anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

愛しのパンダに再会

今年の2月を最後にパンダに会えていなかった。ここでいうパンダとは、重慶小麺というアブダビスープヌードル界最強のコンテンツを持つ Panda Bao Bao という中華レストランのことである(あくまでも俺の独断だけど。。)。新装開店のため、営業を中断して久しい。何度かコンタクトして再営業開始の時期をフォローしてきたが、あと数か月、あと数週間、もうちょっと待てと言われて半年も待たされてきた。あのガツンとした麻系の辛さが愛しい。。

また、先月くらいから違う場所をベースにデリバリーは開始したようだが、俺としてはスープヌードルはデリバリーによる時差から味が変わると考えており、あくまでも実店舗でのイートインに拘ってきた。

そんな中、先日ダメもとでイートイン営業開始の確認を入れたら、3日後にイートインも再開できるという。現在デリバリーの拠点としている場所に来たら、そこで食べれるとのこと。さっそくその3日後となる日曜日の昼過ぎ、先方からの位置情報を元に行ってみました。

場所はアブダビ市内中心部から車で10分ほどの住宅地にあった。外見からはレストランだとは分からない。でもよく見ると右下にちゃんとパンダがいる(笑)。

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入口も店舗とは思えない素っ気なさ。

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中に入ってすぐのところの食事スペースに案内される。ここで食べるらしい。

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いつもの重慶小麺とエビとチキンのシューマイを注文し、待つこと15分、ついにやってきました。

重慶小麺は以前より肉味噌が増え、麺もやや太めになってより食べ応えが増した感じ。

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エビとチキンのシューマイも、一つひとつが一まわり大きくなった気がする。

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以前と同じように、むせるような辛さのスープのなかにシュウマイを入れるという最強のコンビネーション。

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辛さにヒーヒーハーハー言いながら完食、部屋はクーラーが効いていたが、食べ終わる頃には汗がしたたり落ちる。

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こうして久々の愛しのパンダを十分堪能したのであった。

新装開店予定の市内のお店はまだ工事が完了しておらず、いつの予定と聞いても分からないとのこと。しばらくはイートインもここで営業、営業時間は前の店舗と同じ11時から23時まで。場所は下記。酷暑下のアブダビで、味わい深く、自虐的にも楽しめるホットなヌードルであります。

https://maps.app.goo.gl/VJ1eaGAKJGsuTjbY9?g_st=ig

アブダビで流しソーメン

俺は麺好き、特に汁あり麺が大好きである。自分で作るときは袋入りラーメン(特に韓国の辛い系)か、生うどんを使ってだし汁を簡単に作って食べることが多い。アブダビの外食では Panda Bao Bao の重慶小麺が俺のベストだが、現在お店改築中で食べれないのが悲しい。そこで最近よく行って食べるスープヌードルは Din Tai Fungのシンプルなエビラーメン、もしくは Vietnamese Phoの Beef Pho である。

しかしながらこの季節はソーメンも楽しみたい。のど越しにつるつると入り、清涼感に包まれる。アブダビ自転車部メンバー中心に飲んでいる際に、ふと、ソーメン食べたいな、しかも流しソーメンだと最高だね、なんて話をしてたら、Sさんが家でやりましょうと言ってくれた。流しソーメンは無理としても、ソーメンすすりながら皆で飲むのも一興となり、企画が承認された。

週末の土曜日の昼下がり。自転車部メンバー中心に6人がSさん邸に集合。そこで見たものは何とお手製の流しソーメン機器であった。

入念に最終チェックするSさん。

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さすが下町ロケットの帝国重工のモデルとなった会社。顧客が望むことは何でも応えてしまう(笑)。しかも麺は兵庫の名産、揖保乃糸。これに加えてだし汁2種類、薬味もネギに海苔、完璧である。

さっそく流し開始。最初のうちはバランスが崩れて途中の水漏れもあったが、それも調整し、皆で流しソーメンをビール、ジンなどを飲みながら楽しむ。

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まさかアブダビで流しソーメンを食べれるとは思わなかった。Sさんに感謝感謝である。

アルバニア共和国旅行記・後編

月曜日(会社年休)

