ネパール連邦共和国旅行記その3(カトマンドゥ周遊)
お昼過ぎにポカラからカトマンドゥに、今度は無事飛行機で戻ってきた。空港から市内中心部タメル地区にタクシーで移動、予約していたホテルにチェックイン。お腹が減っていたので、街中散策も兼ねてぶらぶらしながら、チェックしておいたチベット料理の有名店というレストランに向かう。お目当ての地元スープヌードルを味合うのである。
これがネパールやチベット風ラーメンのトゥクパ。腰なし太麺と薄味チャンポン風のスープがよく絡んで美味。
こちらはモモと呼ばれる餃子。ビールによく合う。ビールは地元のネパール・アイス。
トゥクパが215ルピー、モモが170ルピー、ビールが395ルピー、合わせて780ルピーと激安。お腹も心も大満足。
その後、市内を散策。タメル地区はツーリストエリアで、ホテル、レストラン、土産物屋、トレッキング用品店など、狭い通りにお店がびっしり。それを抜けて南に下ると地元民が集うショッピング通り。この日はネパール週一の休日土曜日だったせいか、どの道も人でぎっしり。
そんな人でいっぱいの狭い通りにも、バイクがお構いなしにどんどん入ってくる。久しぶりにアジアの活気、混沌、雑多ぶりを体感する。
市街地にある世界遺産、ダルバール広場に着いたのが日暮れ迫る夕方5時。ここはネパール近代に繁栄した王朝の王宮跡で、寺院や建物が大勢あったが、一部は2015年4月の地震で倒壊や損傷したという。
裏通りにはこんなネパール風の露地店も。
ピリッとした羊焼肉がおいしー。ビール飲みてえ。
ということで、夕食はやはり日本食レストラン(笑)。前菜のつまみ2品とビール、メインにカツ丼を食べて締めて2,300ルピーほど。やはりネパールの日本食は安くて美味しい。ちなみにネパールの在留邦人は1,100人ほど。この人数と日本食レストランの数と質を考えると驚異的。物価が安く、旅行者、ネパール人も日本食を好むということなんだと思う。
翌朝、10時の帰国便の前に空港近くのヒンドゥー教の寺院、パシュパティナート(Pashupatinath)に寄る。ここはネパール最大のヒンドゥー教寺院であるばかりでなく、インド亜大陸にある4大シヴァ寺院の一つであるという。弊社の8割以上はインド人、ヒンドゥー教徒。そのメンタリティーの一面を少しでも感じようというわけ(でもないか)。
朝早くから寺前通りは賑わっている。
大勢のネパール人、インド人に混じってこんな方たちも自由に歩き回っている。
チケット売り場でチケットを買い、たまたまアプローチしてきた人懐こくて英語の上手なネパール人ガイド氏に1時間1,000ルピーで案内をお願い。
シヴァの3大神を祀る門から入ると。
ここが有名な火葬場。
ヒンドゥー教徒は輪廻転生を信じてお墓を作らず、死んだらすぐにこうした火葬場に運ばれて焼かれ、その灰を川に流すという。この川はカンジス川支流にあたるため、由緒ある火葬場として、写真手前の方からえらいカースト順に4つの焼き場があり、毎日火葬が行われている。当日もこんな感じで。
少し厳かな気持ちになったあとは、やはりヒューマン・ビーイング、こんな素敵なものも。男根を表したシヴァ神の象徴、シヴァリンガ。
ガイド氏曰く、この寺には何年も修行を積んだヒンドゥー教のホーリーマンがいて、お布施的にお金を払えば近づけると。胡散臭い気もしたが、2,000ルピーで手を打ち、案内してもらう。
テレ朝の戦隊シリーズのようなとてもカラフルな(笑)男性4人に迎えてもらい、額に赤いペイントと手には金色の紐というヒンドゥー教のシンボルを施してもらい、貴殿に幸あれとお祈りいただく。それはそれで楽しめました。
こうして俺の第5国目の海外遠征が無事終了した。振り返ってみれば、アルメニア(キリスト教カソリックの元祖)、イラン(イスラームの最強鉄人)、レバノン(キリスト教とイスラームの融合国家)、ドイツ(キリスト教プロテスタント発祥地)に加え、今回ヒンドゥー教の一大大国(ネパール国民の8割強はヒンドゥー教徒)を訪問したことになり、宗教的なバラエティーを体感実感。
また中東、欧州から、初めてアジアに立ち戻ったりと、今回のネパール訪問はいろんな意味で刺激的であった。
何よりもネパールは、ヒマラヤを中心とした雄大な自然、なんでも安い物価、現地食も日本食も美味しく、親日で人懐っこい人々など、気持ち的にリラックスできて、とっても居心地の良い空間であった。
国としては1人当たりのGDPが900ドル弱、国民就労者の2/3が農業、地震国でインフラ被害多く、道路も紹介の通りひどいといった貧しい後期開発途上国ではあるけど、俺が出会ったネパールの皆さんの明るさ、実直さでこれから発展していくことを祈りたい。
ネパール編はこれで終了だが、UAEでは超珍しくて貴重な4連休が本日から始まる。またまた旅の予感が。。