大級の産業見本市があった。俺の会社も出展していたが、月~水までで俺のエクスポージャーとしては最大限発揮して、木曜はお休みさせていただく予定であった。

ところが急遽金曜日に重要会議が入り、木曜日は妻の買い物に付き合いながら翌日の会議の調整を行い、金曜日はTeams経由で会議を仕切って何とか乗り切った。

そうして仕事の折り合いをつけながら、妻との二人きりの時間を楽しんで過ごすことが出来た。二人だけで1泊以上過ごすのは、娘が生まれる前に国内旅行して以来なので、実に四半世紀ぶりである。

水曜日、空港出口で今か今かと待ち構える。予定より40分早くランディング、

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その後30分ほどして出口から妻の姿が現れ、8月以来の3か月ぶりの再会を喜ぶ。

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すぐに空港内のPCRセンターで検査を受ける。今回は娘の時と違って事前のAlhosn登録はできず、検査結果の連絡先は俺の携帯にしてもらった。この後一部モールやレストランでAlhosnグリーンパスを求められた際には、俺だけ提示してそのままスルーできたり、妻のことを聞かれた際には俺の携帯の結果報告を見せて、PCR陰性1-2日ということで何の問題もなかった。

実質初日の木曜日。ゆっくり起きて海岸散歩。いつも一人で走ったり歩いたりしているが、一緒にいてくれるパートナーがいる喜びを体感しながら、さわやかな季節の浜を散策する。

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朝食を海岸通りの喫茶店で取って、この日はYas Mallで買い物、ギャラリアモールの中華の有名店、DIN TAI FUNGで小籠包、ヌードルを楽しむ。その後家に戻って少し泳ぎ、夜はNIRIで夕食。ゆったりと食事しながら時間を過ごす。

2日目の金曜日。この日は散歩後、ベランダで朝食。

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その後は俺は14時まで家で会議の準備や実行でバタバタするも、その後はビーチに出てひと泳ぎしたり、ビーチベッドでごろごろ。そして日没の時間を見計らって Jubail Mangrobe Parkへ。そこで夕陽が沈むのを見ながら、妻とゆったりと散策する。

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この日の夕食も家そばの海岸通りでイタリアン。美味しいピザやパスタに舌鼓を打ちながら、おしゃべりが弾む。

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最終日の土曜。海岸散歩後、近くのブラッセリ―で朝食、カルフールで最後のお土産買い物を済ませ、帰りの準備でパッキング。それから家でゴロゴロしながら夕方4時に家を出発。

最後の目的地はアブダビ国立水族館(Natinal Aquarium of Abu Dhabi)。こじんまりながらも、魅力ある展示、様々な生き物(魚類に加えてアルパカや鳥なども)に感心しながら水族館見学を楽しんだ。

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この周辺の Al Qana地区を散策後、

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出発前の最後の晩餐として Eastern Magrobeのシーフードレストランに行く。目の前がマングローブの海で、ソファー席がありカップルに最高。

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シーフード小皿をつまみに、スパークリングワイン、白・赤ワインをちびちび飲みながら、この来訪最後の夜をゆったりと過ごす。

その後空港までお見送り。無事出国手続きに入る妻を目で追いながら、

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こうしてあっという間に3泊4日の二人きりの時間が終わった。とても濃くて充実した時でありました。ありがとう、我が妻よ。

フジャイラ海釣り体験記

1か月ほど前、ドバイで日本人の知人・友人たちと飲んでいた。そのなかで釣り好きの方がいて、海釣りの魅力を語っていた。そこでぜひ皆で行ってみようと盛り上がった。こういう場合は往々にして翌朝にはきれいさっぱりと忘れてしまうのだが、時には名幹事が現れて実現する。今回もまさにそのケース。きめ細やかなフォローでどんどん物事を進めていくTさんのリーダーシップのおかげで、以下の驚くべき海釣り劇が始まった。

Tさんが探してきたのがフジャイラ港にある海釣りボート会社。休日の午前3時30分、アブダビの自宅を出発。釣りと魚捌きが趣味という今回のツアーに打ってつけのKさんと合流して一路フジャイラへ。夜明け直後の6時30分に集合場所の港に到着。

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IDの登録と誓約書のサイン後にさっそく乗船。この7人の精鋭たち(うち2人が釣り趣味、あとの5人は俺含めて殆ど初心者)の釣果やいかに。