早朝4時に起き、バス停まで20分かけて歩き、朝5時の始発ティラナ行きのバスに乗車。3度目のバスで今度は3時間ほどでティラナに着く。ティラナでのテーマは歴史と文化。バスターミナルから市内バスを乗り継いて郊外のバンク・アートという博物館に行く。

ここで少しこの国の戦後の歴史に触れねばなるまい。第二次大戦中の共産主義勢力が主体となって、戦後共産党政権が誕生。このトップとしてエンヴェル・ホジャという独裁者が1985年に死亡するまでの40年間、アルバニアの政治権力を一手に握った。

この間に彼がしてきたことは、時系列的に概略下記である。

  • スターリン主義に基づくソ連寄りの社会主義国家建設
  • ソ連と対立したチトーのユーゴスラビアと断交
  • スターリンの後任となったフルシチョフのスターリン批判を受けてソ連と断交
  • 中国に接近、政治・軍事・経済面で蜜月時代を築く
  • 中国文化大革命の影響も受けて世界初の無神国家を表明、全ての宗教を完全に否定かつ禁止して全国の教会とモスクを閉鎖
  • 鄧小平の開放政策以降の中国と一方的に断交
  • 鎖国政策を取り世界的に孤立。全国民に銃器を保有させる国民皆兵政策を行ない、全国にトーチカ(バンカー)という防空壕を17万個設置
  • 1985年の死後、そしてソ連崩壊に伴う民主主義国家への転換後、1997年に多く国民がネズミ講の崩壊にあって財産を失い、大暴動が発生

この無茶苦茶な独裁者のもと、多くの国民が粛清にあった。俺も含む多くの日本人が知らないアルバニアの過酷な戦後史である。この後はそれなりにまともな政治家が出てきたようで、経済も立て直され、EU加盟という国家悲願に向けて邁進中のようだ(現在はEU加盟候補国)。

こうした歴史の痕跡が首都ティラナのあちこちで見られ、その代表的なものがバンク・アートと称する、ホジャが建設を指示した大規模なバンク(地下防空壕)である。

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山肌を掘ったトンネルをくぐると、核兵器や化学兵器にも耐えられるように作られた暗い施設の中に、多くの部屋やホールがある。

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現在は当時の部屋をそのまま展示したり(下記は有事の際に集まる執務室、奥の写真がホジャ)、

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テーマごとに写真や当時の記事を掲載して、歴史の暗部を紹介している。下記は国民を国外に出さないための電気鉄条網の再現。

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そして下記がアルバニア中に作られたバンク(防空壕)の写真である。

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この防空壕は今も実物があちこちで残っている。今回の旅の途中で見たものは、サランダ市内にあったもの、

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ジロカストラの手前で、

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そしてティラナ市中心部では、実物がバンクアート2という博物館となっている。

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こうしてすっかりホジャの毒気に当てられ(苦笑)、ぐったりしつつも市内中心部に戻る。そしてこの国の歴史の明るい側面にも触れる。アルバニアの英雄、スカンデルベグである。

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15世紀のオスマン帝国の支配下でアルバニアの軍司令官となったが、オスマン帝国に反旗を翻して、オスマン軍を撃退することに成功してアルバニア北半を統一。25年間にわたって独立を保った民族の英雄である。

そしてこれまで見てきたものも含む、この国の古代から現代までの歴史、文化が一堂に会しているのが、この堂々とした正面デザインの国立歴史博物館である。

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ここでたっぷり2時間を過ごす(館内写真禁止)。

それから市内のレストランで遅い昼食を簡単にとり、バスでティラナ空港に戻り、18時半発のアブダビ行きに飛び乗り、俺のアルバニアの旅は終わるのであった。

まとめ

前編でふれた俺の旅の3要素に沿って振り返ってみる。まず複雑多様な歴史。今回訪問したブトリントが象徴しているが、地中海世界の要衝であるこの地には、古代から多様な民族・宗教の侵入、征服があった(ギリシャ、ローマ、東ローマ、ベネチア、オスマンなど)。戦後、民族自立がかなったと思ったら、とんでもない独裁者が出てきて混迷。民主主義国家としてようやく復興の途に就いたと思ったら、大規模ネズミ講被害といったカタストロフィー。こうした多様な歴史の多くが物語や遺跡として残されている。そしてこれら殆どが日本人には未知であろう。街を歩き、知らなかった歴史や文化を知る、間違いなく旅の醍醐味の一つである。

