オーストリア・スロバキア・ハンガリー・セルビア旅行記・後編
Day 6(続き)。
ベオグラードのバスターミナルに15時前に着き、歩いてホテルにチェックイン。遅めのお昼を近くのセルビア料理屋でいただく。チキンスープに豚肉のソテー。1人前400グラムのハーフを食べる。ジューシーで美味しい。
それから20分ほど歩いて、サヴァ川とドナウ川の合流する丘の上にあるカレメグダン公園へ。見晴らし良く、自然いっぱい、要塞などの歴史遺跡があり、また動物園やレストランなどもある、この都市の観光拠点の一つである。
上部の川がドナウ、左下の支流がサヴァ。
中のレストランでちょっと一息。
市中心部に戻って共和国広場。20時近いがまだ明るい。
晩飯はホテル近くの野外イタリアンのパスタでさくっと取って本日終了。
Day 7。
本日はTripadvisor経由申し込んだ、ベルグラード北部、車で1時間ほどの2つの都市(Sremski Karlovci と Novi Sad)を巡る1日バスツアーに参加。後者の都市はセルビア第2の都市だが、前者はガイドブックにも出てこない小さな街。ただしセルビア有数のワインの産地であり、ワイン工場見学がある他、後者も含めてセルビア正教会の修道院や大聖堂などがある歴史的な街である。
集合時間の9時30分まで少し時間があったので、サヴァ川周辺を散策する。この街に似合わない左の奇妙なビルは、UAE資本だとか。。
ツアー参加者は10数人いて、小型バスはほぼフル。まずはSremski Kariocviに向かい、修道院へ。この日も快晴で青空が広がるなか、森の中の修道院を見学。
その後ワイン工場へ。小さいながらも欧州の品評会で数々のゴールドメダルを取った評判の高いワインを生産販売してるとか。濃厚な赤ワインを試飲させてもらった。
街の中心部に移動。これは学校。
セルビア正教会。
それからNovi Sadへ移動。高台にあるペトロヴァラディン要塞に上り、ドナウ川と対岸の市街地を見渡す。市街地は1999年のNATOの爆撃(後述)で、壊滅的な被害を受けたという。
市中心部で見どころを廻って、
お昼。俺と同じく単独参加のニューヨーク市から観光で来ている経済系アナリストの米人男性と、セルビア料理屋でビール、ワイン飲みつつ歓談しながらのランチ。二人とも一人旅好きで、どこに行った話で盛り上がる。その後一人でぶらぶらして、クラフトビール屋を見つけて思わずもう一杯。
こうしてベオグラードとは少し違う、田舎の雰囲気を感じられたツアーが終了した。
この夜が今回の旅行の最後の晩餐。前日のランチで行った地元料理屋が美味しかったので、またここに舞い戻る。
今度はこれ。やはり肉が美味しい。
この国名物のラキア(果実の蒸留酒)も2杯いただく。
まだ薄明るいなか、少しふらふらしながらも無事宿に戻った。
Day 8。
いよいよ最終日。この日は11時30分からのベオグラード市内歴史探索3時間ウォーキングツアーを予定(これまで同様Tripadvisor経由で申し込む)。それまでかなり時間があったので、街のいくつかの名所を歩く。
聖マルコ教会。
ベオグラード植物園のなかの日本庭園。
短時間だったが、国立博物館にも寄って絵画鑑賞。
そしてツアーに参加。今回はノルウェー人50代夫婦とスペイン若者2名と俺の5名。ガイド役は社会学の博士号を持つセルビア人大学講師。彼のセルビアの歴史感や思想も織り込んだガイドが興味深かった。
その中でも1999年のNATOのセルビア爆撃の足跡をたどった説明は、熱がこもっていた。空爆で被害を受けたビル。
なぜNATOは空爆したのか?という碑。
爆撃で死亡した少女の像。
この方がそのガイド氏。思わずチップを弾んだ。
ツアー終了後、空港行きバスを探したが見つからず(周りに聞いても埒が明かなかった。。)、最後はタクシーでベオグラードの空港に行って、18時過ぎのWizz Airのアブダビ行きフライトにたどりつき、ついに俺の中欧4か国(5か国?)のバックパッカー旅行が無事満了した。
こうして8日間を時系列に振り返ってみると、単独もしくはツアーでの歴史文化中心とした観光地巡り、レストランや食べ物・飲み物のチョイス、バスや電車での移動など、事前に詳細な計画を立てなかったにも係わらず、結果として効率的集中的かつ自分の趣向にあった旅となっている。
これまで行ってきた海外旅行の数を確認してみると、アブダビ駐在6年間(海外に行けなかったコロナ禍の2年間を除くと実質4年間)で、今回の旅を入れて28回の旅行、訪問国27か国に達した。俺の週末(今回は週末ではないけど。。)弾丸バックパッカーも成熟の域に達した感があるねえ。
最後に少し、訪れた国の歴史・民族を踏まえた雑感を記しておきたい。旅をしながらバスや電車の車中で、下記2つの書籍を読み進めていった(後者は再読)。
今回訪問した国でいうと、前者本は全4か国の地域の歴史、相関関係をカバー、後者本はセルビアに関連する。独断的直観的読後感でいうと、ハプスブルグ帝国の中心地として誇り高きドイツ系国家のオーストリア。そこに追随して存在感が少ない冷静的スラブ系スロバキア(すいません、あくまでも独断です)。最後は従属した(オーストリア・ハンガリー二重帝国)が個性的なマジャール人国家として存在感たっぷりで魅力的なハンガリー。旧ユーゴスラビアの首都として、崩壊後も大スラブ主義の夢に固辞して複雑な民族紛争に入り込んでしまった頑固で過激なセルビア。
本を読みつつ、街の歴史や文化をたどって現地の人と出会って交流していくと、こうしたイメージがぼんやりながらも実際に感じられた気がしている。最後に出会ったセルビア人ガイド氏はいみじくもこう言っていた。オーストリア人は生真面目で官僚的で好きでない。セルビア人はCrazy過ぎてやはり良くない。その中間のハンガリー人が一番好き。なるほどね。
以上、疲れる暇もないくらい、怒涛疾風の興味深く刺激的な旅でありました。