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スリランカ人乗員2人と我々7人を乗せた釣り船ボートは一路沖合へ。そこは沖待ちしているタンカーがたくさんあって日本の石油会社もタンカーも見える。

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30分ほど走ってタンカー沿いに停船してさっそく海釣り開始。船から出る排水などで小さな魚が集まり、それを餌とする魚を釣りやすいとのこと。

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そうして驚くことに、釣り糸を垂らした先からどんどん魚がかかり、まさに入れ食い状態。

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全員がこの大きなシイラ(米国ではまひまひと呼ばれる高級魚だとか)を次から次へと釣り上げる。

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この序盤の15分ほどは竿を投げてはひっかかり、リールを巻きあげて釣り上げ、また餌(生きたアジ)をつけては竿を投げてはひっかかって釣り上げることの繰り返し。魚も必死なので時間と力をかけて引き上げる。ちょっと離れたところで針にかかったシイラがジャンプする醍醐味も。

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開始から30分ほどで備え付けのクーラーボックスがほぼ一杯に。刺身用に新鮮さを保つため、Kさんは血抜きの作業をしているが追っつかないほど。

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こうして海釣り開始直後の驚愕と喧騒の時間を過ごした後、場所をいくつか変えて釣り糸を垂らすが、その後はまるで魚がいなくなったようにぱったりと釣れなくなった。10時頃、暑くなってきたし相当釣れたのでそろそろ帰ろうかと話しつつ、他の釣り船が釣っていた場所に移動。そして第二の波がやってきた。

最初の入れ食い状態と同様、釣り糸を投げた瞬間から餌にかかり、しかも船の周りにも多くの魚影が見える。食いついた海中の魚が強い力で糸をぐいぐい引っ張るので、船上では仲間が引っ張られて右に左に移動して大忙し。時には糸が絡まったりしてカオス状態。

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どんどん釣れるのでクーラーボックスに入らなくなり、氷のない船の床下に収納する状況に。

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こうして最後は狂喜乱舞状態、大満足の海釣り体験を終えて11時過ぎに帰港したのであった。

釣果はなんと36匹。

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一人平均5匹で確かに皆それぞれこれくらい釣った実感。これを港にいる業者に次から次へと3枚に捌いてもらう。

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総料理長のKさんも1匹ご自身で捌く。

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氷を買って持参してきたクーラーボックスに何とかすべて詰め込む。

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こうして海釣りは大漁のうちに満了。第二部は大豊漁を祝って釣れた魚を調理しての大宴会。ドバイのTさん宅に全員参集。Kさん、Yさん、Tさん中心に刺身、焼き魚、鍋を用意してもらう。

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新鮮で美味な魚料理に舌鼓を打ちつつ、ビール、白ワイン、日本酒、焼酎を楽しむ。

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最後は和食名門のTOMOに席を移し、さらにビールと焼酎を飲みつつ、ラーメンなどの夕食でしめる。終わったのが21時近く。濃くて長い興奮の1日がこうして幕を閉じたのでありました。Tさん、皆さん、ありがとうございました。

無心で体を動かす

先の週末はアゼルバイジャン旅行で歩き回り、そのあとの平日は日中は仕事でヒリヒリするような時間を過し、夜はほぼ毎晩会食でぐったりとして迎えた週末。何も考えずにひたすら体を動かすことにした。

土曜日の朝はラジオ体操第一、第二、第三、そしてアクティブ体操パート1,パート2のフルコース20分でまずは体をほぐす。そのあと海岸砂浜のランニングを5キロ。近頃の朝は気温27℃と涼しくて女性たちがヨガをやっている。

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俺も負けじと朝食後、Kさんのヨガ教室に参加して心身ともにすっきり。さらにHudayriat島まで行って日中のサイクリング、2周20キロを走る。

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気温33℃とまだ暑いが、自転車で走っていると風が心地良くなってきた。

日曜日は午前中のんびりして、昼から海岸砂浜ランニング、海で泳ぎ、浜で読書などしながらゆっくり過ごす。

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さらに夕陽を見ながらしめのランニング。

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極めて健康的、リラックスした週末だった。これで休肝週末としたらベストだったろうが、ついつい赤提灯ならぬ、このお店の看板に魅かれ、お酒は飲んでしまいました。。