豊かな自然。今回ほぼアルバニアの中央部から南半分をバスで走ったことになるが、どこも緑に囲まれている。今回訪問したブルーアイは、世界中から観光客が訪れる自然の驚異でもある。

最後に物価。数年前のレートだと1レク(現地通貨)=1円と言われていたが、今は円安なので1.5円となっている。これだとちょっと違う感じがあるので、AED(UAE通貨)で表すと。

  • 市内循環バス 1.5 AED
  • 空港~市中心部バス 15 AED
  • 長距離バス 50 AED
  • 観光施設入場料 10~30 AED (一番高かったのはバンク・アート)
  • ホテル1泊朝食付き 200~300 AED
  • ランチ(ビール、ワイン1杯ずつ) 70 AED
  • 夕食(ちゃんとしたレストランでやや豪華に) 120 AED

UAEはそもそも物価が高いので、それに比べること自体無理があるかもしれないけど、価値との対価という意味でも全体的にお得と感じた。

そして今回、国内の移動はすべてバスを使った。これもまた国民観察・交流という意味で興味深く、楽しかった。総じてアルバニアに向かった俺の直感は、大正解でありました。俺の週末弾丸バックパッカーもいよいよ成熟してきたね(笑)。次回も COMING SOON!

アルバニア共和国旅行記・前編

アルバニアという国に行ってきた。2頭の鷲と真っ赤な背景の国旗が特徴的で、日本の四国の1.5倍ほどの中欧の小国だ。

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戦後の独特の政治体制のせいもあって欧州最貧の国と称され、またある本によると日本人が訪れる可能性は5%といわれるようなマイナーな国である。

俺もこの国に特別な想いがあったわけではない。Wizz Airがアブダビから直行便を飛ばしている欧州の国の一つであり、複雑多様な歴史、豊かな自然、そして物価の安さという3拍子揃った場所のような印象を持ち、直感的にチケットを買い、週末をはさんで3泊4日の週末弾丸バックパッカーの旅となった。

結果的には上記3つがまさに実感できた、充実した旅となった。さらに今年のこれまでの旅は中東・アジアだけ(サウジアラビア、ウズベキスタン、タイ、ラオス、インド)であって、昨年12月のイタリア以来の欧州であった。たとえ最貧国であったとしても、開放的な欧州の香りが十分感じられた。

今回の行程は、首都ティラナを起点としてギリシャ国境に近い南端のサランダ、そこから北方70キロほど上がったジロカストラ、そしてティラナに戻るという3都市を巡るものであった。以下、時系列的に前編(サランダ、ジロカストラ)、後編(ティラナ)と綴っていく。

金曜日(イスラーム暦新年の祝日)

3連休初日とあって空港は混雑していたが、定刻通りアブダビ空港を発ち、夕方にアルバニアの首都、ティラナ空港到着(飛行時間5時間ちょっと)。そのまま空港発のバスに乗り、市中心部のスカンデルベグ広場近くのホテルにチェックイン。

『地球の歩き方 中欧』で紹介していた地元料理屋で夕食。

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早めに行って一人だったので座れたが、金曜夜で人気店らしくあっという間に一杯となった。

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野菜スープと地元風に煮付けたラム肉を、ビール、ワインと一緒に楽しんで初日終了。

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土曜日

鉄道網がイマイチということで、都市間の移動はすべてバスに頼ることになった。ティラナからサランダへの移動は、今回最長5時間のバスの旅。違う都市間の長距離バスのターミナルは市の郊外にあり、そこへも市内バスで向かうのだが乗り過ごしてやや焦る。

何とか10時発のサランダ行きのバスに乗り込む。結構立派な大型バス。

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車内は満員。隣の席のノルウェー人の若者と時々お喋りしながら、車窓いっぱいに広がる緑を眺めたり、

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うとうとしたり、持参した iPadで読書しながら過ごす。途中ランチ休憩で、ドライブインのようなところで食べたサラダ、スープ、豚肉料理もまあまあ美味しい。

