イスラエル国旅行記その1(エルサレムの歴史に酔う)
週末弾丸バックパッカー、通称WBP(Weekend Bullet Back Packer)が再始動した。最後にWBP的に旅行したのは、新型コロナブレークアウト直前の2020年2月のサウジアラビアのリヤドだったので、実に2年2か月振りとなる。
サウジアラビア王国•リヤド旅行記 - anezakimanのアブダビ日記
その記念すべき再開第一弾の行先はイスラエルである。今までは近くて遠い国だったが、UAEと国交を樹立した今、近くて近い国となった。LCCのWizz Air によるアブダビからの直行便でテルアビブまで片道3時間ちょっと、料金的には往復で AED 818.40、約25千円である。以下、刺激に満ちた久々のWBPの旅程をいくつかに分けて綴ってみたい。
金曜日の夜、21時30分発の便であったが、Wizz Airからの通知では遅くとも4時間前にチェックインカウンターに来いとのことだったので、念のため17時30分過ぎにアブダビ空港に着いた。案の定、まだチェックインは始まってなかった。。少し待ってから手続きが開始、スムーズに進み、3時間ちょっとの時間、空港内で待つことになった。ビールを飲みつつ、夕食としてマックでハンバーガーを頬張る。
今回のイスラエル旅行で事前に必要な手続きは、出国72時間前のPCR検査陰性証明、出発前48時間以内でのイスラエル保健省Web経由の Entry Statement への登録の2つであった。
土曜日未明の0時20分に定刻通りテルアビブ、ベン・グリオン空港に到着、一連の手続きをスムーズに終えて最後に空港内でPCR検査実施。規定ではPCR検査陰性確定、または入国から24時間以内の早い方まではホテル待機であったが、6時過ぎにメールで陰性証明入手、行動に何ら支障はなかった。
空港からタクシーでエルサレムに向かう。約45分、350シェケル(120ドル)。想定では3時ホテルチェックインだったが、思った以上にスムーズに進み、2時過ぎにはホテルに入った。
その日の土曜日の朝から日曜日夕方まで、エルサレムで2日間過ごした。世界遺産でもある旧市街に2.5日、新市街0.5日といった感じで、旧市街にある4つの宗教地区(ユダヤ教、キリスト教カトリック、キリスト教アルメニア教会、イスラム教)の聖地周辺をひたすら歩き回った。紀元前1000年頃、今から2000年前から始まる波乱にとんだ物語に生に触れながら感嘆する時間であった。
ユダヤ教の代表的聖地、嘆きの壁。左に隣接しているのがイスラム教の聖地である岩のドーム。岩のドーム周辺はラマダーン中であったため、残念ながら見学不可。
嘆きの壁は誰でも壁の前までいける。布で仕切られていて左が男性で右が女性。
キリスト教地区では、イエス・キリストが有罪判決を受けて十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩んだとされる「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」を、14のステーションに沿って回るのがお決まりコースとなっており、ガイドをお願いしてたどる。
ここはステーションⅡであり、有罪判決を受けたイエスがローマ軍兵士に鞭打ちされた場所で、教会となっている。
十字架を背負ったイエスが2度目につまずいたとされるステーションⅦ。
こんな感じで、それぞれの場所に数字と共にそれを象徴するステンドグラスなどがある。
最後は聖墳墓教会で、イエスが十字架に釘付けとなって息を引き取り、墓に入るまでの道のりが再現されるという趣向。
この場所で磔にされて息を引き取る。
下にちょっとした穴があり、信者の皆さんはここに入って写真を撮っていた。
死んだ亡骸をここで香油で拭いたとされる。
そしてここがイエスのお墓でフィナーレ。
俺はクリスチャンではないが、旧約聖書をシナリオとしてドラマ化したこの遺跡巡りは、キリスト教という世界大事業を展開・発展されるためのマーケティングツールとしては秀逸ではあると思いましたね。
その他、ローマ帝国占領時代の街や道の再現。
アルメニア教会地区も散策したが、歴史的遺跡の多彩さ、荘厳さに酔わされた気分であった。
旧市街の城壁の外にもいくつも見どころ。こちらはナチス迫害下で多くのユダヤ教徒を救ったシンドラーさんのお墓。映画「シンドラーのリスト」の最後のお墓の撮影はここで行われたとか。
今回は行けなかったが、旧市街の東側にあるオリーブの丘といくつかの教会。
また、ヤッファ門にあるダビデの塔では、エルサレムの歴史を演出したプロジェクトマッピングによる音と光のショーが行われており、事前に予約して参加。
結局、エルサレム滞在2日間で旧市街地を3度訪問して散策を繰り返した。歴史と宗教が眩いばかりに交差する異次元空間のこの街は、とてもミステリアスで魅力的でありました。