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まあまあ、明日からまた元気出して頑張れそうであります。

アゼルバイジャン共和国旅行記・後編

土曜日。

この日が視察のメインである。効率よく回るため、地元ガイドを9時から17時まで終日雇う。アゼルバイジャン人なれど、日本語でのガイドもできるという。盛りだくさんにもバクー内外を7か所廻った。以下、怒涛の行程を順番に。

1.Mud Volcanoes(泥の火山)

最初に訪れたのがバクー市街地から30分ほど車で走った大平原。

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ここでは泥や水の中でガスや石油が自噴していて、あちこちで小さな泥の火山といった様子なのだ。

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数秒間隔で泥や水がポコポコ音を出して動いている。こうした場所があちこちに広がっている。まさに石油・ガスの平原である。

2.Gobustan Rock Art(Gobustan地区の岩の芸術)

お次は紀元前から地元民が住んでいたという岩の居住地。

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岩の壁面に人や動物などが描かれている。

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3.Bibi-Heybat Mosque(ビビヘイバット・モスク)

アゼルバイジャンの人口の7割以上を占めるイスラム教シーア派のモスク。この国はかなり世俗的で寛容であり、お酒もOK、豚肉も食べれて、シーアもスンニも関係ないとのこと(ガイド氏いわく)。シーア派のモスクは一般人も中に入れて写真も自由。

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カラフルなモスク内。

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預言者の子孫のお墓が安置されている、とても由緒あるモスクとのこと。

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4.World First Oil Well(世界最初の石油掘削用井戸)

ようやく社員研修らしい場所に来ました(笑)。1846年に稼働した世界最初の工業用石油掘削井戸。工業用というのは機械を使った設備ということで、手掘りは米国が世界最初とのこと。

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井戸の隣にはこの当時のパイプラインの展示。なんと木製である。

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近くにあった生産中の井戸。

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こうした小規模の井戸は道路を走っていて市内あちこちに見える。

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ポンプで原油を引き上げるメカニズムなどをひとしきり議論したあとで、今回のメインの一つの場所を後にする。

5.Ateshagah Fire Temple(アテシュウガ地区の火の寺院)

こちらは火関係。ゾロアスター教の寺院で、”永遠の火”を祀る聖地である。イスラム教でいうとメッカのカーバ神殿に相当する由緒ある寺院である。こちらはかなり小規模だけど。。

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思わず火に手を合わせる同僚なれど、実は現在は都市ガスを引きてきていて、”永遠の火”ではないとのこと。。

6.Yanar Dag(アゼルバイジャン語で燃える山の意)

そうしてガイドツアーの最後にやってきたのは、正真正銘の”永遠の火”。こちらは地下からの天然ガス噴出による火であり、何をしても消えないという。

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熱い熱いと言いながら何とか記念撮影(笑)。

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こうしてガイドツアーは終了したが、軍事マニアのMさんがホテル近くで戦車群を見つけてぜひ行きたいと。

7.Military Trophies Park(軍事・戦利品展示公園)

2020年の44日戦争でアルメニアから奪い返したナゴルノ・カラバフでの勝利を記念した戦利品展示公園。都会の真ん中に敵軍から奪ったり破壊したりした戦車や車両が多数展示されており、ある意味不気味。。

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一つひとつの展示物にこうした説明看板が必ず付いている。M氏は嬉々としてあちこちの戦利品を見て回っていました。

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家族連れで記念写真なんか撮ったりして。

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カラバフはアゼルバイジャンのものだ!

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平和ボケした日本人にはやや引く光景だけど、戦争が日常的なこうした地域では国民全体で勝利の高揚感を抱き続けたいということかもしれない。ちなみに我がガイド氏もこの紛争に志願して参加したとのこと。

これにて充実したバクー1日ツアーが終了。最後の晩餐はまた旧市街のアゼルバイジャン料理店でスープ、ケバブ、ピラフなどを楽しむ。

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少し疲れつつ充実したバクーを振り返りながら、楽しい団体旅行のひと時を過ごす。

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土曜の夜だけあってお店の外にでると人でいっぱい。

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カスピ海、そして燃える火のライトアップを眺めながら、再び歩いてホテルに戻るのであった。

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こうして2日目も大満足のうちに満了。

日曜日。

朝、カスピ海沿いを散歩中、日の出に遭遇。今回の旅を象徴するような見事な美しさ。

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帰りの飛行機も30分程度の遅れで順調に出発。カスピ海油田のジャッキアップリグを発見。