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そうして午後3時、アドリア海沿いのビーチリゾート、サランダに到着。ビーチは人でいっぱい。

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俺はビーチに関心はなく(アブダビの家の前にあるからね)、今回サランダまで来た目的は世界遺産のブトリントという古代都市遺跡群。古代ローマの叙事詩に出てくるような古代ギリシャの歴史から始まり、ローマ時代の医学の神を祀り、ローマ式浴場や劇場跡が残り、その後キリスト教の神殿、さらには近世ベネチア時代の城なんかもあったりする地中海世界の歴史の宝庫なのだ。

市中心部のホテルにチェックイン後、さっそくまたバスで移動。突然仕事帰り風の女性の大群が乗ってきてバスのなかは女だらけ。。

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40分ほど南に下り、ブトリント遺跡公園に到着。この旅中そうだったが、日中は南欧の熱波で野外は40℃近くになり、まるでアブダビにいるみたい。しかも全体的に屋内のACの効きがよくない。。それでも元気にこの遺跡の塊のような島を隅々まで2時間ほどかけて見学、これは歴史好きには堪らないね。

まずはベネチアの砦がお出迎え。

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ローマ時代の劇場とお風呂。

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なかにはちょっとした博物館もある。

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これが島の全容(上は13世紀、下は14-16世紀のベネチア時代のもの)。

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アドリア海沿いで木々の緑がまばゆい。

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夜7時過ぎに市内のホテルに戻り、シャワーを浴びて夕食。この海沿いの町はシーフードで有名で、さっそくホテルにお薦めのレストランを聞いて行ってみる。イタリア食の影響強いとあってシーフードバスタ絶品。

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喧騒の続くビーチ沿いを散策しながらホテルに戻って就寝。2日目も満足のうちに終了。

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日曜日

朝一番の7時15分サランダ発ジロカストラ行きのバスに飛び乗り、30分ほど乗ってこの地域のもう一つの目玉であるブルーアイで途中下車。ここは緑あふれる小高い丘の自然公園で、水深50メートル以上の泉の底から、透明度の高い澄み切った水がこんこんと湧き出てくることで知られている

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湧き出てくる真っ青なブルーアイを上から眺める。

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キンキンに冷えた泉に足を入れて涼んだり、

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周辺の山道を散策しながら1時間半ほど過ごす。

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本日も気温は高いが、森の中の木陰は風もあって涼しい。心と体が洗われるよう。こうして自然に癒されて、まだバスに乗り込み、本日の最終目的地、ジロカストラに向かう。

ジロカストラは、オスマン帝国時代の石造りの街で世界遺産となっている。小高い丘の頂点にジロカストラ城をいだき、そこから下る地区に多くの家々が連なっている。

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こじんまりとした旧市街の中心には、お土産屋が軒を並べている。

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ここで予約していたホテルも石造りで、とても感じの良い空間であった。

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ちょうど昼頃になったので、バスのなかで出会ったドイツ人カップルに紹介してもらった地元料理の店に行く。しゃきしゃきサラダに地元ビール、

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しめは名物のミートボールのヨーグルトかけ。

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料理を堪能し、ビールとワインの飲みつつ、そこのご主人らとお喋り。

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お勘定をして店を出ようとすると、これを飲んでいけ、ただで良いからと言われ、蒸留酒のラクアを一杯いただく。有難かったが、このおかげで午後の観光に少しふらつきが。。

ジロカストラ城をはじめとして、民俗学博物館やこの国を代表する文学者、イスマイル・カダレの生家をベースにした記念館などの観光拠点を廻り、さすがに疲れてホテルに戻って一休み。夕食は近くのホテルの野外レストランで街を見下ろしながら、再び地元料理、ビールとワインに浸る。

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濃厚な野菜スープに、

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ポークソテーのヨーグルトかけ。素朴な地元食材を堪能する。

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翌朝早い出発のため、9時過ぎにはベッドに入る。後編につづく。

