anezakimanのアブダビ日記

アラブ首長国連邦アブダビ首長国に駐在になりました。そこで出会ったことを綴ります。

ヨルダン・ハシミテ王国旅行記

2週連続で旅に出ている。なんか、トラベルライターみたいになってきたね(苦笑)。行った先はヨルダン・ハシミテ王国、通称ヨルダン。東はイラク、西はイスラエル、南はサウジアラビア、北はシリアに囲まれた、日本の国土の4分の1ほどの土地に950万人が住んでいる小国。イスラーム・スンニ派が9割以上占め、国王は預言者モハンマドの従兄弟アリと娘ファーティマ夫妻の子供の直系という由緒正しい家系。

国の成り立ちは20世紀前半のオスマン帝国末期に遡る。アラビア半島のメッカを中心としたヒジャーズ王国のハーシム家国王と3兄弟が、かのアラビアのロレンス含む英国から支援を受けてアラブの反乱を起こし、ヨルダン、パレスチナ、シリア、イラク辺りをオスマン帝国から奪回する。その後、ヒジャーズ王国は長男が継ぎ、英国の後ろ盾で次男がヨルダンの、三男がイラクの王位に就く。

パレスチナからヨルダン川東岸を無理やり切り分けてトランス・ヨルダン(ヨルダン川のあちら側)という名で作られた次男坊の国だったが、皮肉なことにヒジャーズ王国はその後勃興したサウド家のサウジアラビアに滅ぼされ、イラクは50年代の革命で王政が倒され、一番人工的な国家であるヨルダンだけが今でもハーシム次男坊(アブドッラー)系の支配が続く。この辺りの経緯は下記本に詳しい。

【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)

【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)

 

 ここの国王は英邁なリーダーらしく、小国ながらアラブ国家の名家としての尊敬を集め、アラブ社会で一定の重きをなす。日本とも良好な関係を保っている。ただし経済は苦しい。もともと油や天然ガスなどの資源はほとんどない農業と観光の国。そこにかつてはパレスチナの難民が、今はシリアの難民が押し寄せる。

さて、ヨルダンの旅行といえば3点セットである。ペトラ遺跡で紀元前後の華麗な古代帝国を歩き回り、ワディ・ラムという広大な砂漠地帯で中東の大自然を感じ、そして死海(デッド・シー)で体を浮かせて自然の神秘を体感する。俺も上記3点セット、プラス、首都であるアンマン市内周遊を入れて現地実質2.5日ほどを有意義に過ごすことができた。

前夜9時過ぎにアンマン空港入り、そのまま3時間かけて移動してペトラに宿泊、翌朝8時には遺跡のエントランスに到着。

そこから15分ほど歩くと、ペトラ遺跡の入り口とも言える巨大岩の隙間道のスークに着く。映画「インディージョーンズ 最後の聖戦」の舞台となり一躍有名に。

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1キロほどもあるスークを抜けると、岩山をくり抜いて作った宝物殿が現れる。

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さらに先に進むが、距離があるので途中ロバに乗って市場通りを抜ける。

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山道を登り切った所に巨大な修道院が出現。
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よくもまあ、今から2000年も前に岩山にこれだけ精巧な建物を掘り出して作ったものであり、その巨大さ(片道4キロ)に驚嘆する。

お次はワディ・ラム。砂漠はUAEでもいっぱいあるが、ここは巨大な岩山があちらこちらにそびえて、勇壮な風景を見せている。

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岩山の上に陽が当たって黄金色に輝いている。

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ここではラクダに騎乗。

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ここにはアラビアのロレンスこと、トーマス・エドワード・ロレンスが実際にベースとしていた砂漠のキャンプがあり、記念碑が。

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夕暮れ時、砂漠に沈む夕陽を見に観光客が集まっている。

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夕陽を見てから紅海に面するアカバに移動、そこで1泊する。イスラエル国境まで徒歩圏内、エジプトも港の対岸に見え、サウジも10キロほど南に下るとあるいう四カ国が集まる国際的都市である。

左側がイスラエル側の町、イラート。

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地図で見るとこんな感じ。

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翌朝、アカバからイスラエル国境沿いにアンマンまで走るヨルダン・バレー・ハイウェーをひたすら北上。初め砂漠だった地が進むにつれて緑がポツポツと現れ、そしてトマトや玉ねぎの畑に変わる様が面白い。
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そしていよいよ死海へ。ここは公共の湖水浴場(海水ではない)。
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ここで体を浮かせてくつろいだり(泳ごうとしてもひっくり返る感じで泳げない)、泥パックをしたりと1時間ほど遊ぶ。こうして見ると間抜けな感じだねえ。

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別のところで汲んだ塩水と拾った岩塩を家に持ち帰り、天然の入浴剤に(黒いのは軽石)。
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最後はアンマン市内に入って車でローマ遺跡や城を回る。アンマン城からの市内風景。

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そのまま市内に宿泊。翌朝アンマン空港からシャルジャに向けて飛び立ち、俺の怒涛の3泊4日ヨルダン旅行は終わった。

アンマン市内で見かけてびっくりしたのが、アバヤを着たアラブ人女性が、道路で信号待ちしている車の間を物を売ろうとして歩く姿。また実質2日半ずっと付き合ってくれた運転手さんは65歳のヨルダン人で、ドライバーとしての給与月収は250ディナール(約38千円)だという。この時は仕事着としてのジーパン姿だったが、家では普段カンドーラを着ているとのこと。

要するにここはアラブの現地人が普通に働き、場合によっては露天的な物売りもしている貧しさの残る国。しかしこれが一般的な国の姿なのだろう。アブダビやドバイにいると決して分からない、そしてキリスト教徒も多くて西洋的な雰囲気のレバノンとも違う、フツーのアラブの国を見た思いであった。