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UAEにはドバイから戻り、パームジュメイラ、ジェベル・アリ港、パームジェベル・アリがくっきりと眼下に広がっていた。

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そして砂漠色に染まったマイシティに無事ラインディング。

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最後に全体の感想。

  1. アブダビからバクーまで片道3時間前後。料金はWIZZAIRの一番安いレートで往復AED 500以下。近くで安いバクーはとても行きやすかった。
  2. 石油・ガスのいろいろな形態(自然の状態での泥の中や大地へ火として放出、初期の生産井やパイプライン、現代の地上や海上のリグなど)の実地検分ができて満足。こんな場所は恐らく他にないだろう。
  3. これ以外にもいろいろ見どころあり(ゾロアスター教の聖地、戦利品公園など)
  4. 食事も美味しかった。ラム好きの俺にとってラム中心の地元料理に大満足。シェパート(羊飼い)という言葉がよく出てくるくらい、この国では羊肉がメインのようだ。地元ビール、赤ワインも飲んだが、ワインは有名だけあってさっぱりしつつ後に残る赤ワインが美味だった。
  5. これまでのWBPと違って団体旅行は楽、ただついて行くだけ(笑)。幹事役を担ってくれたSさん、Oさんに感謝。
  6. もはやコロナは誰も気にしていない。バクーではマスクしてる人は皆無、飛行機の機内でも必須と言われながらほとんど誰もせず。社内で最後までマスクに拘っているMさんも、周囲に奇異に見られ続けてついに観念したのか(苦笑)、バクー2日目からマスク無し。ちなみに帰国後の空港PCRで陰性を確認済み。
  7. 短期間ツアーは現地ガイドを雇うに限る。しかも日本語だと楽ちん、気楽に現地事情も聞ける。今回のガイド氏は27歳で1歳の女児の父。日本の大学に1年半留学していて日本大好き。居酒屋はなの舞でバイトもしていたというナイスガイ。ところどころ「なんだっけ」という親しみある日本語をはさみながら(笑)、一生懸命説明してくれた。お薦めします。

   旅行会社名:Azerbaijan Travel Company

   ガイド名:Teymur(ティムル)君(下の写真右から2番目)

           電話番号:+994-51-631-0181

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これからWBPが全面展開する予感。To be continued...

アゼルバイジャン共和国旅行記・前編

アゼルバイジャン共和国の首都、バクーに行ってきた。金曜日にお休みをいただき、金土日の2泊3日での久しぶりの週末弾丸バックパッカー(WBP)の旅である。今回は会社同僚の日本人社員3人と一緒の合計4人の団体旅行であり、且つ我々の仕事に関係の深い分野の実地見学を兼ねた、いわば社員研修ツアーとなった。

バクーは米国と並ぶ近代石油産業の発祥の地である。近代石油産業の歴史の教科書と言える『石油の世紀・上』(1991年、ダニエル・ヤーギン著)にはバクーに関して以下の記述がある。

何世紀も前から内陸の海、カスピ海に突き出たアブシェロン半島で石油がにじみ出ている状況は知られていた。コーカサス山脈が東に延び、海に没するまでの荒涼とした地域である。十三世紀、マルコ・ポーロはバクー周辺に石油を出す泉があると聞いた。そして、食料にはならないが、燃やすのによく、ラクダの皮膚病をよく治すと書き残している。バクーはまた、拝火教(ゾロアスター教)が信仰する”永遠の火の柱”があることでも知られていた。この日の柱は、散文的に言えば、油層中に溶け込んでいた可燃性ガスが多孔質の石灰岩の隙間から漏れ出て燃えているということになる。

こうした豊かな地下資源をもとに19世紀初めにロシア帝国下で初期の石油産業が出現、その後ダイナマイト発明で有名なノーベル兄弟とロスチャイルド家が参入、米国のスタンダード石油(現エクソンモービル)も交えた世界石油販売競争が激化する。その中でも豊富な石油埋蔵量と世界初のオイルタンカーや鉄道輸送などの技術革新によって、20世紀初頭にはバクーは世界の石油生産の半分を占めるようになった。

このような”永遠の火の柱”や、近代石油産業発展の足跡を見て回るということが一つの目的である。そしてもう一つは我々の仕事でもあるパイプライン関連である。

今回の出発前に、キンドルでアゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアの3国を中心としたコーカサス地域の複雑な歴史、民族、国際関係を描いた下記本をひもとく。