最新観光ガイド in アブダビ、ドバイ

真夏真っ盛りの当地で、日本からの出張者、友人たちを迎え、久しぶりに休日を利用してアブダビ、ドバイの観光スポットなどを案内した。この観光に不向きな時期にも係わらず、中国人観光客が復活してきていて、あちこちで中国人団体ツアーを目にし、中国語ぺちゃくちゃを耳にした。

今回の知見を中心に観光地の最新ポイントを記しておく。まずはアブダビ。以下が定番の観光場所(ここに書き漏らしたがルーブル・アブダビも人気)。

アブダビ観光スポットナンバーワンは1のシェイク・ザイ―ド・グランドモスク。この巨大な白亜のモスクは欠かせない。

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ここのポイントは毎時実施されるCultral Tourに参加すること。事前の申請は不要で、ただモスク正面の集合場所に集まればいいだけ。

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UAEローカルの女性が30分ほど説明付きで案内してくれる。通常だと入れない有名な絨毯敷きの内部にも入ることができる。

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注意点は女性の髪の毛を隠すことに厳格で、自分でショール等を持っていかないと買う羽目になる(コロナ以前にはレンタルできたがコロナ後に廃止になった)。

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続いて3のアブラハム・ファミリーハウス。上図紹介通り3つの宗教のお祈りの場を一つにまとめたユニークな場所。教会、モスクには行ったことがあっても、ユダヤ教のシナゴーグに行った人は少ないのではないか。ここでもUAEローカル女性の30分ほどのガイドツアーがお薦め。こちらは入場も含めて事前Web申請が必須。これら2つの宗教関連施設は入場料が無料なのも嬉しい。

野外では6のジュベイル・マングローブパークが俺のお気に入り。さすがにこの時期、日中はお薦めできないが、早朝か日が暮れてからなら何とか行ける。

レストランを一つ紹介しておきたい。俺の居住地にある Beirut Sur Mer という中東レストラン。今回日本からの友人と初めて行ったが、雰囲気も料理の味も良く、アルコール飲めて値段まあまあ。中東料理を食べてみたいという観光客にはお薦めです。

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続いてドバイ。こちらでお薦めしたいのは Al Seef地区。

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この地区は俺がコロナ前からお気に入りの場所で、中東風の建物、散策路が密集した地域にお土産屋、レストランが揃っている。

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今回発見したヒルトン系のこのホテルがまた秀逸で、日本から来た友人も実際に泊まって絶賛していた。この時期、平日なら1泊朝食付きで AED 200台で泊まれる。

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この地区の両端には俺のお気に入りのレストランもある。片方にラーメンのWokyo、

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もう片方に日本居酒屋の茂木屋。

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ドバイ空港にも車で15分と近く、ドバイ空港利用の観光客には特にお薦めしたい。

コロナ禍も完全に明け、ドバイ、アブダビとも観光に力を入れている。日本からもどんどん来て欲しいものである。

熱帯夜の海に繰り出す

アブダビもいよいよ酷暑となって来た。Midday Break と称する日中12時30分~15時30分の野外作業の法令上の禁止が6月中旬から始まった。気温は早朝で30℃台前半、昼で40℃前後。湿度は朝80%台、昼で60%台あり、暑さも厳しいが湿気がこたえる。夜でも気温30℃半ば、湿気70-80%と熱帯夜であり、野外レストランでの会食は困難になってきた。

そんななか、久しぶりにアブダビ自転車部メンバー中心に、ボードでアブダビ沖の陸地に繰り出してのバーベキューを決行した。いつも通りMキャプテンの指揮下、総勢8名がエミレーツパレスホテルに近いヨットハーバーに結集、出港する。

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最近はこのメンバー中心に砂漠キャンプも何度か経験しており、準備含めて役割分担がきちっとしてきてスムーズである(俺は飲んでるだけだけど。。)。

ボートから見える幻想的なプレジデンシャルパレス。

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満潮ゆえ、上陸する陸地を探すのに少し手間取ったが、無事上陸して設営、火起こし。

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今回のメイン料理はSさん定番の豚の生姜焼きに加えて、SS兄妹コンビによるアヒージョとラムチョップ。どれも堪らなく美味。

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熱帯夜で汗が噴き出るなか、ひーひー言いながら熱々の海老、キノコ、ラムチョップを頬張り、ビールで流し込む。至福の時である。