同書によれば、1970年代には隆盛を誇ったバクーの石油生産も、無計画、乱開発により油井が荒廃し、1970年代以降、バクーの石油開発は細々と行われるだけとなり、ソ連の石油生産の拠点はシベリアなどに移った。

その後ソ連解体により、欧米石油会社のバクーへの参入、技術導入が本格化し、カスピ海に眠っていた海底油田、天然ガスの開発が進むことになる。こうして生産した原油・天然ガスを、ソ連解体後の地政学も踏まえたロシアを迂回しての欧州方面へ運ぶパイプライン建設がイシューとなった。その画期となったのがアゼルバイジャン、ジョージア、トルコを跨ぐ石油パイプライン(起点のアゼルバイジャンのバクー、中継点のジョージアのトビリシ、終点のトルコのジェイハンの頭文字を取ってBTCパイプラインと称する)であった。

そしてこのBTCパイプライン用の鋼管を生産、納めたのが当時日本にいた同僚のM氏と俺の会社であった。前述廣瀬本にもこうある。

ようやく建設が始まったBTCパイプラインだが、途中いくつかのトラブルが生じて、予定より半年以上も完成が遅れた。(中略)これらの困難を克服し、2006年5月に晴れてBTCパイプラインは全面開通した。日本の製鉄会社の最高水準の鉄材を使用し、大きな地震が起きても支障のないことが確認されている。

当時営業にいて本案件を担当していた俺は、受注はしたもののいつ正式に生産できるかなかなか決まらなくて、やきもきした記憶がある。このような縁のあるパイプラインがある国を訪れることも目的の一つであった。

以下時系列的に旅を追っていく。

金曜日

早朝3時に起き、アブダビ発6時のWIZZAIRでバクーへ向かう。遅れるLCCとして有名な同社だが(苦笑)、この便は予定より30分ほどの遅れで出発。途中、イランの砂漠の山岳地帯を経て、カスピ海沿いのバクーに到着。

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さっそく荷物を宿に預けて行動開始。まずは奇抜なデザインの「ヘイダル・アリエフ博物館」。

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アゼルバイジャンの前大統領の名を冠し、同国の歴史、芸術、文化を展示してある近代的な博物館である。ここでさっそく出会ったのがBTCパイプラインの意義やルート概要の説明パネル。

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ちなみに一階のロビーには、こんな鮮やかな日本の草間彌生さんの作品が展示されていた。

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次は世界遺産にもなっている旧市街に向かい、ランチをとる。アゼルバイジャン料理は羊肉が多く、これがいける。スープやケバブを地元産のビールと赤ワインでのどを潤しながら美味しくいただく。

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ややほろ酔い気分で旧市街外れの歴史博物館へ。ここでもいきなりパイプラインがお出迎え。

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こちらはBTEガスパイプライン(BTはBTCと同じ都市名から、Eはトルコの都市名から)。こちらの製造元はどうやら我々の会社ではない日本製の模様(笑)。

幸先よくパイプライン関係を視察でき、気分良くそのまま早めの夕食へ。旧市街のアゼルバイジャン料理の有名店、DOLMAに行く、店内は雰囲気たっぷり。地元音楽の演奏があったり、

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民族衣装をまとったスタッフに地元赤ワインをサーブしてもらったり、

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皆でカンパイしたり、

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そうして多様なアゼルバイジャン料理を楽しむのであった。

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すっかりお腹も心も満杯になって、カスピ海沿いに公園からホテルまでの道のりを、散歩も兼ねてゆっくりと歩いて帰った。

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途中、こんな奇抜なビルも。第二のドバイと言われている所以だね。

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この日はそのままホテルでバタンキュー。後編に続く。

アブダビ日本人学校生徒さん来訪

アブダビ日本人学校の生徒さんの当社来訪がようやく実現した。アブダビ自転車部の友人でもある同校のY先生(残念ながら3月に帰任)やN先生は、以前から社会科見学の一環として子供たちの工場見学を切望されていた。コロナ禍のなか、身動きが取れずに見送っていたが、今週、小学校3年生の生徒さん8名が、引率の先生3名とともにアブダビ郊外にある当社にやって来た。

アブダビ日本人学校のユニークなところは、通っているのが日本人児童だけでなく、UAE国籍(以下エミラーティ)の子供たちも受け入れていることである。あまたある世界中の日本人学校のなかで、現地の子供も受け入れているのはアブダビだけとのこと。