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ビールに続いて白ワイン、赤ワインと進んでほろ酔いになったところで夜も更けてきて終了。陸地から撤収して無事港に戻る。

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アブダビの酷暑を乗り切る元気をいただいたMキャプテン、皆さまに感謝感謝でございます。

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インド共和国(ビハール州・UP州・デリー)旅行記・後編

今回のインド旅行全体を通して感じたこと、思ったことなどを記す。

  • お釈迦様は偉大である。

お釈迦様、仏教関係の知識(書物や映像等)を頭に入れ、実際にインドという現場のなかでその足跡をたどって、改めてお釈迦様は偉大であると感じた。今から2500年も前、戦乱の世(当時伝承では16か国の勢力が競っていた)、カーストの差別が厳しかった時代、バラモンの教えの戒律に人びとが従うことが絶対とされた時代背景のなかで、生きとし生けるものの無用の殺生を禁じ(ヒンドゥー教の牛やイスラム教の豚とかじゃなくて)、全人類の平等を唱え、自分自身で考え抜いて独立自由を守る大切さを訴え、それをあらゆる人びとに説いていった思想と行動の人。

現代のインドにおいても、極端な貧富の差が存在し(ビハール州の田舎町では通るたびに何もしていない貧しい老若男女が大勢いた)、いまだにアウトカーストと呼ばれる人間扱いされない人たちが存在している(公式的には差別はないことになっているが、人々の意識には相当残っていると感じる)。街でも隙あらばだましてやろうという人たちを見かける。

だからこそ、人類普遍の考え方であるお釈迦様の思想が見直されているだろうし、広大多様なインドで多彩な仏教思想が根付いているのを感じた。アーベンドカル博士から始まり、佐々井秀嶺師(今回残念ながらナグプールに行くことは叶わなかった)が先導するアウトカースト差別撤退としての仏教(ある方は政治的な動きとして忌避)。ビハール州中心に昔ながらの出家仏教に帰依する敬虔な僧侶と信者たち。そして俺のような外人が瞑想、マインドフルネスや座禅から入り、混迷の時代に自己の確立を目指すというアプローチ。

こうした柔軟性もまた、お釈迦様が結局は自分の考えが大切であとはそれに従って正しいことを行なえと説いたこと(自灯明、法灯明)がベースになっていると思う。俺にとっては改めて下記のような教えをいつも心に持ち続け、これからも自分の道を歩む覚悟を持てた、そうした今回の旅だったと総括できよう。

「最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め」(スッパニパータ 六十八)

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(白い仏像はアーグラーのお土産屋で約3千円で買ったもの。タージ・マハルと同じインド産の大理石でできている。黒い仏像はラージギルの日本寺で出会ったインド人小学生が記念にと買ってくれたもの。その前の葉はブッダガヤの菩提樹の葉っぱ)

  • マハトマ・ガンディーとお釈迦様

ガンディー関係の博物館で、お釈迦様に言及している表現をいくつか見つけた。

「When love came to the door of India, that door was opened wide. At Ghandhi's call India blossomed forth to new greatness, just as once before, in earlier times, when Buddha proclaimed the truth of fellow-feeling and compassion among all living creatures.」(Rabindranath Tagore: ノーベル文学賞受賞のインドの著名な文学者)

「Great as the Buddha's contribution to humanity was in restoring God to His eternal place, in my humble opinion, greater still was his contribution to humanity in his exacting regard of all life, be it ever so low. (M.K. Ghandhi)」

「Forgiveness is a quality of the soul, and therefore, a positive quality. It is not negative. 'Conquer anger', says Lord Buddha, 'by non-anger'. But what is that 'non-anger'? It is a positive quality and means the supreme virture of charity or love. (M.K. Gandhi)」

人類普遍的な思想(平等、暴力や殺生禁止)と、それを堅固に信じてあらゆる困難にも係わらず実行実践したという点で、このインドが生んだ二人の世界的偉人は共通していると感じた。

また教えや説法の場として、お釈迦様は竹林精舎や祇園精舎、ガンディーは Ashramと称する、いずれも集団生活を送る拠点を整備、確立したところが興味深い。

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(ガンディー記念博物館の座禅をするガンディー像)

  • いろいろなインド人

お釈迦様、ガンディーのような超偉大な人物を生むと同時に、インドの大地・風土はいろいろな人物像を描き出す。今回4日間に渡って同行してもらったササン君。23歳でデリーのIT系会社に勤務の、典型的なアグレッシブなインド人。道中いろいろな会話をした。やや閉口したのは1日の終わりに必ず本日のフィードバック、評価、感想と評してスマホで俺のビデオインタビューしようとしたことだ。これを会社関係者や友人に共有するという(国際企業の経営者と一緒だと自慢しつつ?)。ボランティアで参加してもらったようなので、前半はなるべく応じていたが、後半は疲れてややイラつき、断らせてもらった。

また、アーグラーでの旅行会社のガイド、アーディル氏も最後にTripadvisorに今すぐ目の前で評価登録してくれと。こうした評価に生活がかかっていることもあるので対応はしたが、やはり標準的な日本人としてはウザったいと感じざるを得ないね。

旅行者向けの詐欺まがいにも遭遇した。6日目にバラナシからデリーに戻ったデリー空港。到着時間が遅かったのでタクシーを使おうと思い、勧誘してきた何人かと交渉してタクシーに乗った。乗ってすぐにホテルの認識番号を教えろと。教えると電話を掛け始め、いわく現在イード休暇中でお客さん予約のホテルが閉鎖されているという。だから他のホテルを紹介すると言いそうなドライバーを制してさっさと下車した。

デリー市内ではラール・キールのほぼ目の前で、お客さん、今この施設は閉鎖中なのでスパイスマーケットどうですか、お連れしますよと近づいてきた。どちらもすぐわかるような嘘をよく平気でつくもんだと感心すらしましたね。

ビハール州では貧しい農村で多くの無気力そうなインド人、そして都市の市街地では多くの物乞い(身障者の方含めて)に出会った。こうした人たちの貧しさにはやはり気が滅入る。一方ササン曰く、子供たちには何もあげるな、政府が今はあちこちに無償の学校を設置しているのに、親が小銭稼ぎのために子供を犠牲にしているのだと言っていた。

  • そのほか

インドの最大の問題点は何かと若き理想主義者のササンに問いかけてみると、貧富の差のますますの拡大だという。そしてその大きな要因は、いわゆる社会のエリート層が公共の福祉に資するようなことをしないことだと。だけど自分はボランティアで子供への支援、援助をしていると(偉いね)。

至近の日経記事によると、インド国家財政においては間接税の割合が税収の約半分に達し、貧困層が多い国としてはかなり逆進的な税制になっている。しかも直接税のメインの所得税は、10億人いる15歳以上人口のうち納税者は6000万人前後にすぎないという。この辺り、根が深いね。

やはり辛いインド料理を食べ続けているとお腹がゆるくなる。インドのトイレ事情の悪さは事前にケアしていたので、小さなトイレットペーパーを持参していたが、正解でしたね。ちなみに『13億人のトイレ』という本によると、モディが看板政策の一つとして掲げたインド全土へのトイレ普及を目指す大プロジェクトがあった。2014年に提唱し、ガンディー生誕150周年の2019年に達成目指して政府・各州自治体が鋭意推進して達成したと華々しく公表された。ガンディー博物館の敷地内にはそれを大アピールする別館もあった。

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ところがトイレがあっても下水が整備されてないところが多く、実際は使われてないトイレも多いという。この辺り、モディさんのアピール上手とインドの実態との乖離が感じられるところではある。

最後に、この旅を通じて改めて強調したいのがいろいろな出会い、ご縁の素晴らしさ。仏教関係では日本人尼僧お二人、ブッダガヤの少年修行僧2人。インド人ではササン君と友人の大学生2人、アーグラーのガイドのアーディル氏、サールナートを案内してくれたアローク青年、ラージギルの日本寺で会った小学生たち。他にもアーグラー帰りの電車で一緒に箱の上に座った米国人(マッキンゼー勤務のエリート青年だった)、そして若き友人Sさん。

お釈迦様の慈愛に満ちたお導きに感謝感謝の旅でありました。