これはシェイク・モハメッド・ビン・ザイ―ド・アル・ナヒヤーン現UAE大統領がアブダビ皇太子時代の2007年に、日本的な道徳教育(例えば放課後に皆で清掃するとか)に感銘を受け、エミラーティの子供たちに日本人学校での教育を受けさせたいと希望して実現されたと聞いている。日本人として誇らしいことである。

受入れ側の日本人学校の先生たちは大変であり、文科省派遣の教師以外に、現地日系企業も支援してのNPO法人からのサポート教員もいるとのこと。こうした努力に支えられ、日本人とエミラーティの子供たちが机を並べて一緒に勉強していることは、素晴らしいことだと思う。

言葉は基本すべて日本語である。そうした日本語でのコミュニケーションの問題もあって、エミラーティの子供たちは幼稚園年少から面接等の選抜を経て入園し(競争率2倍以上とか)、幼稚園、小学校、中学校と合計12年間日本人学校に通う。中学卒業後は日本の高校、そしてその後は日本の大学に留学するケースが多いそうだ。

一方、日本人の生徒さんの在学期間は、親御さんの任期次第で長短いろいろである。さらに最近は小学校高学年になると日本で中学受験をするために帰国する子供たちが増えていて、エミラーティの子供が日本人の子供の数を上回っているそうだ。

至近の小中全学年の児童総数63名中、エミラーティの児童は28名と44%を占めるまでになっているとのこと。今回当社に来てくれた小学校3年生8名のうちにも、女の子2名がエミラーティであった。

我々も日本人とエミラーティの全社員(と言っても5名だけど。。)で迎え入れた。まずは事務所で可愛い小学生の司会による始めの会でスタート。俺も少し挨拶の時間をいただき、そこで力説したのはアブダビ日本人学校と当社の共通点の多さだ。

ともに日本とアブダビ両国関係者の相互理解、協力、努力で成り立ち、皆さんは小学校3年生、当社も商業生産から数えると3年目の事業開始3年生。そして同じように1・2年の頃はコロナで苦しみ、今ようやく状況が好転してきて自由になってきた。子供たちには勉強に精を出し、世界で活躍して欲しい。そして我々も懸命に事業を伸ばし、いずれ世界中に輸出や事業展開したい。話しているうちにウルウルしてきましたね。

それから同僚のSさんが精魂込めて作ったプレゼン資料で、会社概要や鉄の作り方などを説明。

その後全員元気に工場へ出発。

暑さは多少和らいだといえ、まだまだ子供たちには暑かったと思うが、説明を熱心に聞いてくれる。

40分ほどの工場見学の後、事務所に戻って一休み。最後は全員で記念写真。

子供たちにも楽しかったと言ってもらえたし、俺自身も久しぶりに子供たちの素敵な笑顔、歓声に接することができて、とても嬉しかった。

お互い、教育と事業を通じた日本・アブダビの国際交流・相互理解の礎となりましょう。日本、アブダビ、日本人学校、当社、バンザーイ!

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SOUL BEACH 生きもの図鑑

アラビア海に直接面してイランの対岸に位置する SOUL BEACH。そのせいか、湾岸警備隊(Coastal Guards)の監視船も時々沖合に出没する。文字通り魂の海岸として、荒々しくダイナミックである。

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俺は朝の砂浜散歩やランニングを通じて、ほとんどだれもいない海岸の四季折々の姿を目にしてきた。生きものもしかりである。普通にアブダビに暮らしていると出会えないような生きものがここにはやって来る。

6月には悠然と泳ぐエイの集団と遭遇。

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こんな鳥も。

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近くに寄っても逃げずに堂々としている不適なやつ(笑)

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一昨日には既報の通りイルカ3頭と出会った。

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今朝は驚愕の生きものと出会った。海蛇である。

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まだ小さいがくねくね動いて元気である。

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しばらく眺めてまた走り始めたが、考えてみたらもし毒蛇だったらまずいだろーと思いなおし、監視員を呼ぶ。ネパール、スリランカ、シエラレオネ、カメルーンの多国籍警備隊(笑)がさっそく捕獲開始。

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無事生きたまま捕獲完了、人気のない海にリリースするという。

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毒蛇とのことで、例年は11-12月に出没するらしく、看板で警告を出すという。気性はおとなしいので、何もしなければ噛んだりしないとのこと。

次はどんな生きものと出会えるか、楽しみではあります。